90年代の音楽シーンを席巻したビーイング系のアーティストたち。

ドラマやCMタイアップ攻勢でヒットの山を築いたわけだが、楽曲の露出に反してアーティストたちの露出は控えめ。
B’zを除けば、楽曲の知名度や人気の割りにはアーティスト自身のキャラクター認知は低かった印象。
とりわけ、バンド形式の場合はバンド名の“器”が大事で、メンバーの個性に重きが置かれていなかった感が強かった。

それを特に実感したのがWANDSの2度に渡ったメンバーチェンジ。しかも、ヴォーカルまでもが変更したのだから、当時の衝撃は相当なものだった。

中山美穂とのコラボで一躍スターダムに


91年12月『寂しさは秋の色』でデビューしたWANDS。
ヴォーカル上杉昇とギター柴崎浩のユニットが予定されていたところに、キーボードの大島康祐が加わる形で結成されている。

しかし、92年7月リリースの3rd『もっと強く抱きしめたなら』を最後に、大島が自身のバンドを結成するために脱退。ここまでが第1期WANDSだ。

実はこの曲こそ、WANDS最大のヒット曲だったりする。
なぜなら、この直後に中山美穂とのコラボ曲『世界中の誰よりきっと』が大ヒットを記録。紅白出場も果たすなど、WANDSの名が広く知れ渡ったことでロングヒットに繋がったからだ。
しかし、この連続ヒットでWANDSに付いた王道のJ-POP的イメージが、後のヴォーカル変更を引き起こす原因となるのであった……。

黄金時代にあった第2期WANDSの転換期とは?


そして93年2月の4th『時の扉』から始まる第2期。大島に替わって、木村真也がキーボードとして参加している。

第1期のさわやかポップ路線にロックテイストが加わり、より売れ線サウンドになったWANDS。チャート1位&ミリオンセラーを連発しトップアーティストとして不動の地位を築くのだが、異変が起こったのは95年2月の9th『Secret Night ~It's My Treat~』から。
カラオケ映えするデジタル系ポップ路線から、グランジ&オルタナ系路線への移行が始まったのだ。

そもそも、ヴォーカルの上杉がやりたかったのはこっちの路線。
洋楽ならGuns N’ Roses(ガンズ・アンド・ローゼズ)、邦楽ならLOUDNESS(ラウドネス)に憧れ、デビュー前は鼻と耳のピアスをチェーンで繋ぐようなファッションだった上杉。

ゴリゴリのロッカーだった彼にとって、ビーイングが強いた売れ線のJ-POP路線は苦痛でしかなかったのである。後に本人が「やらされてる感があった」と断言するほどに……。

『Secret Night』は、ライナーノーツに「よりダークでエッジの効いたハードなサウンドへと変化」とあるが、ようやく上杉自身の音楽嗜好に沿う曲が誕生したことになる。
ここを分岐点とし、さらに2曲をリリースするのだが、セールスが今までよりも振るわなかったのが痛かった。これまでWANDSを支えてきたファン層もイメージのギャップに戸惑ってしまっていたのだ。
そこで、ビーイング側は元のポップ路線を打診する。そして、亀裂は決定的なものになってしまうのである。


初代の歌声にそっくりな2代目ヴォーカル登場!


97年初頭、上杉がWANDS脱退を表明。ギターの柴崎も追随する大転機を迎えてしまう。
第1期から参加の主力2人が脱退し、第2期参加のキーボードのみが残る異常事態。海外のバンドならともかく、日本では非常に珍しいケースだ。

脱退を知らせる新聞の全面広告もあったが、熱心なファンはともかく、一般層はこのメンバーチェンジに気付かなかったのも事実。
なぜなら、新ヴォーカルの声がものまねを超えたレベルで激似だったのである。

第3期WANDSの第1弾は97年9月リリースの『錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう』。
フジテレビ系『ドラゴンボールGT』の第4期(最終)エンディング曲だったので、ご記憶の方は多いのではないか?
新ヴォーカルは、上杉風の声質で歌い方まで寄せすぎ。しかも、このシングルのジャケットにはアーティスト写真やクレジットもない。PVも姿はなし。
ヴォーカル変更の痕跡を隠すかのような仕上がりに、ビーイングのしたたかな戦略を感じずにはいられない。

WANDSの2代目ヴォーカル、SMAPの前身グループに所属していた!?


この2代目ヴォーカルは和久二郎(現・松元治郎)。あのSMAPの前身グループ『スケートボーイズ』に所属していたこともある元ジャニーズJr.だ。
延べ20人近くが在籍した大所帯グループであり、光GENJIのバックダンサーが主な活躍の場。
このグループのキャッチコピーが「Sports Music Assemble People」。この頭文字を取ったのがSMAPだ。

上杉が後にWANDS時代を「アイドル時代」と皮肉っただけに、ある意味納得の人選だったのだろうか?
ともかく、第3期WANDSはギターの杉元一生(現・安保一生)も加え、第2期黄金時代の復活を目指して行く。

ファンを取り戻せなかった第3期WANDS


しかし、復活までに掛かった1年半のブランクは大きかった。スピードの早い当時の音楽シーンでは、WANDSはすでに過去の人のイメージだ。
当然、魂の抜け殻となったWANDSを見切ったファンも多かった。
結局、シングル4枚、アルバム1枚をリリースしたが、セールスは下降の一途。00年3月、大きな話題もないままに「解体(解散)」となってしまうのであった。

第2期までの作詞はすべて上杉昇である。
そう思うと、脱退前の最後のシングル『WORST CRIME』での「輝けるものだけ追い求めて ここまで来たのに So Crying」「清らかな嘘なら 許されるの? すでに僕には Worst Crime」などの歌詞が実に意味深すぎる。

ちなみに正式タイトルは『WORST CRIME ~About a rock star who was a swindler~』。
「最悪の罪 ~詐欺師だったあるロックスターについて~」という意味である。



※文中の画像はamazonより時の扉
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