とんねるずと日本テレビの関係といえば、2人がプロデビュー前に出演した『お笑いスター誕生!!』がよく知られている。
そのような状況にあって、上司から特命を受け、とんねるずの新番組を日テレでスタートさせたのが、のちに『進め!電波少年』の「Tプロデューサー」として知られる土屋敏男である。
麻原彰晃も出演 初期の『生ダラ』
『生ダラ』の放送時間は水曜の夜9時からの1時間。翌日の同時間帯にはフジテレビ系で『みなさんのおかげです』が放送されており、とんねるずは一時期、水曜・木曜と連続して異なる局でレギュラー番組を抱えていた。今なら考えられない並びだ。
『生ダラ』はタイトルの通り、番組初期には実際に生放送を行っていた。内容はスタジオに集められた高校生らと、とんねるずがバトルトークを繰り広げるもの。時にゲストが招かれることもあり、その中には、社会問題化する前のオウム真理教の教祖であった麻原彰晃もいる。
参加者の若者が麻原に好きな女優を質問すると、とんねるずが制する間もなく「秋吉久美子が好きだった」と麻原が答える場面も見られた。
生放送から収録に
『生ダラ』に麻原を引っ張りだしたのは、演出を担当していたテリー伊藤であるといわれる。当時のテリーは、未知の国であった北朝鮮にいち早く注目するなど変わり者として知られた。そのほか、初期の番組タイトルは特殊漫画家の根本敬が描いており、ゴールデンタイムとは思えない毒気を『生ダラ』は帯びていた。
だが、徐々に生放送は行われなくなり、ロケ収録のVTRをスタジオで観覧する方式に落ち着く。それでもスタジオ全体がギラついたセットに、爆音とともにとんねるずの2人が登場すると、石橋はセットの階段を登り、上部に設置されたカメラに睨みをきかせる勢いのある番組だった。
輪島功一、定岡正二…『生ダラ』でブレイクした人
この番組で特筆すべき点は、知名度はあるがバラエティ慣れしていなかった著名人をテレビに引っ張り出したことだろう。
1970年代の男性アイドル歌手として知られた、にしきのあきらを“スターにしきの”として再生させたかと思えば、元プロボクサーの輪島功一、元力士でプロレスラーの輪島大士、元ジャイアンツのプロ野球選手であった定岡正二などをイジり倒していった。日本テレビのアナウンサーであった福澤朗のバラエティデビューもこの番組である。
番組内で定岡正二のニックネームとなった“へなちょこサダ”は本人が「おちゃのこさいさい」を「へなちょこさいさい」と言い間違えたことに由来する。VTRを回す中で、偶然生じた一言を笑いに変えていくドキュメント性のある番組であった。
『生ダラ』の魅力とは
さらに、とんねるずの子分格として出演していた勝俣州和を、準レギュラーから番組ADに降格させたかと思えば、滝行やバンジージャンプなど無理難題を押し付け、泣き出す様子を実況中継していた。
時にそれはいじめにも見え、石橋貴明の暴力性として批判されることもあったが、とんねるずにも『生ダラ』にも、過激な笑いの魅力があった。
また、スポーツ選手との交流企画も熱心に行われた。アイルトン・セナ、ジャン・アレジ、鈴木亜久里ら現役のF1レーサーとのカート対決(石橋)や、ジーコやアルシンドなど現役JリーガーとのPK対決(木梨)などだ。
『生ダラ』の放送期間は1991年から2001年までの10年間。90年代のバブリーな空気をそのまま反映した番組が『生ダラ』であったのだ。
(下地直輝)
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