保育社の「カラーブックス」というシリーズが好きだ。

1962年に創刊された文庫サイズの本のシリーズで、『熱帯魚』、『宝石』、『観葉植物』、『結婚式のマナー』などといった幅広いテーマについて図版をたっぷり使って解説している。
「カラーブックス」の名の通り、カラー写真が豊富に使われているのが特徴で、オールカラーではないのだが、モノクロページの合間合間にカラーページが挟まり、コンパクトかつカラフルな「ミニ図鑑」といった印象。

1962年に出版されたシリーズ9冊目『ハワイ』に記載されたカラーブックスの宣伝文句には「読む文庫から見る文庫へ進化した美と知識の宝庫」、「レジャーを活かす現代人のホームライブラリー」とある。なんとなく伝わってくる通り、家庭の本棚に置いておいて気軽にパラパラめくれる、様々な知的好奇心にこたえてくれる本、という主旨のシリーズなのである。

筆者の家の本棚には古本屋で集めた「カラーブックス」がたくさんある。例えば『家庭犬』。表紙からして良い。

古書店で10万円の奇書『すすきののママ101人』はなぜ生まれたのか

その名の通り、これでもかと家庭犬の写真を見ることができる。
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こちらは『スキー入門』。
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時代を感じる写真の風合い。
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と、こんな「カラーブックス」シリーズなのだが、現在までに909巻が出版されている。家庭用のミニ図鑑といったシリーズなので、割とお堅いテーマが並ぶ中、“シリーズ最大の奇書”と言われているのが『すすきののママ101人』という一冊なのだ。オシャレな雰囲気の表紙を開くと、
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めくってもめくっても「ママ」また「ママ」。

古書店で10万円の奇書『すすきののママ101人』はなぜ生まれたのか

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タイトル通り、北海道・札幌の一大歓楽街「すすきの」の居酒屋やスナックやバー、コミック・ゲイバーのママたちまでもが次々紹介されている。各ママに対して、生年月日を始めとした29の質問項目が設けられているのだが、「趣味・特技」、「好物」といった項目はまだ分かるとしても「美容室へ行く回数」、「愛用している香水、オーデコロン」なんていう質問まで用意されている。
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平成元年、1989年に出版されているので、30年近く前に出た本なわけだが、「ふーん、このママはカレイの煮付けが好きなんだなー」などと、今知っても役に立たなそうな情報が読んでいて頭の中にたくさん入ってくるのがなんだか面白い。

“奇書”と言われるだけあって、この本、実は古書市場では絶えずプレミア価格がついていて、筆者もずっと欲しいと思いつつ、ネットで検索すると1万円を超える価格になっているのが当たり前。中には10万円という値付けをしている古書店もあったほどなので、いつかお金を貯めて買おう!と決めていたのだった。それが先日、酒に酔ってアマゾンやオークションなどを見ている時の悪い癖で、やたら気が大きくなって「えーい! 買ってしまえ!」みたいになったらしく、翌朝目が覚めてみたら購入通知メールが届いていたのだった。


とにかくそんな勢いでようやく手に取ることができた『すすきののママ101人』。読めば読むほど、「このおかしな魅力に溢れた本は一体なんなんだろう」という思いが深まり、さらには、この本の著者である木村久里さんという方に無性にお話を聞いてみたくなってきた。お名前で調べてみるとすぐにご本人の公式サイトが見つかり、ダメもとで連絡を取ってみたところ、なんと取材を受けていただけるということになった。
さあ、ようやくここからが本題。『すすきののママ101人』の著者・木村久里さんにこの本の誕生秘話や裏話をたくさん聞いてきた。

101人全員を木村さんひとりで取材


東京・高田馬場にある木村さんの事務所にお邪魔した。見晴らしの良いお部屋で、窓から差し込む穏やかな日に照らされながらインタビューをさせていただいた。


――『すすきののママ101人』は他に類のないような面白い本だと思うのですが、この本ができたきっかけについて教えてください!

「この本が出る前に同じカラーブックスで『札幌いい味101店(1986年刊)』を依頼されて作ったんです。そしたらそれが結構売れたんですよ。みんなが喜ぶような良い店をたくさん紹介したんで、我ながら良いセレクションになっていて評判がよかったんですよね。それがヒットしたんで、その続編っていうのを私が思いついて企画書を出したんです」
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――ママを紹介するという企画書を!?

「そうそう。私はもともとそういう形で人を紹介するっていう企画が好きだったんですよ。人が好きだしね。
『週刊FM北海道』増刊号の『SALAD(サラダ)』っていう雑誌で仕事をしてた時も、色んなテーマで人を集めて紹介するっていうのをやっていたんです。写真もちょっと面白い感じで撮ってね。例えばこれは“ミスター添乗員”っていう企画でやったもの」
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――なるほど、旅行会社のツアー添乗員さんがカタログっぽく紹介されていて、この延長上に『すすきののママ101人』があるのがわかります。

「そう、だからママをこんな風にたくさん紹介するっていうのをカラーブックスの文庫サイズでやったら面白いんじゃないかなと思って。でも保育社のカラーブックスってちょっと堅いテーマの本が多かったんで、まあ無理かなって諦めてたんですけど、そしたら企画が通ったんですよね」

――よく通りましたよね(笑)。これはどうやって取材したんですか?

この本の取材は全部私一人でやってるんですよ。
私がもともと親しくしているママさんだったり、知り合いに『良いママさんいない?』って聞いて紹介してもらったりして、事前にどこのママを紹介するかピックアップしたんです。質問を決めたらもう聞くことは決まってるわけだから、1カ月間で取材して、2カ月かけて今度は撮影してまわって、平成元年の1月に取材し始めて6月には本になってるから。私、始めると早いんです」

――すごいスピードですね……。また質問項目が独特で面白いですよね。「家でのファッション」、「店でのファッション」とか。

あれはママさんにお客さんがプレゼントをする時の参考になるかと思って入れたんです。実際にそのお店に行ってママさんと話す時にコミュニケーションのきっかけになりそうな質問を選んだから、すごく実用的というかね。でも思いっきり個人情報だから今はできないかも(笑)」


週刊誌の取材で「賛否両論ある」と言われ…


――出版された当時はどんな反響があったんですか?

「北海道では好意的に受け止められましたよ。北海道の新聞社とか雑誌社とかPRもしてくれて。でもそればかりじゃなかったのね」

――と言いますと!?

「『週刊新潮』がこの本を取り上げてくれるって言うんで取材を受けたんです。その記者の人が『この本には賛否両論ありましてね』って言うわけ。『え!? “否”?』って驚いちゃって。“賛”はわかるけどまさか“否”があると思わなくて、それでどういうことか聞いたら “ママ”の概念が違うと。この本は、居酒屋でもなんでも“ママ”って言って紹介してるけど、その記者さんに言わせたら“ママ”といったらクラブだと。クラブのママが中心になってないって言うわけ。私としてはサラリーマンの方が気軽に行けるようにどんなお店でも幅広く取り上げたつもりだったんだけど。そんな話をしていて途中でなんとなく『これ、どんな風に記事に載るんですか?』って聞いたら『まあ、良くは書かないかもしれないですね』って(笑)」

――えー! もうその場でそんな風に言われるんですか?

「そうなの。でもまあ、どっちにしても宣伝になるならいいかと思って。それで書かれたのがこれだったのね」
古書店で10万円の奇書『すすきののママ101人』はなぜ生まれたのか


『週刊新潮』1989年7月20日号に掲載された記事を見せていただくと、「『すすきののママ101人』に薄野ネオン街のクソミソ」というタイトルで、この本のママのセレクトに対して記者の感じた違和感や、実際に取材を受けたママたちによる談話などが2ページに渡って紹介されている。内容はかなり手厳しいものである。

――「あの店のママが載ってないのはおかしい」とかそういうことも書いてありますね。

「あと、『カラーブックス』ってカラーページと白黒ページがあるじゃない? それで、『あっちはカラーなのにこっちが白黒なのはおかしい』みたいなこともあったり(笑)。私だって本当は全面カラーにしたかったのよー。でも仕方ないから、黒い服着てる人は白黒ページにしたりとか結構悩んだんです。自分が美しく撮れてない!って思ったママもいたんだろうけど。太っ腹のママならそこは大目に見てくれるかなってつい甘えてしまったかも。でも、良くも悪くも話題性がある本なんだなとは思いましたね」

――そんなご苦労があったとは。でも今これを読んでいたら、まあ30年近く前の情報なんですけど、こういうママがいたんだなーと身近に感じられてくる面白さがあります。

「時間が経って、今になって資料として価値があるなって思えてきましたよね。作ってる時はデータっていう感じがしたけど、今読み返すと昭和のママさんってこんな感じだったんだねっていう

20年後に再訪 偶然再会したママも


――出版から20年経ったタイミングで「『すすきののママ101人』のその後」をたずねたそうですね。

「20年経ったから、どうなってるかなって、取材に行ったお店がどれぐらい残ってるだろうって思ったんです。それで本を持って看板を見てまわって。そしたら101店のうち、26店はあったわけ。看板が残っていたお店のページはこうやってふせんを挟んでいって」
古書店で10万円の奇書『すすきののママ101人』はなぜ生まれたのか


――26店ですか。結構、思ったより残っていたんですね。

「続けてるっていうだけでもすごいことですよね。残っているお店の全部に行けたわけじゃないんだけど、例えば『シャンソニエ・アン』っていうミュージックバーは、すすきのじゃない違う場所で偶然看板を見つけたんですよ。思い切ってドアを開けたらママの嶋保子さんがたまたまこの本の撮影の時と同じドレスを着てたの(笑)。ずっと着てなかったドレスなんだけど、なんとなくその日ふと着たんですって
古書店で10万円の奇書『すすきののママ101人』はなぜ生まれたのか

――すごい奇遇!

「その後、ママさんはご病気で亡くなってしまったんですけど、縁を感じましたよね。あとこの本で、市場のママも紹介しているんだけど、『まごころ食品』のママに20年ぶりに会うことができて、本を見ながら話してたら『実は歳をひとつごまかしてた』って言うの(笑)。20年経ってカミングアウトしてくれました」
古書店で10万円の奇書『すすきののママ101人』はなぜ生まれたのか

――もはや時効ですよね。時間が経ったからこそまた面白さが増してきた本なのかもしれないですね。

すすきのだからできた本だなと思います。すすきのって女性が夜歩いていても安全で、そういうところが魅力なんですよ。女性がイキイキしてる街ですよね

――『すすきののママ101人』、現在はプレミア価格がついているんですが、どう思われますか!?

「えー!って思いますよ。以前にも『すごい値段になってるよ』って知り合いに言われて驚いたことがあったんだけど、まあ値段をつけるのは自由だからね。売れないかもしれないわけですから(笑)」
古書店で10万円の奇書『すすきののママ101人』はなぜ生まれたのか

『すすきののママ101人』を出版した当時は札幌を拠点に活動していた木村久里さんだったが、その後東京に拠点を移し、現在では占いサイトでたくさんの占い師さんたちを束ね、全体的な管理をしたり相談を受けたりするお仕事もしているという。木村さんは「フリーライター」という言葉に昔から違和感があって、自分の人生をアラカルト(フランス料理の一品料理のこと)する「アラカルター」という肩書きで活動している。常に柔軟に、誰もやっていないことを仕事にしてきた木村さんらしいフレーズだと思った。

木村さんが北海道時代に「道新スポーツ」で連載していた『女の指定席』というコラム(ストリップ劇場やアダルトグッズショップなど女性が行きにくい場所を女性の視点でルポしたもの)の話や、木村さんのその後の経歴についても楽しい話がたくさん聞けたのだが字数の都合で今回はここまで。

『すすきののママ』のその後、については木村さんの公式サイトにもまとめられているのでチェックしてみてください!
(スズキナオ)

公式サイト:「アラカルター木村久里のガハハと笑って生きる道