無理もありません。
かつて、プロ野球の野村克也監督が、伸び悩む若手や全盛期を過ぎたベテランを次々と復活させたことから、「野村再生工場」と呼ばれていましたが、TKはその音楽版。さながら「小室再生工場」とでもいうべき、彼の神通力にあやかろうと、少女たちは列をなしていたのです。
25,929名もの応募者が殺到した『コムロギャルソン』
そんなコムロフィーバー全盛期に開催されたのが『コムロギャルソン』でした。これは、オーディションバラエティ『ASAYAN』内で、1995年10月の番組開始と同時にスタートしたオーディション企画。
当時、イケイケだったTKプロデュースのもと歌手デビューできるとあって、全国からのべ、25,929名もの応募者が殺到します。
スタジオでは若き日のナインティナインと、ナンシー関から「絵に描いたような(小室の)腰巾着」と称されたTKの右腕・久保こーじ司会のもと、応募者の生歌などが披露されたものです。
KABA.ちゃん参加ユニットのデビュー曲はオリコン4位を獲得
この『コムロギャルソン』は1年もの長きにわたって放送され、その中で何組かのユニットが誕生しました。中でも代表的なのが、3人組の音楽グループ『dos (ディー・オー・エス)』です。アメリカのR&Bグループで、当時世界的な名声を得ていた『TLC』を模倣して結成された同ユニットは、1996年にシングル『Baby baby baby』でメジャーデビュー。
「自分の好きな音楽よりも、売れる音楽をつくるべし」
そんな商売っ気全開だった頃のTKの如才の無さにより、しっかりと資生堂『ティセラ』のCMタイアップ(しかもdosの3人も出演)も獲得した同曲は、オリコン最高4位という結果を残します。
その後、シングル2枚・アルバム1枚を発売し、これらもまずまずのセールスを記録しますが、1997年以降は主だった活動はなし。おそらくは、TKが飽きてしまったのでしょう。
なお、『dos』のメンバーには、後にTKと結婚後、わずか10ヶ月でスピード離婚して慰謝料7億円をGETしたASAMI、カミングアウト前のKABA.ちゃんなど、かなりの曲者が揃っていたことでも知られています。
たった2ヶ月で解散してしまったユニットも
さらに、久保こーじがプロデュースした天方直実(あまがたなおみ)、レコード会社12社が争奪戦を繰り広げた天才少女・亜波根綾乃(あはねあやの)などが『コムロギャルソン』出身者として売り出されたものの、いずれも泣かず飛ばず。
特にひどかったのが、『L☆IS』という女性15人のグループ。TKのヒットソングをメドレー形式でまとめた『Running On』という楽曲でデビューを果たすのですが、メンバーのやる気のなさが原因で、なんと、たった2ヶ月で解散してしまうのです。
ちなみに、そのメンバーの一人だった牧野田彩は、レースクイーンやAV女優としての活動を経たあと、2010年に「芸能界の大物に殺される」という言葉を残して自殺するという闇深い最期を迎えています。
落選者の受け皿ユニットも芳しい成果は得られず…
『コムロギャルソン』終了後も、落選者の受け皿として『AIS』(アイス)というデビュー予備軍ユニットが結成され、そこからも何人かの歌手・ユニットが誕生しましたが、スターは現れませんでした。
そのさらに後、『コムロギャルソン』でどれだけ新人をデビューさせても起こせなかった社会現象的ムーブメントを、『コムロギャルソン』に落選していた石黒彩・飯田圭織を含めたモーニング娘。が同じ『ASAYAN』内で巻き起こすとは、何とも皮肉な話です。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonより乙女は何を夢見たか [レンタル落ち]