安倍晋三首相の関与が指摘されて、連日テレビや新聞等で報道されている森友学園問題。私は専門外の部分も多いので内容に関して安直なことは言えないのですが、テレビ等の報道の仕方に関して、かなり問題だと感じていることがあります。


「カネの問題」より「教育の問題」が重大


森友学園報道で教育勅語の親孝行に賛同する感動ポルノな人たち【勝部元気のウェブ時評】

まず、様々な論点がある森友学園問題ですが、大きく分けると「教育の問題」と「カネの問題」に分けることができると思います。そして、この2つの領域について「行政や政治の関与」が指摘されているわけですが、TVを視聴しているとどうも「カネの問題」にばかりウェイトが割かれているように感じるのです。

ですが、森友学園問題でどちらがより重要な問題かと言えば、圧倒的に「教育の問題」でしょう。テレビで映像を見た人も多いと思いますが、暴力を振るう、恥辱を与える、極端な思想を植え付ける等、子どもの健全な教育という面からあってはならない人権侵害が現実に起こっているわけです。それに有力政治家が賛同していたのであれば、大変由々しき問題です。

また、憲法や国のあり方という根本的なところに係わる問題であり、教育勅語が再びこの国で地位を確立するとなれば、それこそ社会的な損失は値引きされた8億円では済まされません。


「教育の問題」から逃げるコメンテーター


ところが、あくまで私が確認した範囲のみになってしまうのですが、「カネの問題よりも教育の問題のほうが重要である」ということについて地上波テレビで明確に指摘している人はほとんどいませんでした。私の知っている限りですと、元文部省官僚で評論家の寺脇研氏だけです。

指摘しないのならまだ分かります。問題なのは、「教育の問題」がスタジオで話題になっているにもかかわらず、コメンテーターの中には「カネの問題」に話をすり替えようと試みる人が目立つことです。

前述の寺脇氏が直前に指摘しているにもかかわらず、それでもなお「カネの問題」に話をすり替えようとする人もいて、彼らは教育勅語に関して問題無いという見解なのだろうかと思ってしまいます。

実際、日を追うごとに、「教育の問題」を扱う報道は減り、「カネの問題」ばかりが注目されています。野党の追及も同様です。確かにカネの問題のほうが、良し悪しがハッキリと見えるのかもしれないですが、絶対に教育の問題は外してはいけないでしょう。



教育勅語に部分的に賛同する“普通”の人たち


次に、テレビのコメンテーターの中には「教育勅語に書かれている親孝行が大事というのは確かにその通り」と、部分的に教育勅語に対してサラッと賛同している人が非常に多いことにも驚かされます。

もちろん親孝行をするなと言っているわけではありません。ですが、教育勅語は国として子供たちに強要したものだということを忘れてはいけません。たとえ、親孝行の精神であろうと、国として子供たちに強制することはあってはならないことです。

また、この社会の中には虐待をする親等もたくさんいます。殴る蹴るという身体的な暴力だけでなく、人格や将来性を否定する、自己否定感を増幅させるような悪口を言う等の行為も含まれます。そのような子供たちに親孝行を求めるのは、被害を増大させることに他なりません。


なぜ、本心でもない親孝行に喜べるのですか?


そもそも、私が親であれば、国や他の人によって強制された親孝行を子供から受けても微塵も嬉しくないのですが、親孝行を推進するべきだという人たちはそれでも嬉しいというのでしょうか?

今回の森本学園報道で、「安倍首相頑張ってください」という園児たちの棒読みエールに安倍昭恵氏が感動して涙するというビデオが流れて唖然とした人も多いかと思うのですが、理事長の籠池氏に無理やり子供に言わされているにもかかわらず、感動できてしまうことも私には信じられませんでした。

おそらくは子供たちの本心がどうかというよりも、自分たちが考える望ましい行動を子供が取ったというところが感動するポイントなのでしょう。


子供を感動ポルノの道具にする大人たち


でも、なぜ彼らは子供の本心には関心が無く、押し付けてやった行動でも感動できてしまうのでしょうか? それは子供を「モノ」として捉えているからです。人格ある一人の人間として捉えていないから本心はどうでも良くて、振る舞いばかりに注目します。つまり、子供を「感動ポルノ」の道具のように捉えているわけです。

実はこのような精神構造は私たちの身近にも当たり前に存在しています。たとえば、全てとは言わないですが、組体操や二分の一成人式等でも、「親や教育者のための感動ポルノ」の材料に子供たちが使われてしまっている場面は非常に多く存在します。

さらに、教育の場面に限りません。
たとえば、お酒を女性に注いでもらって喜ぶ男性がいますが、実際、多くの女性が本心から注いであげたいと思ってしているわけではありません。そういうことを半ば強制されているからやっているだけ。それにもかかわらず、本心を気にせず悦べてしまうのは女性をモノとして捉えているからでしょう。


戦前の体制と親孝行強要は根っこが同じ


かつて日本は国民をモノとして捉えて、本心は無視して「お国のため」の行動を取った人々に感動する社会を作り、戦争へと突入したわけです。戦前回帰という指摘に疑問を持つ人もいると思いますが、このように精神構造的には非常に近しいものだと言えるでしょう。教育勅語の精神が戦前の体制に合致したのも納得できるのではないでしょうか。

とにかく、「子供の人権」や「国と教育」の観点から森友学園問題や教育勅語の問題を指摘する人がテレビコメンテーターの中に非常に少ないことがとても気がかりです。その根本的な問題をしっかりと対処しなければ、カネの問題が解決したとしても、イタチごっこになりかねませんから。

メディアは決して籠池氏を悪者にしておしまいとするのではなく、教育の問題にもガッツリと踏み込み、子供をモノとして捉える前時代的な「人格否定教育観」の一掃に全力をあげて欲しいと思います。
(勝部元気)
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