稲垣「昨日はよく寝れましたか?今日は最後まで僕らとみんなたちだけの素敵な思いでをつくりましょう」
中居「元気だった?久しぶり?今日はみんなを幸せにしてやるからな!」
7曲目『Major』を歌い終えて、メンバーから一言ずつ挨拶をした。この頃のアイドル発言がたまらない。

SMAPのDVD年末までに全部レビューその17。歌声だけだった、あのSMAPが言葉を残さなかった
ハードスケジュールの合間を縫って、SMAP6人で考えたコンサート「SEXY SIX SHOW」
イラスト/いしきりひなほ

6人で考えた「SEXY SIX SHOW」


1994年7月からスタートしたツアー「SEXY SIX SHOW」。映像には最終日の武道館公演が収録されている。VHSの発売は同年11月、2003年12月24日にDVD化された。

映像はNYで撮影した映像からはじまる。シルバーの長いマントを着た6人がステージに登場。裾からは白黒のストライプのパンツがのぞいている。曲がすすむにつれて、胸元が開いて赤いジャケットが見えていく。
『働く人々』、『HeyHeyおおきに毎度あり』とメンバーが歌うのと一緒にファンも大合唱している。この頃の応援スタイルだったよう。

大阪からスタートしたツアーは全国15ヵ所をまわった。実は広島公演に向かう羽田空港で、稲垣が5分遅刻してしまい出発時刻を遅らせてしまった。
楽屋に到着すると、中居と木村、森、香取の4人はすぐに横になって仮眠をと
り、稲垣は風呂、草なぎはCDラジカセで音楽を聴く……。
一昨日は大阪での3公演、前日は東京でテレビ番組収録、そして広島で2公演と過密スケジュールが続いていた。
移動や公演の大変さもさることながら、ツアーが決まってからは、ステージ構成から選曲、MC、衣装に至るまで、6人で何度も話し合って決定したとある。(「Myojo」/1994年10月号参照)
SMAPメンバー全員で手がけたライブが「SEXY SIX SHOW」だ。

バックダンサーにはたくさんのジャニーズJr.とKinKi Kidsがついている。特にKinKi Kidsの二人は顔がはっきりと分かるくらい映っていて、SMAPのメンバーをエスコートしたり、ステージの合間にスペシャルゲストとして『日本よいとこ摩訶不思議』を披露したりと初々しい時代の活躍が見られる。

衣装チェンジをしても、歌っていくにつれて前のボタンが外れて素肌がみえていく。特に木村と森のステージでは、黒の短いベストに短パンという露出の多い衣装で登場し、セクシーなステージに仕上がっていた。この頃の衣装はショート丈のジャケットやノースリーブが多く、アンコールでは上半身はだかになることも多い。汗だくでエネルギッシュに動き回る当時のSMAPにはそれくらいがちょうどよかったのかもしれない。

ライブ映像の合間に、NYでの様子が流れる。SMAPTシャツを着てきた中居、わたあめをわけあって食べる森と草なぎ、街を眺めて「広いな」と漏らす木村。サングラスが似合う稲垣、対照的にまだあどけなさが残る香取。
草なぎがコメントする横で「慎吾と剛でしんつよ」「ストップザしんつよ、ストップザしんつよ」ラップをはじめる慎吾ちゃん。
つよぽんのコメントを聞いちゃいない。
歩道に大きな穴があいているのを発見した中居。地下へと続く階段があって降りるとフタを締められてしまう。「バカ、やめろ!」この頃からキャラが変わってない中居くん。続いて、公園で踊る女性たちに混じってストリートダンスをして遊ぶ6人。ファンキーなおばちゃんが登場して、不思議なダンスに笑い合うメンバー。最後は記念撮影を頼まれていた。

個性的なメンバーの楽屋裏レポ



「Myojo」ではライブレポに続いて、楽屋裏の様子も写真つきで掲載されていた。
楽屋に置いてあったギターを持った慎吾ちゃんに、後ろから包み込むように教える木村くん。兄弟のように写る二人。
そのまた慎吾ちゃんも、バックダンサーをつとめたジャニーズJr.を集めて毎晩ゲーム大会をしていた。
ドラマ『東京大学物語』の台本を持って広島入りした吾郎ちゃん。Gパンをはいたまま浴槽で泡だらけになっているつよぽん。
デニムの色落ちを楽しむのが深夜のお楽しみ。木村は楽屋で黒いガウンを着ている。リハーサルの合間にドラムを叩いたりバンダナを巻いたり、オフショットもカッコイイ。一方、中居くんはGジャンにデニムの短パンを合わせてサングラスを下にずらして横になっている。レポの最後にKinKi Kidsの二人の言葉があった。
「後ろで踊ってもめちゃ楽しい。最高のステージです」

ライブ後半。中居がひとりでステージに立っていた。
「7月のね、24日から大阪厚生年金会館からはじまりました夏のツアーSEXY SIX SHOWもですね、約40日間67回公演にわたったこの夏の全国ツアーもですね、今日8月の30日、ここ武道館で夏休みが終わると同時にですね幕を閉じるわけですけど。またこういう機会があったら、みなさん遊びにきていただきたいと思っております」
挨拶はここで終わりかと思いきや、
「いつもねみなさんが応援してくれているときは、肉声でね応援してくれているわけじゃないですか。生の声で。ですから今日はボクもマイクをとってですね、みなさんにお礼を言いたいと思います」
中居がマイクを外して顔を上にあげて思いっきり叫ぶと、その瞬間に大歓声があがる武道館。
「SEXY SIX SHOW」本編のラストは、6人が両手で投げキスをした。

「いまがんばってれば神様が見ていてくれるんじゃないかって」


「JUNON」(1994年12月号)では2人ずつペアになってインタビューに答えていた。人気の高まりと共に、生活スタイルや環境が変わっていったこの頃の様子がみえてきた。

「芸能界に入って女性に対する考え方は変わったか?」という質問に森と中居は、
森:この仕事と恋愛を両立するのって難しいからな。僕の場合、今は特定の女の子をつくる時期じゃないと思ってるけど。

中居:デビューする前とか売れる前の、4〜5年前のSMAPだったら、女の子と一緒に買い物に行ったり、遊園地に行ったりデートとかもできただろうけどさ。いまとなってはね。それは男の友達でもそうなんだけど。街を歩くってこと自体が、今はできないから、寂しすぎるよね。

夏休みの学生が汗だくで買い物している様子を車から見ていた二人。
ニュースで猛暑が報じられていても、冷房のきいたスタジオなどにいるからピンとこないと話す森。中居は「ツアー中は太陽をぜんぜんみないよな」。

森:夏はもう3年くらいそうだね。
ホテルの地下からさ、カーテンを閉めっぱなしの車に乗って外に出て、ホールや仕事場に行って、そこを出るときには夜になってる。
中居:地面に足をつかない生活。俺らなんかそういう生活が当たり前になって慣れたけど、ときどきフッと寂しくなる。普通の人だったらこんなの耐えられるのかなぁ。
森:俺、外に出たくてたまんなかったもん。

「そんな生活でもがんばれるのはどうして?」質問が続く。
森:大きな目標があるからじゃない?今は将来のための土台を作るとき、勉強のときだから。その土台作りを楽しんでやりたいしね。

中居:今がんばってれば神様は見ていてくれるんじゃないかなって。あとは、やっぱりファンの子だよね。みんなと舞台で会ったとき、喜んでる顔とか、楽しんでる顔を見るのが俺にとっての幸せだから。いくら眠くても、辛いことがあっても、辛い顔を見せちゃいけない。
俺らってそういう仕事だもん。それがお金をもらってるプロでしょ。

みんなの喜んだ顔を見るのが好き


1994年のツアー「SEXY SIX SHOW」中に右足太ももの肉離れを起こした中居。それでも午後からの2公演目には何ごともなかったかのようにステージに立った。その時のコメントがこれだ。
「基本的に、みんな喜んだ顔が見るのが好きなんだよね。そのためだったら、道化だってなんだってやるよ」

2016年12月26日「SMAP×SMAP」はとうとう最終回を迎えた。これまでのダイジェスト放送に加え、初めて5人が一緒に旅した5人旅や、27時間テレビでのライブを一挙放送と4時間半の放送にSMAPの歴史が詰まっていた。番組のラストには、5人だけで『世界で一つだけの花』を披露した。
しかし、それは言葉を発しない5人の姿でもあった。
前回の「ビストロSMAP」が嘘のように、歌声だけが聞こえてきた。
なぜここまで言葉を発しないのか。言いたい事のひとつやふたつあるだろう。

これまで何があってもその都度会見を開いたりコメントを発表したりして一つ一つ乗り越えてきた。解散報道が流れても雑誌のインタビューで否定したり、ライブの最後にまだ来年の予定が決まっていないにも関わらず「来年も会いましょう」って言ってみたり、常にファンの気持ちを考えて自分たちの言葉で思いを伝えてきた彼らが言葉を残さなかった。
何かに抵抗する姿勢か、そうすることで守れるものがあるのか、影響の範囲を考慮して誰も傷つけないための配慮か……詳しく事情を語らないにしても少しでも喋れたら楽だったろうに、SMAPは自ら苦しい選択をしたように思えた。

番組の最後、いつもと変わらず復興支援の募金を呼びかけるVTRが流れた。最終回の最後の最後、わずか数秒に自分たちが続けてきたことを貫いた。そこにSMAP5人の意志を感じた。
番組自体もはっきりと終止符を打たない編集がなされていて、流れるようにCMへと移った。番組もグループもこれで終わりじゃないと伝えたかったのではないかと受け取れなくもない。

SMAPのライブDVD全部レビューも次回でラストとなります。次回は12月31日の更新です。
(柚月裕実)
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