ナインティナインは“9づくし”のコンビである。芸名は吉本興業の養成所であるNSC9期生に由来するし、彼らの出身校である茨木西高校は、大阪府で99番目に設立された公立高校である。
97年から05年までは、毎年9月9日に地元大阪で単独ライブも行っていた。

そんなナイナイの90年代はものすごくトガッていた。本人たちはそれを“少年ナイフの時代”と呼ぶ。もちろんナイナイに限らず、当時の若手芸人たちに、現在のひな壇芸人が見せる和気あいあいとしたムードはなかった。お互いがライバルであり、ろくに口も効かない状態であったことも影響しているだろう。

アウェーだったナイナイの東京進出


しかしその中でも、ナイナイは群を抜いてトガッていた。吉本の若手芸人で結成されたグループ・吉本印天然素材の一員だったナイナイは、単独で東京進出を果たす。

当時、吉本興業は本格的な東京進出は果たしておらず、ナイナイにとって東京の芸能界は“すべてがアウェー”であった。

その頃のナイナイは東京進出はするも、住まいは大阪にあり、上京時はホテル暮らしを余儀なくされた。慣れない土地で2人は相当ストレスを溜め込んでいたようで、一緒の部屋では裸の岡村が矢部の上にまたがり、出したクイズで不正解になるごとに、体を下げてゆく“ケツ毛アップダウンクイズ”などが行われていたほど。

『ナインティナインのオールナイトニッポン』での毒舌


そんな彼らの本領が発揮されるのが深夜ラジオの『オールナイトニッポン』(ニッポン放送系)である。番組の放送開始は1994年の4月、3ヶ月後の7月からは現在まで続く木曜深夜1時に定着する。この番組でナイナイは日頃のストレスを発散するかのように、毒を吐きまくっていた。


時にそれは舌禍事件となることも。有名どころとしては1996年の「イグアナ事件」がある。菅野美穂主演のドラマ『イグアナの娘』(テレビ朝日系)に対して「イグアナってなんやねん」とキレ続けるものである。批判に深い意味はなく、ただ響きがヘンである点を延々いじり続けるものだった。しかし、悪い意味で反響を呼び、熱心な菅野ファンからカミソリが送られてくるほどだった。

さらに同じ年には矢部が共演した番組で挨拶を無視されたと赤坂泰彦を名指しで批判したことも。
ただ、これは誤解であり、赤坂が同時期にレギュラーを持っていたラジオ『ミリオンナイツ』(FM東京系)のリスナーを通じて和解が図られた。
また、矢部といえば、若手時代の稽古中に騒いでいた際に注意されたという理由だけで「みうらじゅん嫌い」を公言していた。

こうした毒を吐く一方、若手芸人の立場から芸能界をつぶさに観察し詳細な報告も行っていた。笑福亭鶴瓶が、クイズの正解を盗み見ていたエピソードから「悪瓶」キャラが作られ、現在まで続く長寿コーナー「悪い人の夢」のもとになっている。
その他にも、バカルディ(現・さまぁ~ず)三村の状況解説ツッコミや、中山秀征の早口言葉など、芸能人の特徴をとらえたコーナーが次々と誕生した。

今ならネットニュースの素材となり“炎上必至”の案件ばかり。
さらに裏ではナイナイの発言を受けて、ラジオスタッフが芸能事務所に呼び出しを受けることもあったようだ。それだけ、90年代のナイナイの毒気は凄まじかったのだ。
(下地直輝)

※イメージ画像はamazonよりナインティナインのオールナイトニッ本 (vol.1)