そうした一連のエロ番組の中で伝説となっているものが『A女E女』(フジテレビ系)である。放送期間は1997年10月から、翌98年3月のわずか半年間ながら知名度は高い。この番組が画期的だったのは“催眠”を用いた点である。
伝説のエロ番組「A女E女」
番組では催眠術をかけて女性たちが、エロくなってよがる様子をそのまま放送していた。内容は太鼓や木魚の音を聞くとエロくなるといった、徹底してくだらないもの。悶える女性と、木魚のポクポクという音の対比がきわだっていた。
番組のキモとなる催眠術師として登場したのは、のちに作家として活躍する松岡圭祐。松岡はこの時期、期間限定でタレント活動を行っており、自ら率先し“ノリノリ”で催眠をかけていた。松岡は「催眠術のばからしさを浮き彫りにするため」あえて道化を演じた旨をインタビューで語っている。
司会を務めたのは、生真面目なキャラクターとして知られるフジテレビの牧原俊幸アナウンサーだ。放送が進むにつれ「奥さんが実家へ帰ってしまった」といったまことしやかなエピソードも紹介されていた。さらに若手芸人4組による「まったく無名ズ」も番組を盛り上げた。
わずか3ヶ月で終わった"エロ"
しかしこの番組は放送を重ねるごとに“低俗番組”として社会問題化し、3ヶ月後にはリニューアルを余儀なくされる。
つまり、『A女E女』が実際に“エロかった”のはわずか3ヶ月ほどに満たなかった。それでも90年代に青春期を過ごした若者の記憶に強く焼き付いているのは確かだろう。
(下地直輝)