芸能人のなかには、知られざる過去を持つ者もいる。タレント業に俳優業、そして番組MCまでこなす中山秀征もそのうちの1人。

中山は、かつて本気でプロボウラーになろうとしていた時期がある。

アメリカで武者修行も行った中山秀征


中山は「自分の可能性を試す意味で何かを“極める”」ことをしたいと考えていた。そして1995年の秋、ボウリングのプロテストの受験を決意。それからというもの、密かな特訓がスタートし、正月にはアメリカで武者修行の旅をするなど、ボウリング三昧の日々だったという。

中山秀征が受けたプロテスト


1996年3月12日、中山にとって、約半年間の集大成を発揮すべき日となった。「ここに到着するまで、本当に長い道のりでした」と語る中山は、試験会場である芝ボウリングセンターに足を運んでいた。

中山が受験したプロテストは、第一次にあたる実技試験のみ。試験では、午前中に6ゲーム、昼食を挟んで9ゲームの1日15ゲームを消化する。テストは2日間あり、総合アベレージで“選抜ライン”を上回っていることが、第一次通過の条件。また、4人でチームを組み、2つのレーンを使って投げるほか、テスト中の私語は厳禁になる。「仕事柄、しゃべることで自分のペースを作っていく」中山にとっては、厳しいルールだった。

プロの卵らを相手に199をマーク


中山いわく「グループの全員がプロを目指してボウリング場で働いている人たちでした」とのこと。ボウリング場が異様な雰囲気に包まれ、日ごろの遊びの場から、戦いの場へと変わるなか、1ゲーム目は146とまずまずの出だし。2ゲーム目で159、4ゲームでは199を記録した。
しかし、調子が上がらずに最低得点の113も響き、結局のところ初日のアベレージは146.2にとどまった。


遠かった選抜ライン…中山秀征の挑戦


品川プリンスボウリングセンターに戦いの場を移した2日目だったが、この日も伸び悩み、2日目のトータルは150.2。選抜ラインの「185」に全く届かないまま試験は終了した。

プロテスト後、「ネバーギブアップ。来春の再チャレンジを密かに考えています。プロへの長い道のりは、まだ続いているのです」と語っていた中山。翌年の新春かくし芸大会では、その腕前を披露し、喝采を浴びることとなった。とはいえ、あれから20年経った今、いまだリベンジ話について中山は口にしていない。
(ぶざりあんがんこ)

※イメージ画像はamazonよりはじけて流れた星屑みたいに
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