なので1期も2期も2話目が、六つ子はニートであることを強調する回になっている。
なんせ1話目が、どちらもメタ的なネタとパロディ分多め。キャラをつかめていない人置いてけぼり。各々の解説が必要だ。
しかし、ただの紹介では許せないとばかりに内臓でキャラ説明するという手段を取ってきたのが、「おそ松さん」流。

プレーン長男おそ松
2話では、一番ニュートラルなおそ松が、最もみんなから期待されていないのが面白い。
家族依存で、自己中心的な上に、こずるい。ピーターパン症候群ど真ん中だ。
とはいえ十四松より意思疎通ができるし、カラ松ほど絡みが面倒くさくもない彼。小学生メンタルなので手を焼くけれど、会話はできるはず。それでも一番ダメなヤツ扱い。
おそ松がみんなから蔑まれるのは、全員の悪いところを平均的に持っているからだ。
同時に、茶目っ気のある男性の愛嬌も、平均的に全部持っている。
六つ子を顔で見分ける際、最もネックになるのがおそ松。
彼の容姿は基準値で、そこから5人の顔が味付け調整されているからだ。
ここをBパートでネタにしてきた。
兄弟いわくプレーンなのがおそ松。
顔はその通りだ。一方キャラの性格付けは逆。少なくともスタッフは、全部盛りを意識して作っているように見える。
弟たちがダメなイメージを集めて描いた結果、いつものおそ松の顔になるシーンは象徴的だ。
推しの内臓が見られる
「おそ松さん」のファンは、訓練されている。
六つ子の内臓が描かれるシーンでは、「推しの内臓が見られるなんて」と実況で盛り上がっていた。
(なお「おそ松さん」の六つ子の中の、推しキャラのことを「推し松」と呼んだりする)
くたびれてだらしない内臓のおそ松。心臓がミラーボールなカラ松。
チョロ松が意外にも一般的な内臓。一応六つ子も元は普通の体をしてはいる、ということなのか。
一松は心臓がガラスで、萌え度が高し。内臓が笑っているのが十四松。
そして心臓がないのがトド松。さすがハートレスなドライモンスター。
この内臓は、キャラの本質の表現だ。
特に一松などは、わかってはいても今までぼかしてきた部分を、直接的に絵にしてきた。
その後、各々が絵の具で顔を描きあうことで互いの認識が見えてくる。
ぶん投げスピリッツ
おそ松たちは結局、元に戻ることができないまま終わる。
グロテスクな展開のまま、オチ一切なしで投げ捨てるスタイルは、昔ながらのギャグ漫画ノリ。
特にえぐい状態のままぶん投げること自体をギャグにするのは、赤塚不二夫が得意とした手法だ。
たとえば「天才バカボン」では、体を切って売る人の有名なエピソードがある。
強欲な彼は、手足を売り、目も歯も内臓も脳みそも売って、あげく顔と胴体のみに。
バカボンのパパはそれを売り払う。
ここまではいかないまでも、「おそ松さん」にもぶん投げ精神は生きている。
死んだりクソまみれになったりと散々な六つ子やイヤミたち。
中でも1期最終話でトト子ちゃんが切腹して死ぬシーンは極め付きだったと思う。
だから内臓アニメくらい平気。むしろ望んでいました。
視聴者の求めていた「ちゃんとした」おそ松さんは、多分こっちの方だ。
ファンに対してどこまで出せるのか、どこまで放送できるのかは、1期を見る限りだいぶ調節してきたようなので、うまい具合に驚かせてほしいもの。
2話はきっと、まだまだジャブ。
(たまごまご)
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