言うまでもなく、アスリートの本分は競技で結果を残すこと。好成績さえ残せれば、たとえ、インタビューの受け答えが下手でも、何ら問題はありません。

しかし、世間から常に注目される一流選手ともなると、話は変わってきます。青少年に与える影響の大きさを考えれば、最低限、世間一般の倫理観に乗っ取ったコメントができなければならないでしょう。

そこをしくじると、いかに世間から反発を食らうかがわかる代表例ともいうべき存在が、水泳選手として活躍した千葉すずです。

アイドル的人気を誇っていた千葉すず


千葉すずは、1975年8月11日生まれの現在41歳。幼少期より水泳に親しんでいた彼女は、小学5年生のときに400m自由形で日本学童新記録を樹立するなど、早くから頭角を現します。
1991年に出場した世界水泳選手権(400m自由形)と、パンパシフィック水泳選手権(200m自由形・400m自由形)では、2大会合計3つの銅メダルを獲得。当時女子自由形でのメダル獲得が史上初の快挙だったこともあり、天才少女スイマー「千葉すず」の名は、大々的に報じられました。


とりわけクローズアップされたのは、彼女の容姿。破断したときの愛らしい表情が「すずスマイル」なる呼称で親しまれるなど、若かりし頃はアイドル的人気を誇っていたものです。

バルセロナ五輪は6位に終わる


「精神的にも鍛えなきゃいけない。プレッシャーとか、マスコミとかに潰されるような選手じゃダメですから」

1991年。当時15歳・高校1年生の千葉すずは、テレビのインタビューでこのように答えています。マスコミとかに潰される……。奇しくもこの予言の通り、マスコミは千葉にとっての大きな障壁として立ちはだかることになるのです。


1991年の活躍以降、容姿端麗な美少女スイマー・千葉には、取材のオファーが数多く舞い込むようになります。
特に、1992年のバルセロナオリンピック直前は、メダル候補選手だったこともあり、毎日がインタビューの嵐。多い日は、1日で10件以上の取材に答えていたというのだから、かなりのハードスケジュールだったに違いありません。

こうしたプレッシャーが祟ったのでしょうか。メダルを期待されて臨んだバルセロナ五輪の200m自由形は、6位に終わってしまいます。この五輪において千葉とは対照的に、大会前までマスコミからノーマークだった岩崎恭子が自己生涯ベストとなるタイムを叩きだし、200m平泳ぎで金メダルを獲得したというのは、なんとも皮肉な話です。


「水泳を楽しむこと」が重要だと説く


この挫折をバネとして、猛練習に励んだ千葉は、1995年のパンパシフィック水泳選手権で金メダルを獲得。再び、アトランタ五輪の優勝候補選手に挙げられ、オリンピック競泳女子チームのキャプテンにも就任しました。

前回大会の教訓から、10代の若手選手主体の女子水泳チームに彼女が伝えたのは「水泳を楽しむ」という考え方。大きなプレッシャーがのしかかる大舞台において、国民の期待とかメディアの関心とか、そういったものから解放されることがいかに重要かを、自身の経験を踏まえて、後輩たちへ伝達しかったのでしょう。

アトランタでも結果を残せず……メディアから批判される


しかし、アトランタの地でも千葉すずは輝けず。200m自由形は10位、400m自由形は13位という不本意な結果に終わり、日本女子競泳チームも低調な成績で幕を閉じました。
この結果をうけて朝日新聞には、こんな記事が掲載されたといいます。

「千葉すずの不振に、若い選手までが引きずられてしまったようだ。
選手たちは楽しんで泳げたといっていたが、悔しくはないのかな」

4年間、誰が見てなくとも必死にトレーニングを積み重ねてきた千葉からしたら、オリンピックのときだけ思い出したかのようにもてはやし、結果が残せなければ好き勝手に批判するこうしたメディア側の態度は、我慢ならなかったに違いありません。

放送禁止用語を発した千葉すず


そして1996年7月26日、競技終了後のインタビューにおいて、ため込んでいたフラストレーションは一気に爆発します。
『ニュースステーション』(テレビ朝日系)でのキャスター・久米宏と繰り広げた衛星中継でのやり取りにおいて、「そんなにメダル、メダルというなら、自分で泳げばいいじゃないですか!」と訴え、ついには、「日本人は、メダルキチ○イですよ!」と放送禁止用語まで発してしまったのです。

これにより、千葉すずバッシングはヒートアップ。こうした批判が耐え切れず、彼女は一時、現役を退いてしまいます。

その後、1999年に第一線へと返り咲き、2000年のシドニーオリンピック出場を目指した千葉すず。
五輪の選考に漏れたことを不服とし、スポーツ仲裁裁判所を舞台に日本水泳連盟とやり合ったことも、当時大いに話題となりました。

結局、奮戦むなしく、シドニー五輪へ出場することなく引退してしまいましたが、彼女のキャリアを振り返ってみると、自分に正直な人だったということがよく分かります。
そんな、アスリートとしては重要であるはずの実直さが災いし、結果的に選手生命を短くしてしまったというのは、なんともやるせない話ではないでしょうか。
(こじへい)

※文中の画像はamazonより千葉すずスマイル・アゲイン (Sports Graphic Number plus―Athlete file)