三重県にある「御在所岳」で遭難したとあるブロガーが、警察への批判をブログにつづって炎上しています。

知識・装備・実力等が不足していたことが遭難を招き、警察に迷惑をかけた立場なのにもかかわらず、警察の対応に約3,000文字に渡って批判を展開したことが、「何様だ!」という反論を呼んだようです(※なお、現在ブログは承認制に移行しており、見ることはできなくなっています)。


私も山登りを趣味にしており、彼女のブログを読んで、「そりゃマズイよね…」と思ったことは多々ありました。インターネット上でも散々指摘されているように、地図を携行していないことや、登山届を出していないことは由々しき問題です。また、遭難によって地図の重要性をしっかりと認識したのかと思ったら、記事の最後に観光用のイラストマップをおススメしていることも、批判を浴びるポイントになりました。

確かに、対応の酷い警察がいるのは事実だと思いますが、それ以上にブロガーの自分勝手に思える態度が、人々に悪い印象を与えて、炎上につながったのでしょう。

山登りで一番怖いのは実力の過信だと思う


他にも問題だと感じた点は多々あったのですが、個人的に最も気になったのは、タイトルに「御在所岳で“まさか”の遭難」という言葉を使用している点です。私はまだ御在所岳には登ったことがないのですが、ここも一般登山道から一歩離れると、決して侮れる山ではないようです。

登山用SNS「ヤマレコ」で記録を調べてみたのですが、彼女が遭難する約2か月前に遭難ポイントの程近い場所で、遺体を発見したという人がいました。
また、2012年に同じ鈴鹿山脈の御池岳で6日間に渡る遭難を体験して一時期、登山雑誌等にも取り上げられたネットユーザーの「yucon」氏は、その1年後の2013年に御在所岳のバリエーションルート(一般のルートよりも困難な登路)で遭難して死亡しています。

ところが、本人もブログの冒頭で「道迷い、遭難、滑落事故が多数起きている山」と指摘しており、その危険性は認識できていたようです。ここから察するにタイトルの「まさか」は、おそらく「まさか御在所岳程度で遭難なんて!」というよりは、「まさか私が遭難なんて!」という意味なのではないでしょうか。遭難が「みっともなくて恥ずかしい話」と述べているあたりからも、自分の実力を過信しているように感じました。

私も自己評価がかなり高く、性格も「勇猛果敢」な面があります。でもそのような性格は、正確な状況判断を誤らせることにもなり、山では時として命取りになることがあるのは重々承知しているつもりです。
メタ認知(自分がどういう認知をしているかを自分自身で分かっていること)をしっかりとできるようになり、常に謙虚でいることを心掛けなければならないと思っています。


山に「自己責任論」なんて通じない


ブログの内容に関しては指摘したいことは他にも多々あるのですが、正直なところ、私には感情的になって彼女を非難する気にはなれませんでした。というのも、私自身これまで知識や経験不足でヒヤッとしたことは何度かありましたし、「じゃあ今はリスクを完璧にゼロにできているか?」と聞かれても、「YES!」と大声で言い切れる自信がないからです。

登山に関していくら知識を蓄えようが、「〇〇すれば事故は起きない」というものはなく、どれだけ装備や知識や経験を蓄えようとも、危険が降りかかる時はあると思います。「登山は自己責任」と言われますが、「自己責任論」や「公正世界仮説」(この世界は人間の行いに対して相応の結果が返ってくると思いこむ認知バイアス)が通じるほど、自然は甘くはないし、予測不可能なことも起こるわけです。

一例を紹介します。昨年2016年のお盆に北アルプスの「穂高岳」を縦走したのですが、中間点の「ジャンダルム」という山頂で同じ時間にいた方が、その後「ロバの耳」という難所で滑落し、残念ながら亡くなってしまうということがありました。


インターネット上では、「どうせ素人が装備もテキトーに行ったのだろう。メディアが安易に登山を普及させようとするからこうなるのだ」というような書き込みをいくつか見たのですが、NHKの報道によると、「亡くなった方は登山歴10年以上のベテラン」と紹介されていました。

一方で、同日、TシャツにGパンという、登山の服装とはかけ離れた格好をしている若い中国人女性数名とすれ違って一言二言会話しましたが、彼女たちが亡くなったというニュースはありません。

もちろん装備をしっかり整えることはリスクを減らすことではありますが、このように装備をしっかりしているほうが亡くなることがあると体験したことで、遭難は装備がいい加減な素人の問題という誤った認識に陥ることなく、謙虚さを失ってはいけないと改めて思った次第です。
御在所岳遭難者のブログが炎上。でも、あなたは遭難しない自信ある?
穂高岳のジェンダルム、山頂にいる赤い服を着たのが私です。


遭難者を叩く人、自分は遭難しない自信あるの?


この一件以来、私には感情的になってネットで遭難者を叩く人こそ、危なっかしいと思えて仕方ありません。叩く人の意見は一般常識的には正しいことも多いのですが、「自己責任論」や「公正世界仮説」的な発想であり、それこそいつ何が起こるか分からない予測不能な自然を軽く見過ぎている気がします。

また、危機的状況下では適切な判断が重要ですが、この時、正常化バイアス(都合の悪い情報を過小評価してしまうこと)等、認知バイアスが原因で判断を誤らせることがあります。
登山自体の実力とは別に、どれだけメタ認知ができているかも重要なのです。このような心理学的な面はまだ登山シーンでは注目されていないのですが、ネットで叩く人々は「自己責任論」や「公正世界仮説」な発想に陥る時点で、メタ認知ができているとは思えません。

さらに、炎上という事態に発展してくると、単に叩きたいだけの人もたくさん出てきて、その中には知識的に間違っている人もいます。今回の御在所岳のケースでも、批判しているインターネットユーザーの中に間違った指摘をしている人も散見されました。

たとえば、「もっと標高の低いところに行け」という批判があったのですが、登山の難易度は必ずしも標高の高低で決まるわけではありません。また、遭難者が高所恐怖症であるとブログに書いてあったことから、「高所恐怖症なら山に行くな」と批判する人もいました。
でも、高所恐怖症によって慎重に行動するケースもあるので、高所恐怖症は一概にダメというわけではありません。

初心者のリスクを下げるのは紙よりアプリでは?


次に、「地図を携行していないなんてあり得ない!」ということは確かに正しい指摘だとは思いますが、では地図があれば遭難が防げるのでしょうか? もちろんそんなことはありません。そのためには地図を使いこなせるだけの読図力が不可欠です。それがなければ立派な地図も紙切れに過ぎません。

実際、山で地図を持っているのに自分のいる場所や進むべき道が分からず、道を聞かれることが度々あります(※独自に判断するよりも人の意見も聞くのは正しい選択であり、聞くこと自体は悪いことではありません)。特に、ハイカー(登山客)における高齢者の割合が増加している中で、「紙の地図さえあれば良い」という伝統的な常識に依拠していることが、高齢者の道迷いを増やしている側面は少なからずあるでしょう。

道を聞かれた時、私はGPS機能のある地図アプリを見せるようにしています。
単に答えるのではなくてあえて相手に見せているのは、アプリを使って欲しいからです。勧めると、「へぇ~便利だね~使ってみようかな~」と言ってくれる人もいます。

あくまで個人の意見に過ぎませんが、読図力のない初心者・初級者にとって、遭難のリスクをより大きく低減してくれるものは、紙の地図よりもGPS機能のある地図アプリだと思っています。確かにバッテリー切れや天候による故障等もあって万能ではないですし、読図力を磨かなくて良いというわけではないですが、読図力の弱い人でもかなりの情報を得ることができます。

今回のブロガーも、紙の地図があっても読図力がないために遭難は免れなかったと思いますが、GPS機能のある地図アプリがあれば遭難の可能性は下がっていたかもしれません。このように、読図力のない初心者の遭難の実情を考えれば、「どっちも大事だけれど最重要なのはアプリ」だと思うのですが、ネット上で「紙の地図を持って行かないなんてあり得ない!」という意見ばかりが目立っていることに強い違和感を覚えました。

現在では、「ヤマレコMAP」や「YAMAP」等、使い勝手の良いアプリもありますし、家族に現在地を知らせる機能もありますし、登山届もインターネット経由で提出できますから、是非いろいろとITを駆使できるようにしておきたいところです。

必要なのはリスクとの向き合い方


叩く側の問題は他にもあります。たとえば、今回のブロガーが単独での山行であることから、「単独で行くなんてあり得ない!」と指摘をする人もいますが、山に行けば単独で登山をしている人はたくさんいます。もちろん知識・実力・経験がないのに単独で行くことが問題だと言いたいのだと思いますが、ではどの程度であれば単独でも良いのでしょうか? その基準はどこに設ければ良いのでしょうか?

また、一緒に登る相手を見つけるのは実は難しいことです。既に山登りをしている人に誘われて始めるケースが多いために実感されにくいのですが、始めた後に合う人を探すのは結構ハードルが高い。私も実力や登り方が自分と近く、かつ人として気も合う知人はたくさん欲しいのですが、現状では数名だけ。山登りデートをしたいとも思っているものの、人として合うのと趣味が合うのは完全に別問題です。

装備に関しても、どこまで備えれば良いのかというのは、自分の実力、登る山の難易度、天候等によってバラバラですし、正解というのはありません。初心者の多い東京の高尾山でも、道によっては滑落や落石の危険性があるのですが、では全員がヘルメット着用するべきかと言えば、それは過剰装備のようにも思います。

山に登る限りリスクを極限まで減らそうと思えば、相当の実力が必要になり、かなりの装備を整えなければいけなくなり、熟練の山岳ガイドしか山登りができなくなってしまいます。結局のところ、リスクをゼロにすることはできません。

むしろ、「自分の実力等を考慮して、どこまでリスクを取っても大丈夫だろうか」というように、個別の状況に応じて判断する視点が重要だと思うのです。そのような視点がなく、ただ一律の常識だけで判断するのは、それ自体がリスクを上げることだと思ってしまいます。

山での反省点なんてどんどん出てくる


偉そうに自分の意見を述べてきましたが、もちろん私自身、今でも反省するべき点は山に登る度に出てきます。ということで、最後に私が感じた反省点を記して終わりにしたいと思います。

今夏のお盆に寝台快速の「ムーンライト信州号」を使って南アルプス2泊3日の旅に出ました。ところが、下車を予定していた「小淵沢駅」が今年から通過となったことに車掌さんに指摘されて初めて知り、次の停車駅「富士見駅」から当初の予定の約2倍の18kmを走って登山口(尾白川渓谷駐車場)に向かう羽目になりました。

山小屋の到着時間にかなりの余裕を持たせたプランだったということや、7月に海抜ゼロメートルの田子の浦から富士山頂に登り河口湖駅まで戻るという日帰りプラン(合計走行距離約70km)を達成しており、長いロードを走ってから高山に登ることは経験済みだったので対応できましたが、やはりなるべく予定外のことはするべきではないというのが基本です。

ムーンライト信州号は初めてではないものの、一応事前に調べてはいたのですが、インターネットで一番上に出てくるサイトが、今年も小淵沢駅に停車するという誤った情報が掲載されていたのです。しっかりと公式の情報を確認することや、情報ソースは複数確認することの大切さを改めて痛感しました。

また、2日目には南アルプス屈指の難路と言われる「鋸岳」に登ったのですが、自分たち以外の人も3名しかおらず、広大なガレ場(大小さまざまな石が散乱する礫地)も初体験だったということで、予想以上にルートファインディング(正しいルートを探し出すこと)に時間を取られてしまい、小屋に戻る時間が遅くなってしまいました。

バリエーションルートに踏み入れる際には、登山用SNS「ヤマレコ」で他人のGPS軌跡を参考に行動予定のGPSデータを作り、登山者向けの地図ソフト「カシミール3D」で読み込んで地図とデータ統合して、登山用アプリ「DIYGPS」で使用するということをしていたのですが、なぜかこの日は失念。心のどこかに慣れてきたという油断があったのだと思います。大事には至っていないですが、改めて気を引き締めないといけないと思った次第です。

山登りはいつまでも謙虚さを忘れずにいたい


御在所岳遭難者のブログが炎上。でも、あなたは遭難しない自信ある?
今年の夏は雨や曇りばかりでとても残念。紅葉の時期は晴れて欲しい!

30歳を超えてから既に100回以上登山をしていますが、「初心者」の域は抜けられても、「初級者」の域はいまだに抜けられているとは一切思っていません。反省する点が多いのも事実ですし、何よりも謙虚さを忘れてはいけないと強く感じています。どうか、今回炎上してしまったブロガーの方も、批判している側ももっともっと謙虚さを持って欲しいなというのが、いちハイカーであるにもかかわらず、こういう場で発言をさせていただく機会を頂戴した私のささやかな願いです。

なお、山登り関連の雑誌や番組に、写真や映像としてデカデカと登場したいというのが最近の私の夢。いつか出られるよう、しっかりと実力を積んでいきたいと思います。
(勝部元気)