しかしその一方で、妻の三田寛子の対応は"神対応"として多くの賞賛を浴びている。橋之助と三田寛子、二人はどのように出会い、結婚に至ったのだろうか。
出会ったきっかけは『男はつらいよ』
二人が初めて出会ったのは、1988年に公開された映画『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』にて。この映画に出演していた三田が、共演した尾美としのりの陣中見舞いに訪れたときに、偶然橋之助がいたという。
なんと以前から三田の大ファンだったという橋之助。この縁がきっかけとり、ある雑誌の対談相手に三田を指名したり、ゴルフのレッスンコーチを買って出たりと熱烈なアプローチ。
仕事でも、1989年公開の映画「開港風雲録」では兄妹役で共演。ロケ中の休日には、2人でゴルフデートに出かけたという。
1991年に結婚した中村橋之助と三田寛子
やがて2人の関係はマスコミの知るところとなった。三田は「困っちゃうな…」と言いつつ、否定することなく素直に交際を認めた。そして「年齢が同じで気も合うんです」などとコメントし、堂々の交際宣言。
橋之助側も肯定的で、所属事務所は「いままでは歌舞伎の世界しか知りませんでしたから、誰とでもオープンな交際はいいと思います」とのコメントが出された。
同年夏には、橋之助側の家族との顔合わせも行われ、結婚を前提にした交際は家族も公認に。
交際スタートから約2年後の1991年11月28日に挙式が行われた。
完璧な「梨園の妻」ぶり
ところで、歌舞伎の世界は「梨園」といわれ、一般社会の常識とはかけ離れた世界だ。厳しいしきたりがあり、妻は夫の仕事のマネジメント業務を担うことになる。歌舞伎役者の妻には、日々「仕事」があり、人一倍の体力と気力も必要とされる。
三田はいわゆる「一般社会」においても、おっとりとしており、周りや世間とずれたキャラクターの持ち主だ。そんな三田が、特殊な歌舞伎の世界でやっていけるのか、という周囲の声もあった。
しかし、息子3人をもうけるとともに、昨年の夫の浮気騒動で見せた完璧な対応。素晴らしい「梨園の妻」ぶりを見せている。
(せんじゅかける)