第2週「父の笑い」第11回 10月13日(金)放送より。
脚本:吉田智子 演出: 本木一博

11話はこんな話
長男・新一(千葉雄大)の余命がわずかと知らされて、藤岡家一同は意気消沈するが、ふとしたことから笑いが戻ってくる。
そんなアホな
13日の金曜日、なかなかヘヴィーなエピソードだった。
賛否両論、意見が飛び交うことを目的として作られているのだろうか。
なかなか難しいところにトライしているなと感じた。
経営難と新一の重体が重なり、笑顔が消えたはずの藤岡家だったが、てん(葵わかな)は率先して明るく振る舞う。それに影響されて、みんなも明るくなっていく。
まず、ここ。
無理して笑おうとしているてんに合わせて、楽しもうとする風太(濱田岳)が、唐辛子を目にこすってしまい、
熱い熱いと泣く。
おそらく、彼は、みんなの本音である悲しみを体現しているのだと思うのだが・・・。
藤岡家の不運は続く。
最後の希望であった結納の件が、伊能家から断られてしまった。
てんは、それでも「うちはへいちゃらや」と笑っていたが、彼女以外はもう笑えない。
新一の余命が、あと1週間か1ヶ月かわからないが、とにかくあとわずかであると医師から聞いて・・・涙涙のしず(鈴木保奈美)。
「そんなアホな」と、自分の非力さを悔しがる儀兵衛(遠藤憲一)。
よく使う言葉とはいえ、「おとうはんが化け猫に」のときのやりとりで笑わせてくれた「そんなアホな」をここでも使う。
「そんなアホな」は、大なり小なり、信じがたい出来事に出会ったときの、叫びなのだ。
突如身に降り掛かった災難の数々に混乱し絶望した儀兵衛は、その後、とんでもない行動に出る。
遺言か
「新一はああ見えてしぶとい子やしな」とお百度参りするしず。てんも一緒に裸足になる。
確かに、新一は、8年前も調子が悪そうだったが、その後、生き延びてきた。
奇跡を信じたい。だが、新一は「この店を大きくしてお父さんを笑わせたかった」と覚悟を決めてしまったようで・・・てんに、笑いとは何か哲学的なことを語る。
「笑うということは人間だけの特権なんや」
「虫も動物も笑わへん、人間だけが笑える」
「人間はお金や地位や名誉を競い合い、はては戦争もする あほな生き物や。人生ゆうんは思いどおりにならん。つらいことだらけや。そやからこそ笑いが必要になったんやと僕は思う」
「つらいときこそ笑うんや みんなで笑うんや」
まるで、遺言だ。
新一に「なんでやと思う?」と問われて「さあ」と返すてんの口調が大人っぽかった。
まさかの、首吊りコント
蔵で、儀兵衛が、縄にクビを入れようとしているところを見た、てんもしずもハツ(竹下景子)も風太(濱田岳)も、みんなに暇を出したこともあって、自殺を図ろうとしていると思って大騒ぎ。
結納品をしまおうとしていただけだったというオチ。
そこで、みんな爆笑。
「笑いは人を幸せにする“薬”なんやな」と儀兵衛。
仏頂面のお父はんが笑っている声が聞こえて、病床の新一も一安心。
はたして、儀兵衛は、ほんとうに、結納品をしまおうとしていただけなのか。
気の迷いで、首をつろうとしたのではないか。
でも、そこを深掘りしたら辛過ぎるので、笑って誤魔化すしかなかったのではないか。
新一と指切りしたとおりに。
笑い、泣く、人たち。
みんな、心が痛くて痛くて仕方ないから、泣くように笑うのだ。
かなりハイブロウなところを攻めてきているように思う。
前期の、漫画を原作にした「僕たちがやりました」(関西テレビ制作)で、地獄を生き抜いてきた男・ぱいせん(今野浩喜)が最後に選んだのがお笑いの道だったようなこととも近いと思う。
朝ドラ「あまちゃん」で喫茶店のマスターを演じていた松尾スズキは、地獄だから笑う、その極地を舞台で描いてきた作家でもある。
だが、絶望から逃れたい雄叫びのような笑いは、その分、置かれた状況を徹底して描かないと伝わり辛い。朝ドラで、そこを描いたら、朝からそんな酷いものを観たくないと言う視聴者もいるため、ソフトにしないといけないのだから、少々無理が生じるだろう。
「わろてんか」の場合は、「辛いときこそ笑う」というコンセプトが先行してしまった印象だ。いわゆる、やりたいことはわかるが・・・というやつだ。
でもまだ、2週目なので、これから積み重ねていけば、次第に味わい深いものになるかもしれない。
(木俣冬)