先日よりWBCが開幕し、多くの野球ファンが期待に胸を弾ませているのではないでしょうか。
今回は、2015年まで読売ジャイアンツや横浜DeNAベイスターズ、そしてメジャーリーグの舞台でも活躍された高橋尚成さん(スポーツ報知評論家)に現役時代のお話を聞いてきました!
高橋尚成が語った野球人生……日米で感じた野球の違いとは?
インタビューに応じて頂いた高橋尚成さん

高橋尚成が語るジャイアンツ


幼少の頃から巨人ファンだったという高橋さんは、逆指名で巨人に入団。(1999年ドラフト1位)。
プロ入り後、凄いと感じたというプレーは少々意外なものでした。

「凄かったのは、川相さん(注:川相昌弘。現巨人3軍監督)の守備です。当時はキャリア晩年であり、衰えもあったかと思いますが、グラブの使い方や捕ってからの速さ、正確さなどが凄かったです。後は上原(注:上原浩治。現シカゴ・カブス)の遠投を見た時も衝撃を受けました」

高橋さんが入団した時の巨人は、上原投手をはじめ、松井秀喜さんや仁志敏久さんなど多くのスター選手が勢ぞろいしていました。実際にそんな環境でプレーした時はどのように感じたのでしょうか。

「ジャイアンツは小さい時にずっと見ていた球団でした。周りにいる人たちがテレビに出ていた人たちですので、一緒にプレーすることが凄く不思議な感じでしたね。テレビの中にいた人たちを味方にして、自分が投げるのは凄く幸せでしたし、なおかつプレッシャーも感じました」

また、高橋さんは桑田真澄さんのこんな言葉が印象に残っていると語ります。

「桑田さんには『勝った時も常に謙虚でいなさい。逆に負けた時でも普通にしていればいい』と言われました。
特に僕は性格的にすぐ調子に乗っちゃうんで(笑)、けっして驕るなよと伝えたかったんだと思います」


そしてそんなスター選手揃いだった当時の巨人を率いていた監督は、ミスタープロ野球・長嶋茂雄さん。やはりミスターは特別な存在だったといいます。

「長嶋さんはやっぱりちょっと独特でしたよね。凄すぎるから監督が上にいきすぎていると皆さんよく言うんですが、本当にその通りで(笑)。雲の上の存在で、一緒にその空間にいるだけで嬉しかったと言う人も多かったのかなと。自分の父親も長嶋さんのファンだったこともあり、長嶋さんと一緒にプレーできたのは幸せでした」

斎藤雅樹のおかげだった? 日本シリーズでの先発登板


高橋さんはプロ入り1年目の2000年から活躍。シーズン9勝を挙げてリーグ優勝に貢献し、「ON対決」と話題を集めた日本シリーズにおいても、第5戦に先発した高橋さんは2安打完封勝利で、チームの日本一の原動力となりました。
しかし、この先発を言い渡されたのは直前だったと当時を振り返ります。

「先発言い渡されたのは確か2日前で、チームが1勝2勝の時に言われたと記憶しています。第4戦は斎藤さん(注:斎藤雅樹。現巨人2軍監督)が登板すると言われていて、もし負けた場合は、ダレル・メイが第5戦でいくと言われていました。斎藤さんが勝ってくれたので、僕の先発があったんです」

世間とのイメージと異なった堀内恒夫


2000年以降も9勝('01年)、10勝('02年)と順調に勝ち星を重ねた高橋さんでしたが、2003年以降は成績面を見ると苦しいシーズンが続きました。

「自分の中では慣れてたつもりはないですが、気持ちの緩みのようなものはあったのかもしれないですね。チーム状況もあまり良くなかったり、自身も怪我があったりと凄く苦しかったです」

確かに2003年~2006年、特に堀内恒夫さんが監督だった2004年と2005年シーズンは巨人にとっても苦しい期間に。
そのせいもあってか、堀内さんは激しいバッシングを受けることもしばしば。しかし、監督と選手の関係だった高橋さんはこう振り返ります。

「堀内さんは現役時代、"悪太郎"と言われてましたが、実は凄く人間味のある良い人だなと思うんですよね。だから世間で言われていることと本人のギャップが凄く激しかったなと。その時のジャイアンツのチーム状況があまり良くなかったこともあり、色んなことが起きてしまったのではないかと。それを全部清算しなければいけなかったのが堀内さんであり、ババを引いちゃったんじゃないかなと思ってます」

最優秀防御率も獲得……大活躍した2007年


高橋尚成が語った野球人生……日米で感じた野球の違いとは?
インタビューに応じて頂いた高橋尚成さん

2006年にはリリーフへ配置転換するも、その年オフの納会で当時監督だった原辰徳さんに先発復帰を直訴。その甲斐もあってか、翌年からは先発に戻った高橋さんは、2007年は最優秀防御率を獲得するなどの大活躍で5年ぶりの優勝に貢献しました。
この飛躍の裏には、2006年のリリーフ経験も生きたと高橋さんは語ります。

「リリーフ経験は凄く活きましたね。ブルペンの投手陣がどういう気持ちで待機しているのかが分かりました。だから、先発は1イニングでも1人でも多く投げなければいけないのだなと思うようになりましたね。また、クローザーはここ一番で抑えなければいけないという状況で投げるので、その経験も生きました。それと原さんに直訴したことも、自分の中で新たな一歩を踏み出せたのかなと。
酔った勢いではあったのですが(笑)。そういった色んなことが重なって2007年は良い結果に繋がったと思います」


高橋尚成がメジャー移籍を決意した理由


2008年、2009年も活躍し、巨人の3連覇に貢献した高橋さんでしたが、2009年オフにFA宣言。新たな活躍の舞台をアメリカへと求めます。
アメリカを意識したのは、同い年の選手の影響によるものでした。

「アメリカに行く人はイチローさんや松坂など、凄い人が行くものと思っていたんですね。だけど、仲の良かった上原が行ったことで一気に近くなった気がしたんです。キャンプの映像で凄く楽しそうに野球している様子を見て、アメリカに行ったら得るものがあるのかもと思ったのが最初です」

結果的に高橋さんは2010年にアメリカへ渡りましたが、実は最優先は巨人残留だったそうです。

「2009年シーズンが終わった時点では、ジャイアンツに残るのを最優先で考えてたんですね。まずアメリカというより、ジャイアンツとしっかり話し合いをして、納得いく形でジャイアンツでまた野球したいと。でも、僕の想いとジャイアンツの想いがあまり一致できなかったなと。ちょうどその年にFA権が取れたので、アメリカで挑戦しようという気持ちになったんです」

当初はマイナー契約でしたが、オープン戦での好投が認められてメジャーに昇格。1年目には10勝をマークする活躍を見せます。その後、2013年までアメリカでプレーした高橋さんは、2014年シーズンからは横浜DeNAベイスターズに入団し、日本復帰を果たしました。

DeNA時代は現役ながら、同じ左腕である田中健二朗投手や石田健大投手の指導役としても貢献した後、2015年に引退を発表。現在はメジャーでの経験を生かし、『ワールドスポーツMLB』(BS1)の解説などでも活躍中です。

日本とメジャー、野球の違いとは?


日本とメジャーでプレーした経験を持つ高橋さんに日米の野球の違いについてもお伺いしました。アメリカが日本に勝っていると感じた点を次のように指摘します。
高橋尚成が語った野球人生……日米で感じた野球の違いとは?
インタビューに応じて頂いた高橋尚成さん

「アメリカの選手は常に"遊び心"がありますね。日本は『ボールは正面で捕球しなさい』、『ボールを投げる時のステップはこうしなさい』など、固定概念が強すぎる気がします。なので、基本は凄くできても、応用が効かない選手の方が多いのではないかと思いますね。逆にマイナーなんかは、とんでもないミスもするけど、凄い良いプレーもするよねという選手が多かったりします」

しかし、アメリカと日本の野球のレベルはあまり変わらないと語る高橋さん。とはいえ、「選手層を考えると、世界中から選手が集まるアメリカの方がやはり厚い」とも続けます。
それでは、日本の野球のレベルを上げるためにはどうすれば良いのでしょうか。

「プロ野球には外国人枠があったり(注:一軍登録は4人まで)、FA権取得までが長かったりするので、これらを変えることで選手の流動化を進めるべきですね。メジャーに行きたい選手はどんどん行かせて、逆に外国人選手もどんどん受け入れれば良いのではないかと思います」

日米で選手の流動化を進めることで、あのスター選手が日本で見られる日も実現するかもしれません。

「これはたとえ話ですが、大谷翔平がメジャーに移籍しても、クレイトン・カーショウやメジャーで引退したA-Rodが日本に来てプレーする可能性もあるような状況にした方が良いのかなと(笑)。
お金のことを言われてたら勝てないと思いますし、そう簡単にはいかないと思いますが、枠は広げておくべきです」


高橋尚成の今後は?


引退された後は解説者として活躍している高橋さんですが、やはりファンとしてはまたユニフォームを着ている姿を見てみたいもの。今後の目標をお聞きしました!

「夢はやっぱりユニフォームをもう一回着ることですね。コーチとなって、若い選手に自分が経験してきたことを教えたいです。それがジャイアンツのユニフォームだったら、なお嬉しいかなと思います。特に今は(高橋)由伸監督です。彼とは誕生日が1日違いの同級生、苗字も一緒と凄く運命を感じるんですよ。そんな彼の下で、彼のために働きたいですね」
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