片渕須直監督、のん(能年玲奈)主演のアニメ映画『この世界の片隅に』が11月12日に公開された。『夕凪の街 桜の国』などで知られる、こうの史代のマンガが原作。
太平洋戦争の最中、日本最大の軍港だった広島県・呉に嫁いできた少女・すずの日常を鮮やかな色彩と柔らかな描線で丹念に描く作品だ。
参考→映画「この世界の片隅に」原作を一度も読み返していない理由
映画「この世界の片隅に」をより深く楽しむ6つのポイント

今年は新海誠監督の『君の名は。』が空前の大ヒット、『けいおん!』の山田尚子監督による『聲の形』もスマッシュヒットを記録、アニメ出身の庵野秀明総監督による『シン・ゴジラ』もフィーバーを巻き起こした“アニメ・特撮の当たり年”だが、『この世界の片隅に』はその末尾を飾るにふさわしい出来栄え。実写とアニメのボーダーがなくなりつつある現在、邦画の最高峰に位置する映画の一つと言ってもいいだろう。

笑える。泣ける。感情を大きく揺さぶられる。深く心に沁みる。何度も反芻したくなる。『この世界の片隅に』はそんな映画だ。ただ、そんな表現ではなんだかわからないかもしれないので、ここではこの映画の魅力を6つ挙げてみたい。ネタバレなしでお送りします。


のん=すずさんがとにかくハマっていて可愛い!


『あまちゃん』で一世を風靡した能年玲奈が「のん」と名を改めて、主演女優としてスクリーンに帰還! アキ役もすさまじいハマり具合だったが、『この世界の片隅に』の主人公・すずさん役もアキに負けないぐらいのハマり役だ。そしてこれがたまらなく可愛い。というか、愛らしい。

広島生まれのすずさんは、のんびりした性格の絵を描くのが大好きな少女。幼い頃は妖怪が見えたりして、どこか浮世離れしたところがある。あることをきっかけに周作(細谷佳正)に見初められ、昭和19年、19歳のときに呉に嫁いできた。まるで少女のまま、お嫁にきたような感じのすずさんは、戦況が悪化する中でも元気に明るく日常生活を紡いでいく。食料が足りなくなったら、みそ汁にすみれの花だって入れちゃう。

小柄で猫背でまるっこいすずさんと、のんの声がこの上なくぴったりとハマっている。のんの広島弁がまた良いんです。「ありゃあ」「弱ったねえ」「バレとりましたか」……。これらのセリフは、映画を観た人ならすぐに脳内で再生できるはず。多少失敗したって、この子なら許せちゃうだろうなぁ、と思わせる愛らしさだ。


片渕監督はのんの起用について、すずさんの性格がとてもユーモラスだからコメディエンヌである自覚を持っている女優がいいと思って決めたと語っている。片渕監督はオファーの前から、のんの話し方を想像しながら作業を進めていたそうだが、実は他のメインスタッフものんの声をイメージしながら絵を描いていた(※1)。ちょっと出来すぎのようだが本当の話だ。
※1 東スポWEB

アフレコの際は特殊なマイクを使ってのんの息遣いまで収録し、収録したセリフを聞いて絵を変えた部分さえあるのだというから、ハマり役になるのは当然。のんの作品に対する理解の深さも大いに役に立った。アニメ評論家の藤津亮太は、「のんさんは『すずさんを実在化する』というこの映画のミッションにおいて、最後のピース」と表現している(※2)。
※2 『この世界の片隅に』劇場パンフレット

こだわり抜いたキャラクターの芝居が凄い


劇中、キャラクターたちがとても細かい芝居をする部分も印象的だ。キャラクターデザインと作画監督を務めた松原秀典は、絵コンテを見せられて「作画期間に2年半は必要な作品」だと思ったという(※3)。
※3 『この世界の片隅に』劇場アニメ公式ガイドブック(双葉社)

基本的に日本のアニメは顔のアップのカットの積み重ねで進んでいくが、『この世界の片隅に』の場合、常にフレームの中に全身が入っていて、キャラクターは立ったり座ったりを繰り返す。これは日本のアニメでは非常に珍しいもので、とても手間がかかるとされている。さらに片渕監督からは大量の直しの指示が来て、常に「地獄のトライ&エラー」を繰り返してきた。

「日常芝居をアニメーションでやるのは、時間がかかるなぁ」というのが松原の率直な感想である(※4)。だが、それをやりきってしまったところが、この映画の凄いところだ。

※4 『アニメージュ』12月号「この人に話を聞きたい」松原秀典

もう一つ、通常の日本のアニメは原画と原画の間をつなぐ「中割り」を省略して、作業量を減らしつつキレのある動きを追求してきたが、『この世界の片隅に』では、すずさんたちの生活感を出すため、執拗に中割りを入れてジワーっと動く部分を大事にした(※2)。最終的に1カット300枚程度になったという。キャラクターをゆったり動かすことで、実写のようなリアリティを出していったのだ。

ふとした男女のシーンから濃厚なエロチシズムが漂うようのは、こうした動きの生っぽさに理由があるのだろう。

徹底的な調査によるディテールが凄い


『この世界の片隅で』の制作にあたって重視されたのが、考証作業だ。もともと、こうの史代の原作自体が大量の資料にもとづいた情報量の多いマンガだった。こうのは高校時代の恩師から「足で描け!」と教えられていた(※3)。

片渕監督をはじめとするメインスタッフは、脚本やキャラクターデザインを行う前から徹底的な風景のロケハンを行いはじめた。戦前から戦時中の広島や呉の景観をできる限り再現しようとしたのだ。そのためにスタッフは資料を集め、野山に分け入り、当時を知る人たちと会って話を聞いた。

映画の冒頭に登場する8歳のすずが歩いた広島の中島本町もできる限り再現した。子どもたちがヨーヨーで遊ぶのはヒコーキ堂、その向かいにあるのが立野玩具店、洋服地を扱う大津屋の前に立っている親子連れは関係者から話を聞いて様子がわかった大津屋の奥さんと生まれたばかりの赤ちゃんだ。その後、中島本町は原爆でほとんど消失し、大津屋の親子も原爆で亡くなっている(※3)。
『探偵ナイトスクープ』に昔の写真に出てくる人を特定して探してほしいという依頼や、戦時中の手紙を解読してほしいという依頼があるが、調査結果を集めて作品に入れ込んだような感じさえする。

「当時の街並みを再現していくと、すずさんが本当にその場所に立っていたように感じられてきます。それは映画を見ている観客にとっても同様です」と片渕監督は語る(※3)。背景のディテールを突き詰めることで、キャラクターの実在感を強めているのだ。

スタッフはすずさんたちが戦時中に食べた食事を再現して、自分たちで食べたりもした。すずさんの実家の生業である海苔づくりも経験している。スタジオにはもんぺや防空頭巾もあったそうだ(※4)。徹底的にディテールにこだわった作品づくりは『シン・ゴジラ』とも通じるものがある。6年もかけて広島について調べまくった片渕監督は、キャンペーンで北海道を訪れた際、「敵地に来てしまった」と思ったという(日本シリーズネタ)。

だからといって超リアルタッチの息苦しい画面が続くというわけではなく、むしろまったく逆で、作品に登場する風景はとても柔らかくて美しい。町並みや自然の描写は『この世界の片隅に』の見どころの一つだ。

ミリタリー面でのディテールも充実しており、戦艦大和、巡洋艦青葉をはじめとする数多くの軍艦が微細に描かれる。
原作者のこうの史代は戦争について、「ある種の“わくわく感”」を込めて描こうとしたと語っている。「ひとが戦争に惹きつけられてしまう理由を説明するには、その魅力も同時に描かないといけない」からである(※5)。
※5 『ユリイカ』11月号「特集 こうの史代」

空襲の様子、迎撃する高角砲(高射砲のこと)の描写も極めてリアル。高角砲は空中で爆発して飛散する破片で相手の敵機にダメージを与えるのだが、地上に落ちてくる破片の音は、音響設備の良い映画館でなくても思わず身を屈めてしまうほど。音響監督は片渕監督自身、音響効果は三池崇史作品や北野武作品などを手がける“日本で最も多忙な音効マン”柴崎憲治。

草の根で作られた“「みんなが本当に観たかった映画」


2010年から企画開発がスタートした『この世界の片隅に』だが、すぐに資金繰りが暗礁に乗り上げてしまう。企画成立――出資者が集まるまでの資金は片渕監督の持ち出しで進んでいたものの、長く続くわけがない。最後は貯金が4万5000円になってしまった。一家4人、1日100円の食費で過ごす日が続いたという(※6)。
※6 日刊サイゾー

突破口を開いたのが、一般の人から制作資金を調達する「クラウドファンディング」だ。全国から3374人、3912万1920円もの支援を集めることに成功した。支援を行った人の中には、片渕監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』のファンも多かった。片渕監督がこうの史代作品を映画化すると聞いて、「絶対に観たい!」と思った人がこれだけいたのだ。


実際に3000万円強で映画が制作できるわけではないが、出資者に対して「この企画にはこれだけの数のファンがいる」と言えるのは大きかった。いわゆる「ファンの可視化」である。ちなみに3000万円は実際の予算の1割程度らしい(※3)。

また、制作と並行してイベントや展示を精力的に行い、ファンを増やす努力も続けてきた。支援者の輪がどんどん広がり、草の根での盛り上がりを見せていく。

「どうしても、観てほしい映画があります」――。こんな一文で始まる“推し文”が映画館・立川シネマシティの公式サイトに載った(※7)。観た人をこんな気持ちにさせる力が、この映画にはある。
※7 立川シネマシティ

完成まで6年もの歳月を要した『この世界の片隅に』。最初の試写の後、プロデューサーの丸山正雄は感極まって泣きながら「生きていてよかった」とつぶやいたという(※6)。丸山は、手塚治虫の虫プロでキャリアをスタートし、出崎統、今敏、細田守ら日本のアニメを代表する名監督たちの作品をプロデュースしてきた人物である。

戦争映画というより“日常”映画


「あー、戦争映画ってなんか重くて苦手」と敬遠してしまう人もいるかもしれない。実は、のん自身がそうだった。「私は戦争とか暴力とかを見るのが苦手で、これまで目を向けずにきたんです」と語っている(※3)。

『この世界の片隅で』は戦時中を舞台にしているが、登場人物は声高に「戦争反対!」などと叫んだりはしない。健気に、必死に、日常を生きているだけだ。のんは演技する際、「戦争への嫌悪感を全面的に出すのではなく、普通に生活しようとしているところを強く意識し続けました」と語っている(※3)。

楽しいことも、悲しいことも、男女のことも、ぼーっとすることもある、かけがえのない普通の日常が続く。途中、ひどく大変で辛いことが起こるけれど、それで世界が破滅するわけでもない。やっぱり日常は続いていく。長く長く続いていく。

風景や町並みなどのディテールや考証を徹底的に詰めた理由は二つある。一つは、すずさんをはじめとするキャラクターが本当にどこかに実在していた人物のような気にさせるため。もう一つは、観客と映画の中の世界を地続きにするためだ。

いろいろな要素を積み重ねて作り上げた作品の中の日常は、スクリーンを越えて観客の日常へとつながっていく。この映画はフィクションだが、けっして“絵空事”ではない。すずさんはきっと、観た人の心の中に住み続けるようになる。「すずさん、あの後、どうしたかなぁ?」と想いを馳せるようになる。

すずさんが生きている世界と、われわれが暮らしている世界は地続きだ。そう感じることで見えてくる何かがあると思うし、スクリーンを越えてくる映画というものの力強さを感じることにもなると思う。

エンディングクレジットが凄い


よくエンディングクレジットが出はじめると席を立つ人がいるけど、『この世界の片隅に』は絶対に立たないほうがいい。もうこれ以上は言いません。最後まで席を立たないでください。コトリンゴのエンディングテーマ「たんぽぽ」を聴きながら、画面に目を凝らしてください。

「生きるっていうだけで、涙があふれてくる」というのは、のんが完成披露試写の挨拶で語った言葉だ。この言葉とともに映画の内容を振り返ると、やっぱり涙があふれてくる。『この世界の片隅に』、ぜひ劇場でご覧ください。
(大山くまお)
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