人は強いものが大好きです。それゆえ、何らかの競技において勝ち続けている選手に対しては、とかく大きな関心を払います。

楽天ファンでもないのに、2013年のマーくんが連勝記録をどこまで更新するのか気になってしまったのも、将棋に興味があるわけでもないのに、藤井聡太四段がいつまで連勝するのかネットの速報記事で確認したのも、強いものへの憧れが働いているからに他なりません。

逆に負けるものを人は忌み嫌います。まして、競馬や競艇など、BETが絡むスポーツともなればなおさらです。敗北者に対し、憎悪を抱くことさえあるでしょう。
しかし、負けに負けて、負け続けたのにも関わらず、万人から愛された稀有な事例が競馬界に存在したのを覚えているでしょうか?

ハルウララが処分されなかった理由


競走馬の名前は、ハルウララ。この北海道産の牝馬が単なるポンコツ競走馬で終わらなかったのには、いくつかの偶然が関係しています。

1つは参戦した高知競馬場の預託料が、日本で最も安かったこと。安いといっても年間で130万円~140万円を必要としたのですが、ハルウララは1年で20回ほどのレースをこなせたために、なんとかマイナス分を補填できました。ひじょうに丈夫な馬だったことも、幸運にも(?)連敗記録を伸ばせた原因の1つ。

これが年間15回ほどしか出走することのできない体質だったならば、採算が合わないため、処分されていた可能性もあったといいます。

実況アナの口コミから始まった奇跡のブーム


ハルウララはとにかく負け続けました。1998年11月17日のデビュー戦で最下位となって以降、連敗街道を邁進します。たまに惜しくも2着になったりもしましたが、やはり1位は遠く、他の出走馬の後塵を拝す日々が続きました。

やがて月日は流れ、2003年。
7歳を過ぎて引退の道も模索され始めていたある日のこと、もう1つの偶然が起こります。高知競馬の実況担当・橋口浩二アナウンサーが、ハルウララの連敗記録に着目したのです。

この馬をアピールすれば、高知競馬が盛り上がるのではないか……。そう考えた橋口アナは、周囲の人たちにハルウララのことを広めるようになりました。
その噂は高知新聞記者の耳にも入り、ただちに夕刊社会面で関連記事を掲載。これを目にした高知競馬関係者が、廃止の危機に瀕していた同競馬場を復興させる起爆剤になると確信し、大手マスコミ各社へ売り込みをかけたのです。

100連敗達成時にはセレモニーも


その後、毎日新聞全国版に記事が掲載⇒同日放送の『とくダネ!』(フジテレビ系)で特集⇒翌日以降さまざまなマスコミで報道……という流れを経て、気づけば「ハルウララ」の名は全国区になっていました。

おかげで、閑散としていた高知競馬場には、連日多くの報道陣と観客が詰めかけるようになり、ハルウララの単勝馬券は「当たらない」との理由から、交通事故のお守りとして人気に。100連敗達成時には約5000人もの観客が押し寄せ、レース終了後にはセレモニーまで執り行われました。

「負け組の星」として人気だった?


ちょうどこの時期は、『世界で一つだけの花』が大ヒットしていた年。「ナンバーワンよりもオンリーワン」とのメッセージが呪文のように唱えられていた当時において、勝ち負けを超越した次元にいるハルウララの存在は、大衆感情にフィットしていたのかも知れません。
あるいは、無様に連敗しても走り続けるその姿に自身を投影した人たちが、“負け組の星”として祭り上げたという側面もあるでしょう。

こうして社会現象となったハルウララは、その後も連敗を重ね、2005年3月に引退。
通算成績は113連敗。

しかしこれ、日本記録でもなんでもなく、ハクホークインという161連敗の馬に次ぐ歴代2位の記録なのだとか。日本レコードでもないのにあれだけ騒がれ、さまざまな関連グッズ・書籍・CD、さらには映画までつくられた一連の顛末を振り返ると、なんだか奇妙なブームだったと思わずにはいられません。
(こじへい)

※文中の画像はamazonよりハルウララ[レンタル落ち] [DVD]
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