なまった体に鞭(むち)打つ覚悟で挑んだ初出勤の朝、清掃車が街へ出発するまさにその直前、彼は想定外の「現場の洗礼」を浴びることになります。それは、覚悟をしていた彼すら思わず絶句する、あまりにも生々しい試練でした――。
定年後の職探しのリアルを描くノンフィクション『60歳からのハローワーク』(飛鳥新社)より、「ゴミ収集業編」を一部抜粋・編集してお届けします。
■63歳の身体に鞭(むち)打ち肉体労働
こんなに駆けたのはいつ以来だろう。家から家へ。ゴミ収集ボックスからゴミ収集ボックスへ。小雨降るなか、ヒーヒー言いながら、走りに走った。
今の自分がどのくらい働けるのか知りたくて、ゴミ収集の会社の日雇い枠に応募したら採用してもらえた。拘束時間は8時間半。実働時間は7時間半。休憩が1時間。清掃車(ゴミ収集車)に乗り降りすること約100回。
身体が熱い。額(ひたい)に浮いてきた汗がやがて流れだし、Tシャツが湿って身体に張り付いた。大変な仕事を選んでしまった。
■路線バスやタクシーの運転手を断念した理由
63歳で職探しを始め、人手不足が深刻な路線バスやタクシー会社の面接を受けた。しかし、自分には難しいと感じた。
理由はいくつかある。なかでももっとも大きな1つはトイレ事情だ。頻尿(ひんにょう)でお腹が緩い自分が運転中に尿や便意に襲われたらアウトだ。その不安を払拭(ふっしょく)できなかった。
年齢とともに尿意の頻度は増している。2年くらい前までは夜間睡眠中にトイレで起きるのはひと晩に1度だった。
路線バスの会社でも、タクシー会社でも、トライすることを強く勧めてくれた。しかし、技術的・体力的に自分にできるとは思えなかった。
職を得ても、どのくらい身体に負荷がかかるのか、リアルにはわからない。そもそも自分の体力や忍耐力もわからない。そこで、職業体験をしなくてはいけないと強く感じた。実際にやれば、苦しさも、もしかしたら楽しさも、身体で知ることができる。
■62歳同世代の「気持ちいい汗」というレビューに導かれ……
そこで応募したのがゴミ収集作業員だった。清掃車の助手席に乗り、ゴミを集めて積み、処理場に運ぶ“ヨコ乗り”と言われている仕事だ。子どものころから自宅のまわりでよく目にした馴染(なじ)みのある職。間違いなく人の役に立つ。
清掃車のヨコ乗りは雨の日も雪の日も酷暑の日もゴミを集めて回らなくてはいけない。肉体的にも精神的にも自分が試される。この仕事ができたら、ほかの仕事もやれるだろう。人としても自信が持てるだろう。
ゴミ収集の仕事は、日雇い専門の求人アプリで見つけた。自分にやれるか、まずは1日やってみよう。そう考えた。体力を求められる仕事であることは間違いない。
最初に採用してくれたゴミ収集会社の住所は東京の郊外。自治体から仕事を受注している会社だった。
「幅広い年代のかたが活躍中!」「未経験者歓迎!」というコピーに魅(ひ)かれた。
「女性も活躍中!」とも書かれていた。必ずしも力持ちでなくてもいいと理解した。
時給は1200円。7時間半働くと9000円もらえる。
求人サイトには、体験者のレビューが掲載されていた。コメントを見る限り、日雇いでゴミ収集を選ぶのは30~40代が多そうだ。若くて動きが機敏な世代が中心だ。それでも、50代後半や60代前半のコメントも混ざっていた。
「やさしくご指導いただき、ありがとうございます。気持ちよく汗をかくことができました」という62歳のコメントが勇気をくれた。同世代がしっかり機能している証(あかし)だ。
この会社は、アルバイトの採用が社員や契約社員など常駐の従業員のリクルートも兼ねているようだ。
■7時間半も動けるのか? 公営ジムでなまった体を鍛える
それでも、採用が決まってから働く日までの2週間で徐々に不安になってきた。7時間半身体を動かし続ける自信が持てない。
しかし、もう後に引けない。自分がキャンセルしたら、困る人がいるはずだ。
その2週間、近所にある自治体が運営する1回300円のジムに1日おきに通った。バーベルを上げ、スクワットマシンにトライし、ペダリングという脚の筋肉を鍛えながら心肺機能も強くなるマシンをこいだ。
たった2週間ジムで鍛えたからといって、すぐに体力がつくことなどないだろう。でも、やらないよりやったほうがいい。少なくとも気持ちは前向きになる。1日ゴミ収集をするために、何日もジムに時間を使い、少額ながらもお金を使うのは本末転倒とも思った。
でも、この機会になまった自分に鞭(むち)を打ち、マシな身体になれる気もした。
■ゴミ収集業は50~60代の作業員が主力か
ゴミ収集会社までは、早朝にガラガラの高速をクルマで走って1時間強。7時30分くらいに着くと、敷地内に何十台もの青い清掃車がすき間なく停められていた。よくもこれほどびっしりときれいに駐車できたものだ。運転技術の高さに驚かされた。停まっているのはほとんどが日野の2トン車だ。
清掃車、つまりゴミの収集に使われている特種用途自動車は、パッカー車という。正式名称は「塵芥(じんかい)車」。作業員が後部のコンテナにゴミを投入すると、内部で圧縮。たくさんの量を積み込める。
事務所を訪れると、会社のロゴが刺繍(ししゅう)された青いユニフォーム、滑り止め付きのゴム手袋、キャップ、雨合羽(あまがっぱ)を貸与された。
更衣室で着替えて外に出ると、朝礼が始まった。清掃車は左後方が見えづらしく、巻き込み事故を起こさないように厳重に注意される。ヨコ乗りの作業員は常にドライバーをサポートすることが徹底された。
朝礼中に周囲を見回すと、50~60代あたりがかなりいる。ほっとした。女性も3人見かけた。外国人が1人いた。欧米系だ。
■最初の試練はまさかのトイレ問題
出発前に、トイレには行っておきたかった。移動中に尿意や便意に襲われるのが怖い。しかし朝礼の後近くにいた社員さんにトイレの場所を聞くと、彼は表情を曇(くも)らせた。
「トイレは事務所の1階です。でも、あとでコンビニへ寄ったほうがいいですよ」
コンビニのトイレを勧めるにはなにか理由がありそうだ。でも、出発前に大小しておきたい。それを言うと、しぶしぶ連れて行ってくれた。
そこで、しぶしぶの理由がわかった。事務所のトイレが工事現場用の簡易トイレだった。スペースが狭く、便座に腰掛けるには蟹股(がにまた)にならないといけない。
照明は切れていて、ボックスの中は真っ暗。ドアはカギが壊れていて閉まらない。もちろん尻洗浄機は付いていない。男衆中心の清掃業の職場ではこれがスタンダードなのだろうか。
雨合羽のズボンを下ろし、ユニフォームのズボンを下ろし、パンツを下ろして腰掛け、ドアが開かないように片手で押さえ、すき間からもれる光を頼りに大小をした。トイレットペーパーはかろうじてあった。
この書籍の執筆者:神舘和典 プロフィール
1962(昭和37)年東京都生まれ。雑誌および書籍編集者を経てライター。政治・経済からスポーツ、文学まで幅広いジャンルを取材し、経営者やアーティストを中心に数多くのインタビューを手がける。中でも音楽に強く、著書に『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』(新潮社)など。
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