Twitterにおけるハッシュタグ文化と「つながりたい」欲求【メンヘラ.men's】
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男性のためのメンタルヘルス・ケア・コラム「メンヘラ.men's」をお読みのみなさまこんにちは。
連載第4回にして、やっと「自殺」のテーマから離れることに成功しました、著者の小山です。


今回は、SNS、特にTwitterにおける「ハッシュタグ文化」に注目してみたいと思います。Twitterに詳しい方、そんなの知ってるぜという方も、知らないぜという方も、ご高覧頂ければ幸いです。


ハッシュタグ文化とは


ハッシュタグ文化とは、その名の通り「ハッシュタグ」を使って見知らぬアカウントとつながりを持とうとするTwitter特有の文化です。Twitterでは 「#」をつけてコメントを投稿すると、その「#〇〇」のついたコメントだけを抽出して検索することができます。

代表的なものにコミックマーケットやアイドルのコンサート、地域性のある大規模イベント(#渋谷ハロウィン など)でもよく使われます。

なにかイベントやお祭りがあって、その一体感をみんなで共有したい。そんなときに使われるのが「ハッシュタグ」機能と言うことができるでしょう。

これは恐らく、Twitter社の本来目指していた形のハッシュタグ文化と言えそうです。


「つながり」のためのハッシュタグ文化


しかし、ハッシュタグにはもう1つの主な利用のされ方が存在します。

それが「つながりのためのハッシュタグ文化」です。

まずは実際の使われ方を見てみましょう。
有名なハッシュタグのひとつ「#病み垢さんと繋がりたい」が付いたツイートには、以下のような特徴があります。

・「かまってほしい」「愛してほしい」「依存したい」などつながりを求める
・自撮り写真やイラストが多い
・リストカット痕がある腕や大量の睡眠導入剤など、過激な写真を載せていることもある

Twitterにおけるハッシュタグ文化と「つながりたい」欲求【メンヘラ.men's】
「#病み垢さんと繋がりたい」ツイートのイメージ

「つながりのためのハッシュタグ文化」は、一般的にアングラ的なものが多い印象を著者としては持っています。
「#病み垢さんと繋がりたい」などはその最大派閥のひとつと言っても良いかもしれません。


なぜつながり系ハッシュタグがアングラに傾くかと言えば、それはアングラであるからこそネットで繋がりを求める、という心理と関係しているのでしょう。
例えばフットサルの仲間が欲しいなら、別にTwitterで仲間を集う必要はそれほどないわけです。リアルでいくらでも窓口があるわけですから。

このように、Twitterのハッシュタグ文化では、「病み系」の方々の集うある種のコミュニティが形成されています。

これは彼ら彼女らにとって、どのような意味をもたらすのでしょうか。


つながることのメリットと、自分を規定してしまうことのデメリット


個人的には「#病み垢さんと繋がりたい」的なハッシュタグ文化には、良い面と、あまりよくない面、ふたつの面が同居しているのではないかと思います。

まず良い面について。


「病み垢」、つまりメンタルヘルスに問題を抱える人たちは、基本的に孤立しがちです。
学校や会社などのコミュニティに所属感を持てず、ほとんどひきこもりのように生活している人も少なくはありません。

そういった意味で、そうした人たちがネット上で「つながり」を持てる場としてのつながり系ハッシュタグは一種の公益的な意味があると言っても過言ではありません。

一見奇妙な絆に見えても、孤立よりはよっぽどマシだ……というのが自分の考えです。「病み垢」のつながりであっても、孤立よりは100倍マシです。


ただしかしもう一方で、ハッシュタグという文化でつながってしまうことが、ある意味自分を規定してしまうことに繋がるのではないか……という想いも著者としてはあります。


例えば「#病み垢さんと繋がりたい」ハッシュタグと極めて近いクラスターに「#リスカ」ハッシュタグというクラスタが存在します。これはリストカットを常習的に行っているひとたちのコミュニティで、頻繁に自傷画像をアップロードし、そういった「傷」を前面に出すことで「つながり」を得ようとしています。

こうした試みは、僕としては、少しばかり危険なのではないだろうかと思うのです。

「#リスカ」ハッシュタグでつながった仲間たちとつながり続けるには、自分も手首を切り続けなければなりません。
切ることをやめてしまえば、それは「#リスカ」コミュニティに対するある種の裏切りになってしまいます。

このように、ハッシュタグ文化によって「つながり」を得るということは、そのハッシュタグ文化に「自分を規定」させられてしまうことにも繋がるのです。


孤立からの解放か、病んだ自己規定への一本道か。

これは2つのうちのどちらかが正しいというよりは、グラデーションのように利用者や状況に委ねられているのでしょう。

願わくは、孤立を解消しつつ、前向きにメンタルヘルスと向き合っていけるようなコミュニティが増えていくことを願っています。
(小山晃弘)

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