新人時代の北斗晶は、一際ひどいイジメに遭っていた。当時のプロレスファンならば大抵の人が知っている事実だ。原因は明白。北斗に才能があったからである。
「北斗晶が嫌われた理由」頚椎損傷事故の被害者と加害者が30年ぶりに再会「爆報!THEフライデー」

中学時代に陸上部からソフトボール部へ移籍した北斗は、強肩で鳴らす注目の選手となった。強豪校からスカウトされ、スポーツ推薦で高校へ進学した素材の持ち主である。
このフィジカルの強さは、全日本女子プロレスに入門しても際立った。力も強かったが、筋肉のつくりからして違う。身体にビシっと芯が通っており、新人特有のフニャフニャ感が全くなかった。

北斗晶が北斗晶になる前、つまり宇野久子(北斗晶の本名)は幸か不幸か、フロントの手違いでプロテストを受けないまま試合に出されている。“女帝”ブル中野でさえプロテストには何度も滑り、デビューが遅れているのだ。しかし宇野にそのようなハードルは与えられず、自分でも知らないうちにデビューを果たしていた。当時の境遇について、北斗はこう語っている。
「新人の中で、私がいちばん嫌われていたと思います。いろんな試合にバンバン出てたから、新人のくせに生意気だってことでしょう」(『別冊宝島EX 決定版!女子プロレス読本』より)

全女時代の北斗の先輩であり、のちにイラストレーターになるコンドル斉藤は、つらい境遇に打ちのめされている北斗のこんな場面を回想している。
「ある地方巡業でのことだったと思う。体育館の裏の隅っこで、北斗が一人で泣いていた。『どうしたの?』って聞くと、『私、つらいです。もう、やめたい……』って言っていた。この時期、北斗は誰も味方になってくれる人がいなくて、一人で悩んで毎日泣いていたのだ」(別冊宝島「プロレスラーマル秘読本」から)