タモリの一言がきっかけで、卓球台の色が緑から青に変わったというトリビアが話題だ。9月25日放送の『林先生が驚く初耳学』(TBS系列)内で取り上げられ、タモリが日本卓球協会に1,000万円を寄付したエピソードも披露された。


タモリは70年代から80年代にかけて「根暗追放キャンペーン」というべきものを行っていた。タモリはアメリカのジャズ文化や、ステージの上でダンサー・歌手・コメディアンらが次々と華やかなショーを展開するヴォードヴィルスタイルの影響を強く受けている。
それに対して、日本的な文化を“ネクラ”として批判していたのだ。

さだまさしを批判したタモリ


特にやり玉にあげられたものが、四畳半が似合うフォークソングであり、その代表格ともいえるさだまさしであった。卓球も地味な室内競技ということでターゲットとなったのだろう。他にも、名古屋やカラオケ、田舎ネタ全般など、タモリが“口撃”したものは多種多様だ。

だが、あれほど“ネクラ”批判を行っていたタモリ自身が90年代は暗かったことはあまり知られていない。

二日酔いで『笑っていいとも!』に出演?


漫画家の小林よしのりは『ゴーマニズム宣言』第6章「同情を禁じ得ない芸能界」において、タモリを以下のように評している。
“酒飲んでよっぱらって子どもいじめて笑いとろうとするとは……は~っ見たくなかったな~やんなっちゃたな~”
“あれほど根クラ追放キャンペーンやってた人間が今はさだまさしより暗いもんな~は~っ楽しくないんだろ~な~仕事こなしてるだけなんだろ~な~”

このエピソードは1992年2月28日放送の『笑っていいとも!』をもとにしたものだろう。この日、二日酔いで登場したタモリは後半のコーナーで「俺は子供が嫌いなんだ!」と暴言を吐いたとされる。この頃のタモリはたびたび二日酔いで番組に挑んでいたようだ。

空回り? タモリの低迷期


32年間の長きにわたって続いた『笑っていいとも!』であるが、90年代前半は低迷期にあったといえる。一定の視聴率は保ってはいたものの、番組のマンネリ化は否めなかった。

この頃のタモリを象徴するものがカツラネタだろう。周囲から指摘される増毛説をさかんにネタにしていた。
タネを明かせば、もともとくせ毛をジェルでなでつけていたものを、ブローするようになったため、見た目の毛量が増えただけのこと。だが、必要以上にはしゃぐタモリの姿は、空回りしており哀愁を誘ったことは確かだ。

攻めから受けに転じたタモリ


だが、90年代後半に入ると、ナインティナインやSMAPの中居正広らによって、好々爺としてのタモリが見いだされるようになる。タモリが攻めから受けに転じた瞬間だ。その後、何度も降板説や売り切り説がささやかれながらも、2014年春まで続くことになる。

タモリの誕生日は、終戦間もない1945年8月22日である。そのため、タモリの経歴はそのまま戦後史に重ねられることが多い。
90年代のタモリの年齢は45歳から55歳である。これは、若くもなければ老人でもない微妙なポジションであろう。それゆえに世の中の中高年に同じく、人生の半ばに自らの行く末について、暗く思い悩んでいたのが90年代のタモリであったと言えるのかもしれない。
(下地直輝)

※イメージ画像はamazonより別冊サイゾー「いいとも!論」
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