歴史は繰り返されるのか?

巨人・岡本和真の外野挑戦の記事をスポーツ紙で読んだ時、そう思った。2年目の今季、イースタンでは18本塁打・74打点の好成績を残したものの、1軍出場はわずか3試合、打率1割という成績で終わった期待の14年ドラ1スラッガー。


入団直後、岡崎郁元2軍監督にインタビューした時に「岡本君は高校時代の1塁じゃなく、まず3塁で育成ですか?」と聞いたら、「まず? ずっと3塁で育てますよ!」と即答してくれたが、今季はここ数年「守備の人」なんてディスられていた、35歳の村田修一が打率3割・25本塁打をクリアして不動の三塁手としてフル出場。1塁にも捕手から再転向のベテラン阿部慎之助が君臨。そこで、出場機会を増やすための外野挑戦プランというわけだ。

ドラフト1位スラッガー・大森剛


栄光の巨人ドラ1内野手。2軍では圧倒的な成績を残しながら、1軍には大物スター選手がいるため、出番に恵まれない大砲候補。ここまで読んで、あるひとりのプロ野球選手を思い浮かべたオールドファンも多いのではないだろうか? 岡本や大田泰示より20年近く前に入団した、89年巨人ドラフト1位スラッガー「大森剛」である。

慶応大学時代は六大学三冠王を獲得し、ソウル五輪の野球日本代表にも選出。
188cm、96kgのビッグマンは名実ともにアマ球界No.1スラッガーとして89年ドラフトを迎え、堂々の「巨人1位指名以外はプロ拒否」宣言。しかし運が悪いことに、甲子園のアイドル元木大介(上宮高)も巨人入りを熱望。
結果的に大森は念願の巨人1位指名を受けるが、対照的に元木は野茂英雄の抽選を外したダイエーホークスの外れ1位指名を拒否して野球浪人。

当時の野球雑誌はユルく、インタビューでは遠慮なく元木に対して「オレの方が上」的なシュートマッチ発言をしていた大森は、微妙なマイナスイメージを背負ったままプロ入りするハメになった。

ツイてないプロ生活のスタート


ほぼ全試合地上波ゴールデンタイムで全国中継されていた時代の巨人軍に入団したドラ1一塁手は、前年に引退した中畑清の「背番号24」を託されるVIP待遇。
そして、ルーキーイヤーの90年開幕ヤクルト戦、同点で迎えた9回裏に代打で出場すると東京ドームの左中間に鋭い打球を放ち、いきなりサヨナラタイムリー……と思いきや、レフト栗山英樹(現日本ハム監督)がダイビングキャッチの超ファインプレー。なんともツイてないプロ生活のスタートを切った。


結局、プロ1~2年目は1軍で打率1割台と苦労するも、3年目にはサードに挑戦して当時イースタン新記録となる27本塁打を放ち、本塁打王と打点王を獲得。
さあついに開花という時に事件が起きた。泣く子も黙る12年ぶりの長嶋茂雄の監督就任である。ついでに息子の長嶋一茂もヤクルトから移籍。同時に大森のサード転向プランはあっさり消え、それからしばらく「2軍の帝王」と呼ばれる不遇の時代が続くわけだ。

水野雄仁が大森にかけた言葉とは?


93年も18本塁打で2年連続のイースタン本塁打王獲得。と思ったら、この年のオフから始まったFA制度で中日から同じポジションの落合博満が移籍してくる不運。
背番号が32に変わった7年目の96年には、25本塁打で3度目のイースタン本塁打王を獲得して、今度こそはと期待されるも、オフに同い年の1塁手・清原和博が西武からやって来る悲劇。
そのあまりのタイミングの悪さにチームメイトからも同情され、96年のオリックスとの日本シリーズで代打ホームランを放つと、先輩投手の水野雄仁からこんな言葉をかけられたという。
「バカだな、おまえ。これでトレードなくなったよ。来年もまた同じだよ」

下手に活躍したら飼い殺されちまう。恐らく、日本シリーズの舞台で本塁打を放って「バカだな」と同僚から声をかけられた選手は、長いプロ野球史でも大森くらいだろう。
なお6年目までつけていた「背番号24」は、慶大の後輩・高橋由伸(現巨人監督)が現在も背負っている。 

引退後の大森剛、見事な逆転ホームラン


その後、再びサードに挑戦したり、契約更改の席で外野転向を直訴してみたりと試行錯誤を繰り返した大森は、98年5月に近鉄バファローズへトレード移籍。この時、大阪に妊娠中の奥さんを連れていく、慌ただしい引っ越しになったという。結局、近鉄でも目立った成績は残せず、98年限りでユニフォームを脱いだ。
90年代の球界で最もツイていなかった男、大森剛。ほんの少しの運があれば、この選手の野球人生は大きく変わっていただろう。
もし巨人じゃなければ、もしFAがない時代ならば……。腐ってもおかしくない状況で、2軍で黙々とホームランを打ち続けた不運のスラッガー。

しかし、大森は引退後に巨人スカウトに転身すると見事な人生逆転ホームランを放つことになる。06年ドラフトでは、あの坂本勇人を担当。己のクビを懸けてドラ1に推薦した高校生は、いまや巨人の押しも押されぬキャプテンへと成長した。
その後、育成部ディレクターを経て、2016年からは国際部課長として勤務する49歳の良きパパとして第2の人生を歩んでいる。


ちなみにあの近鉄へのトレード直後に生まれた子どもは、現在AKB48に在籍する大森美優である。
(死亡遊戯)


(参考文献)
『元・巨人 ジャイアンツを去るということ』 矢崎良一著/廣済堂文庫