
言葉と行動が矛盾している主人公
「俺の命は残り少ないそうだ。なので、一日一日を大切に、目標を持って生きることにした。一日一回はいいことをする。そして、家族とうまい飯を食う。家族ってのは、俺を産んだ女でも、孕ませた男でもねぇ。俺のそばにいる、俺が大事だと思っている人間だ」
突然、鼻血を出すなど、さまざまな症状が出始める律(長瀬智也)。自分を見つめ直し、自分の周囲の人たちと一緒にいる時間を大切にしようと考える。彼が言う家族というのは、「若菜、魚、それとボケチンだ」。音だけ聞くと『ギャートルズ』みたい。
しかし、律の言葉は、行動と矛盾している。言葉のとおりの考えなら、自分を捨てた生みの親である麗子(大竹しのぶ)への執着を断ち切り、サトル(坂口健太郎)の運転手としての仕事をこなしつつ、若菜(池脇千鶴)親子やボケチン……じゃなくて凜華(吉岡里帆)との毎日を楽しく過ごせばいい。

それでも、律は麗子への執着を隠せない。視線は麗子を追い、麗子のピアノに聞き惚れる。
「子どもって、母親が恋しいんですよ。いくつになっても、たとえ自分を捨てた母親でもね。いつか会いたい、甘えたいって思いながら育つんです。律くんもそうだったんじゃないかしら」
律たちが育った養護施設の園長(草村礼子)が、訪ねてきた恒夫(中村梅雀)に語った言葉だ。律自身が語った言葉より、園長の言葉のほうが律自身の行動をよく言い当てている。
血をわけた家族よりも、自分の新しい居場所となる人たちの集まりのほうが大事だというテーマを持つドラマは昨今よく作られてきた。最近、顕著だったのは『カルテット』だ。一連の宮藤官九郎ドラマにもよくこのテーマは登場する。
しかし、子が自分を産んだ母親を求めてしまうのもまた事実であり、真実だ。子育てをしていてよく耳にするのが、どんなに母親が子どもを虐待していても、幼い子どもは最後まで母親を慕い、求め続ける、という話である。
脇役たちが奏でる協奏曲
『ごめん、愛してる』は5話から「第2章」と銘打たれている。1話と2話で律と凜華、律と麗子の出会いなどを描き、3話では律と凛華が接近する様子、4話では律の健康不安が描かれた。きっちり型どおりに話を進めてきたのだが、5話から始まる「第2章」では律と凛華と麗子の関係がより濃厚になるのと同時に、サブキャラクターたちの物語が露わになり、より物語が重厚になった。ピアノソロにオーケストラが加わって協奏曲になるような感じ。
サトルを翻弄する天才サックスプレイヤー古沢塔子(大西礼芳)は、ただ恋愛に奔放なSPEEDのような人かと思ったが、それだけではなかった。浮気ばかりしていた上、母親を家から追い出した父親への復讐でもあったのだ。サトルとの結婚を決めた裏側にも、家庭をないがしろにし続けた父親への対抗心がある。むしろそれしかない。
死の淵にある父親の容態が悪化したという電話を受けたときの塔子が放つセリフ「時間できたら行きまーす」の「まーす」の部分で背筋が寒くなった。このドラマで初めて塔子が存在感を示したシーンかもしれない。
麗子の隠し子問題を追うジャーナリストの加賀美(六角精児)は、律に「なぜ麗子にこだわる」と問われて一瞬、動揺の色を見せる。たしかに単なる金儲けとは考えにくい。時折見せる異様に冷徹な表情は何を意味しているのか?
そして、凜華の父で、長きにわたって麗子に尽くしてきた恒夫。彼は麗子が産んだ律を、麗子の代わりに養護施設の前に捨てた男でもある。律のことを自分が捨てた子ではないかと疑っていたが、若菜の話と園長の話を聞いて疑いが確信に変わる。麗子の屋敷で働く男は自分が捨てた赤ん坊だった――。一人になった恒夫は崩れ落ち、慟哭する。
そりゃそうだろう。恒夫は天才でも何でもないサラリーマン上がりの普通の男だ。命令されて、生まれて間もない命を雨の中に置き去りにすることにどれだけ辛かったか。
本日放送の6話は、麗子の隠し子疑惑が報道されるところから始まる。律、麗子、凛華、サトルのほか、塔子、加賀美、恒夫が物語にどうかかわっていくのかにも注目したい。
(大山くまお)