日本が誇るエンターテイナー・堺正章が“炎の料理人、三ツ星シェフ”として、ゲストと楽しいトークをしながら、「街の巨匠」からレクチャーされたメニューに挑む『チューボーですよ!』(2013年11月23日からは『新チューボーですよ!』)。最後にできあがった料理を試食し、ゲストが評価を下す。
1994年4月9日から足かけ22年と9カ月にわたって、“キョショー”堺が最高の料理でもてなすべく奮闘してきた。「いただきました! 星、3つです!!」の決めゼリフはもはや堺の代名詞。番組を企画した初代演出担当(現在は企画監修)にして、『タモリ倶楽部』『出没!アド街ック天国』などを制作する「ハウフルス」の代表である菅原正豊に話を聞いた。

ーー番組を企画した経緯はどのようなものだったのでしょうか?

菅原正豊(以下、菅原) 「料理がテーマのエンターテインメント番組」をずっと作りたいと思っていたんです。普通の料理番組みたいに、作り方をレクチャーしたり、美味しいメニューを紹介するだけじゃなくってね。日本でも放送されていたカナダの『世界の料理ショー』って番組があって、その日本版がやりたかったの。料理研究家のグラハム・カーが軽快におしゃべりしつつ、華麗な包丁さばきで食材を切ったり、胡椒と塩をジャグリングみたいに鮮やかに振りかけたりしながら調理してゆくって内容なんですけど、日本でその役割ができるのは堺(正章)さんしかいない、ってお声をかけたのが始まりです。

ーー堺さんと本格的にお仕事するのは初めてだったんでしょうか?

菅原 ビリヤードをテーマにした『出没!玉突き』(87~88年、日本テレビ系)や、『芸能人ザッツ宴会テイメント』『夜も一生けんめい。』(ともに日本テレビ系)といった音楽番組などでご一緒する機会は多かったです。ただ、番組が開始する94年ころの堺さんは司会の仕事が中心で、エンターテイナー的な部分を見せる機会が少なくなっていた。『新春スター・かくし芸大会』(フジテレビ系)は年に一回だしね。何でも器用にこなせる堺さんがメインなら、笑いや音楽や芝居の要素が入った新しい料理番組ができるだろう、と。
でも「料理なんてやったことないから、自信がない」と言って断られたのをなんとか口説いて始まりました。

ーー堺さんの料理のウデはいかがだったんでしょうか?

菅原 僕らが見落としていたのは、堺さんがお坊っちゃま育ちだったこと。辻調理師専門学校さんの先生たちも交えて、料理の腕前を見せてもらおうとしたら、包丁さえ持ったことがないのがわかって(笑)。練習してどうにかなる基礎さえないから……。5歳のころから芸能界で仕事してて、16歳で「ザ・スパイダース」でデビューしてるから、台所に入る機会がなかった! アシスタントに決まってた雨宮(塔子。当時、TBSアナウンサー)も平均以下で……。初回の放送日はもう決まっちゃってるし、「番組として成立するのか?」って不安いっぱいで八王子の料理学校から帰ったのをいまだに覚えてますよ(笑)。

ーー経験の少ない料理というジャンルに挑戦する堺さんを見せるってコンセプトだったのかと思っていました。

菅原 『かくし芸大会』での「テーブルクロス引き」はもちろんだけど、トム・クルーズの映画『カクテル』の華麗なカクテルづくりのパフォーマンスだったり、ドラマの『天皇の料理番』のイメージもあったしね。それで初回の収録でイタリアンのボンゴレ・ロッソに挑戦してもらったんだけど、アサリを鍋に入れたら火がブワッて炎上しちゃって、堺さんが怖がって一目散に逃げ出してね(笑)。コンロに近づいたこともなかったんだろうな……。でも、本気で驚くスリリングな様子が面白くて「もしかしたら、これは面白くなる!」って確信しました。
なにしろ司会者が逃げちゃうんだから(笑)。発想を転換して、料理が上達してゆく堺さんそのものをドキュメントとして見せればいいな、って。

このような「エンターテインメント性あふれる料理番組」に加え、もうひとつのコンセプトとして菅原が狙ったのは「日本で最も美味しい料理を作る」ということ。イタリアン、中華、フレンチとそれぞれのメニューを一流のシェフたちが「街の巨匠」として、レシピやコツをVTRで指導する。

ーー12月10日放送の井上順さんがゲストで登場した回は天津丼に挑戦してましたが、街の巨匠は四川飯店、赤坂離宮、Turandot 臥龍居といずれも名店ばかりでした。

菅原 初回なんか、お手本を示してくれる「街の巨匠」には飯倉のキャンティに西麻布のアルポルトと広尾のアクアパッツァ、渋谷のトゥリオ……イタリアンの錚々たるお店に協力してもらってね。そのときは7人ぶんのVTRを用意していました。

ーー7人も! いまは3人ですよね。

菅原 初回はどうなるのか見当もつかないので多かったんです。VTRだけでも成立できるくらい万全の準備をして(笑)。結果的に、取り越し苦労で済んで一安心。そんな経緯もありつつ、スタジオパートがじゅうぶん面白いのが実感できたから、今の3人に落ち着きましたね。
重要なポイントなんですけど「街の巨匠」のレクチャーに見合うように、スタジオにもプロ用の長厨房を用意してるんです。イメージしたセットは舞台のステージ。だから、フライパンのオムレツをひっくり返すときはドラムロールが鳴るし、生本番さながらでたとえ失敗してもやり直しはできない。それに、料理番組によくある「焼き上がったものがコチラ」みたいな差し替えはしない。実用的な料理番組ではなく、料理バラエティなので効率性は二の次。だから収録にはとても手間がかかってるんです。

ーー収録はどのくらいかかるんですか?

菅原 30分番組なのに平均2時間半です。蒸し料理だったら蒸しあがるまで20分待つとか、うどんもうどん粉を打ってしばらく寝かせて茹でるまでの全工程を堺さんとゲストだけでやるから。1回の収録で4時間くらいかかったこともありますよ、あのときはケーキだったかな。それに、ピザの生地を回すパフォーマンスも果敢に挑戦するんです。上に投げてポーンと。芸事の素養があるから、見よう見まねで雰囲気をつかんじゃう。


多彩なゲストが毎回登場するのも番組には欠かせない要素。雑誌インタビューで堺が番組について語った言葉を借りれば「僕が調理しているのは、料理ではなくゲストというわけです」。トークはもちろん、歌やダンス、コントでゲストの魅力を引き出すのは堺の真骨頂である。

菅原 何と言っても堺さんは、歌えて、踊れて、芝居ができるエンターテイナー。トークはどこまで先を読んでるんだろうって感心しますよ。特に大御所のみなさんのイジり方が絶妙! 森光子さんがおいでになったときは「おかみさ~ん、チューボーですよ~!」って『時間ですよ』のオープニングのパロディから登場していただいて、堺さんが「本日作るものは、すいとんと防空頭巾です」って言ったり、里見浩太朗さんとはお玉を刀に見立ててチャンバラしてもらったり、極めつけは仲代達矢さんに対して「冷蔵庫に頭入れて冷やしとけ!」って弟子のように叱りつけてね(笑)。

ーー滅多にバラエティに出ない方がたばかりですね!

菅原 当時やってた「親方シリーズ」ってミニコントの中でのノリで、シャモジを持っているほうが親方として振る舞ってもいいってルール。堺さんはエラそうにしていたのが最終的にはシャモジを奪われて形勢逆転されちゃう。仲代さんも「ニンジンでも加えとけ! 口答えするなよ!?」って、張り切ってくださって。あれには笑ったなあ……。

ーー先日の井上順さんゲスト回で、「お世話になりました~♪」って歌いながら登場するのもカッコよかったです。

菅原 厨房という名のステージですから、何やったっていい空間なんです。
時代劇でもコントでも。だから、内田裕也さんがゲストだったらロックンロールをやるし、同じグループサウンズ出身のショーケンさん(萩原健一)とは、ザ・テンプターズの代表曲「エメラルドの伝説」を一緒に歌ったりね。ショーケンがバラエティ番組で歌ったのは初めてだったんじゃない? 先輩や同世代だけじゃなくって、山下智久くんと「青春アミーゴ」を踊ったこともありますよ。

ーー堺さんの多芸多才ぶりがベースにあるわけですね。

菅原 何でもありってのは実は大変で、迎え入れるホストの力量が問われるわけです。その点、堺さんは誰とでもできるし、ゲストのみなさんも彼に一目置いてるから委ねてくださる。そこが22年9カ月続いた最大の理由でしょうか。

エンターテイメント性の高さが目玉とはいえ、最終的には作り上げた料理をゲストが星の数で評価する。そのジャッジに手加減はない。

菅原 ゲストのみなさんには「率直な評価をしてください」とずっとお願いしてました。だから、「無星(むぼし)」も1080回の全放送回の中で7、8回くらいあります。初めてはわりとすぐで、11回目の研(ナオコ)さん。
肉まんが難しくて、蒸し器の中でなかなか膨らまなかった。あとはナス田楽がヒドい仕上がりになったときは、ゲストの岸本加世子さんが「おいしいものが食べられる、って聞いてきたのに~」って嘆いて一刀両断(笑)。

ーー落ち込んだ表情の堺さんがとてもチャーミングで(笑)。

菅原 一応、三つ星がもらえるように必死に頑張るのがコンセプト。“キョショー”堺が星を決める前に「今日のデキは最高だ!」って意地になって言っても、ゲストの率直な評価でやり込められる面白さ。堺正章が失敗してケナされて「カッコよくステキに恥をかいている姿」もまた最高に魅力的。本人も本番が終わったら「今日は無星だな」なんて言ってますから(笑)。

ーー堺さんにとっては子供くらい歳の差があるオードリーさんもゲストで登場してます。若林(正恭)さんが趣味でソバを打ってるって話をしたとき、堺さんが「ああ、足で踏むんだ」って発言をして、若林さんに「キョショー、それはうどんです」ってツッコまれたところを、すぐさまワザとボケたようにゴマかしててグッときました!

菅原 懐が深いですよね。番組開始当初は、“堺しぇんしぇい”ってニックネームで呼ばれてたんですよ。その前の『西遊記』のころは“マチャアキ”。この番組発信の“キョショー”がけっこう早い段階で浸透して嬉しかったですね。漢字じゃなくて、カタカナの軽い感じが堺正章を体現してると思いません?

ーーまったくその通りですね。ちなみに、堺さんはプライベートで料理をするようになったのでしょうか?

菅原 親子丼を友達にふるまったことがあるみたいですね。専用の親子鍋を買い込んで。少なからず興味は持ってくれたみたい(笑)。

ーー12月24日(土)の放送で、ひとまずの幕引きということですが……。

菅原 余韻まで楽しめる番組がおしまいになるのは寂しいですね。オープニングでゲストが入ってきて、時に悪戦苦闘しつつ、時にみんなでワイワイ料理を作って、エンディングでビール片手に語らいながら終わってゆく……。24日(土)の放送はこれまでの総集編と、初代アシスタントの雨宮とプライベートでも仲が良い唐沢寿明くんがゲストに来ます。15分拡大のスペシャルバージョンなので、ご期待くださいね。とにかく、テレビマンとして僕が若いときからずっと憧れていた堺さんと長い間仕事ができて幸せでした。


『タモリ倶楽部』制作会社・ハウフルスと演出家・菅原正豊の90年代に続く【中後篇】


プロフィール:
菅原正豊(すがわら・まさとよ)1946年1月28日生まれ。52年、慶應義塾幼稚舎に入舎。一貫して慶應で学び、68年に慶應義塾大学法学部を卒業。大学在学中に桑沢デザイン研究所に通いビジュアルデザイン科卒業。また、66年からはアルバイトで日本テレビ「11PM」のアシスタント・ディレクターを務める。78年にテレビ番組制作会社・ハウフルスを設立。手がけた番組は『愛川欽也の探検レストラン』(テレビ朝日系)、『Merry X'mas Show』『THE夜もヒッパレ』(ともに日本テレビ系)、『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)、『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ系)、『どっちの料理ショー』(読売テレビ系)など多数。
現在、放送中の番組では『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)、『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)、『秘密のケンミンSHOW』(読売テレビ系)がある。
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