しかし今年、多くのファンに惜しまれつつ、現役を引退。そこで今回、鈴木さんにプロ入り生活や盗塁の極意など、さまざまなことをお聞きしました!
度肝を抜かれた松井秀喜の打撃
鈴木さんがドラフト4位で読売ジャイアンツ(巨人)に入団したのは1996年。福島県の県立高校の出身で甲子園出場経験もなく、けっして全国的な選手ではありませんでした。
しかし巨人がドラフトで自身を指名。「まさか指名されるとは。ビックリという表現が一番」と当時の心境を振り返ります。

初めてのプロの世界。あのスーパースターに度肝を抜かれたそうです。
「松井(秀喜)さんの打撃は本当にゴルフボールを打っているかのようでした。どこまで飛ばすのかなと。多くの選手の中でも、特に圧倒的な存在感でしたね。目の当たりにしたときはとんでもない所にきたなと思いました」
転機となった原辰徳との出会い
入団後、しばらくは二軍生活が続いた鈴木さんですが、2001年のシーズンオフに原辰徳さんが監督に就任したことが大きな転機に。2002年以降、鈴木さんは一軍出場の機会を増やしていきました。
「なにかと声をかけてくださいました。
長年、原さんの元でプレーしてきた鈴木さんですが、選手として感じた「原監督」の凄さとして、積極的に若手を起用する姿勢を挙げます。
「人を適材適所に動かす能力が凄いと思います。競争の中でふるい落とすシビアな部分がありながら、いつも尻を叩いてくれるような存在でした。原監督はある程度計算できるベテランよりも、新しい若手を積極的に起用して強いものを作っていくんです。そういった覚悟の強さも凄いなと感じましたね」
実際に鈴木さんも、2002年の日本シリーズにて、自身が「よく使えるな」と思ったというほど重要な場面で代走起用され、翌年以降の飛躍に繋がりました。
鈴木尚広が参考にした赤星憲広の走塁
ところで鈴木さんが一軍に出場し始めた頃、特に走塁の参考にしたのが、阪神タイガースに在籍していた赤星憲広さんだったとのこと。
「敵のチームでしたけど、ずっと塁に出てほしかったです(笑)。どんな走塁をするのか、プレイヤーとして学びたいというのとファンとして個人的に見たいなという思いでした」
そんな赤星さんといえば、解説時に鈴木さんの走塁を称賛している姿も印象的。赤星さんとのこんなエピソードをお話ししてくださいました。
「赤星さんが解説等で球場に来られたときはご挨拶しにいくと、そこから20分くらい野球談議をしていました。赤星さんも元々のスピードに加えて頭脳を使って走る走塁論は、自分の考えとも近いです」
鈴木尚広が語る葛藤
鈴木さんはその後、巨人で「代走のスペシャリスト」として不動の地位を築きましたが、それまではもちろん、レギュラー選手になるべく練習を続けていました。レギュラーではなく代走起用が主となることの葛藤はなかったのでしょうか。
「葛藤はありましたね。

実際に、巨人といえば勝利が命づけられている球団であり、毎年ライバル選手が入団してくるような環境にあります。そんな環境を振り返り、鈴木さんはこう語ります。
「選手としては嫌ですよね。チームが優勝するために仕方ないと部分がありつつも、また来るのかというのもやはりありました(笑)。でも、そんな状況をモチベーションに変えていけたと思います」
「勝負を決める役割」責任が重い代走の立場
さて、ここからは鈴木さんの代名詞ともいえる走塁について。
鈴木さんは代走という失敗が許されないプレッシャーの中で、スタートを切れる勇気を持つためには「その前の準備を完璧にこなしている」ことが重要だといいます。
確かに鈴木さんの綿密な準備はたびたびドキュメンタリーでも特集されてきました。球場には一番乗りで入り、デーゲームの日は朝7時に球場入りします。
このような準備を毎日継続できた一因として、代走という特別な立場が関係しているそうです。
「自分は代走として勝負を決める役割でしたから。チームが託してくれる責任の重さも感じていましたし、自分が出てきた時のファンの皆さんの盛り上がりを肌で感じますからね。
50m走のタイムは関係ない? 鈴木尚広の盗塁論
それでは、具体的に盗塁を決めるために必要なことは何なのでしょうか。
鈴木さんは「スタート命ですね」と即答。スタートが良くないと30mに満たない塁間で、勝負することはできないと断言します。
そのような考えもあってか、「50m走や100m走のタイムが速いことは関係ない」という考えの鈴木さん。50m走のタイムなどがフィーチャーされがちな現状に異を唱えます。
「競技性がまったく違うので、50m走と塁間を比較するのはどうなのかなと僕は思います。『足が速い=盗塁が速い』という安易な考えはなくしていきたいと思いますね」

確かに過去には、ある球団が100m走の日本記録保持者を代走のスペシャリストとして獲得したものの、活躍することができなかったというケースも。
「上手くいかなかった理由はたくさんあると思います。100m走のスタートは音で反応しますが、盗塁は投手の動きを見ての反応ですからね。しかも牽制球があるため、戻ることも考えないといけないですから」
打球判断を良くするためには?
ところで鈴木さんといえば、盗塁だけではなく打球判断も凄かった印象。打球判断を良くするコツをお聞きしました。
「打球判断で大事なのは、打ったものにすぐ反応するという本能的な部分と、事前にどんな打球が飛ぶかを想定することです。ただ単にすぐ打球に反応するのはギャンブルになってしまいますが、ある程度ここに飛ぶだろうという確率を考えていると、良い走塁ができやすいと思います」
それでは、鈴木さんはどのように打球方向を予測していたでしょうか。
「たとえば投手にしても何を投げるのか、捕手の構える場所で球種も限られてくるし、野手の位置、打者のタイプも見ます。追い込まれたら打つ方向性を変える打者もいるんですよ。そういった様々な確率を考えていけば、打球方向はだいたい限られてきます」
松本匡史と鈴木尚広…継承される"稲妻"
ところで球場でファンが演奏する応援歌にも、鈴木さんの走塁に対する期待の大きさが現れています。
「打席に立っていても、『走れ』とか『スタート』とかで打撃のキーワードがひとつもないですからね(笑)。そういった意味では、どこかに少し入れてほしかったとは思います(笑)」

しかし、かつて巨人で活躍した「青い稲妻」松本匡史さんの応援歌も走塁に関するフレーズのみだったとのこと。奇しくも鈴木さんの応援歌には、「稲妻継承」というフレーズがあります。
「そういった意味では継承されているんですかね。ファンの皆さんは時代を遡って応援されている方ばかりなので、松本さんと重ね合わせているところがあったのでしょうかね」
ところで松本さんはその異名の通り、青い手袋が代名詞でしたが、鈴木さんは鮮やかなオレンジの手袋が印象的でした。この手袋をするようにきっかけを振り返ります。
「代走という役割増えたから、派手なのを作ってみようかというメーカーさんの提案からでした。最初は派手で恥ずかしいなと思ったのですが、人工芝にあの色が映えるので、良いなと思うようになっていきましたね」
鈴木尚広の今後は?
最後に、現役を引退された鈴木さんの今後についてお聞きしました。ファンとしてはコーチとして、球界に戻ってくることを期待してしまいます。
「ある種、稀な野球人生だったというのもあるので、自分がやってきたものをこれからの若い世代に伝えることをテーマにやっていきたいなと思います。
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