不倫報道に染まる週刊文春とワイドショーは日本のトランプである

小室哲哉氏の不倫疑惑を週刊文春が報じて、テレビのワイドショーがまた不倫報道だらけという事態になっているようです。

ベッキー氏と川谷絵音氏の一件から、不倫報道は高い視聴率を取れるコンテンツとして、週刊文春によるすっぱ抜き→ワイドショーでの連日報道という流れが定着していますが、重要な政治・経済・社会・国際のニュースを報じないで他人の下半身事情をいつまでも追いかけるメディアの愚かさに対して辟易している人は少なくないはずです。


インターネット上ではメディアの不倫報道に対して以前から多くの批判が飛び交っていましたが、小室氏という日本を代表する音楽家が引退に追い込まれたことから、これまで沈黙を守っていた著名人も、ようやく不倫報道に染まる日本のメディアに対して疑問の声をあげ始めるようになりました。

週刊文春等のメディアは不倫が発覚する度に、「ゲス不倫」と報じてきましたが、ゲスなのは他人の下半身を追いかけ回して報じるメディアの側ではないでしょうか。


災害報道よりも不倫報道を優先する日本のTV


1月23日に草津白根山が噴火し、1名の死亡者と多数の重傷者を出しましたが、この際も報道の話題を不倫に割いてしまうことの弊害を大きく感じました。

今回は噴火の規模も被害の規模も御嶽山の噴火に比べれば小さいようですが、「火口は鏡池付近」というネットのニュースを見て、「気象庁が火口周辺規制を行っている湯釜と違ってノーマークの箇所、かつスキー場やリフトも比較的近くにあってスキーヤーが巻き込まれる可能性の高い箇所じゃないか!」と驚き、情報収集のために急いでテレビをつけました。

どうやらスキーヤー等の死者は出なかったようですが、あろうことかテレビのワイドショーは小室哲哉氏の不倫、力士・大砂嵐によるトラブル、北朝鮮のミサイル問題等が中心で、噴火に関する情報ほとんど扱っていませんでした。NHKはテロップを表示していましたが、民放のワイドショーはニュースとして不倫や相撲スキャンダルの話題の間に挟むくらいです。

人が死んでから報道では手遅れです


私も1年半前の2016年夏に現地に訪れたことがありますが、御嶽山と違ってリフトと遊歩道で高齢者でも簡単に訪れることができるため、たくさんの観光客がいる場所でした。そこから何の兆候も無くいきなり噴火したわけです。
もし噴火が観光シーズン中であれば、被害規模は御嶽山以上だった可能性も十分あり得ます。それくらい重大な出来事だったのに、呑気に不倫報道をメインに据え続けるメディアに呆れて物も言えませんでした。

テレビの災害情報は、早く適切な情報を流すことで、人がなるべく死亡しないようにする意味も当然あります。ですから、結果がどうあれ、リスクの高い情報は集中して流さなければなりません。

ところが、今回のように大規模な災害が発生しても、延々と不倫や相撲の不祥事等、ワイドショーウケするネタを延々とやっているようですと、今後救えたかもしれない命を失うことになるのも時間の問題でしょう。


報道するべき不倫問題もある


ただし、全ての不倫を報じるべきではないとは言いません。社会のあらゆる出来事には「個人的な面」と「社会的な面」がありますが、「社会的な面」がよい大きなケースは報じる意義はあると思うのです。


たとえば、妻にワンオペ育児をさせたまま不倫する夫は少なくないですが、これはジェンダー後進国である日本のどこでも見られるケースであり、社会問題です。不倫そのものが対象ではなく、性別役割分業や女性の搾取という加害性が対象であるならば、当然糾弾されるべきだと思います。

また、女性の不倫だけが「育児放棄だ!」と言われることや、ベッキー氏のように男女の不倫で女性のほうがより強く社会から制裁に遭うこと等、ジェンダーギャップに関する問題も、当然扱うべきでしょう。


なぜ視聴者は不倫報道に群がるのか?


ところが、世の不倫報道ではそうではありません。全て出来事を「個人的な面」としか捉えることができていないのか、「社会的な面」には一切触れず、ただ「酷い!」「ゲスい!」「相手の気持ちも考えるべき!」「不謹慎!」「このご時世に馬鹿じゃないのか!」とテレビのコメンテーターたちが口をそろえて主張します。インターネット上でも他人に正義の鉄槌を下したくてたまらない人たちが、彼らに便乗してバッシングを始めます。


なぜ彼らはそのような行動に走るのか。認知神経科学者の中野信子氏は近著『シャーデンフロイデ』で、ネットにおいて匿名で正義を振りかざして叩くことは、リスクが小さい一方で快楽が大きいから、“中毒”になってしまう仕組みについて解説しています。それはセックスよりも大きな快楽を伴うことがあるようです。

そこでふと「近いのではないか」と思ったのが、トランプ大統領を誕生させた一部の白人労働者たちです。彼らはメキシコを悪者として捉えて叩いていたわけですが、もしかしたら日本ではそれが不倫した人に当たるのかもしれません。

ありのままの自分を肯定することができず、見下したくてたまらない人たちが誰か特定の人々を悪者に仕立て上げ、正義感で叩く。
叩いている人を見て、自分も気持ち良くなる。確かに日本にもネット右翼が存在して、外国人を叩いていますが、どの国とも国境を陸上で接しておらず、いまいち現実感が無い。そこでその負のエネルギーの標的になっているのが不倫ではないかと思うのです。

仮にそうだとすれば、不倫報道というのは決してメディアだけの問題ではなく、それを欲する国民の“病”であり、政治の問題であり、そういう人々を生み出す社会構造全体の問題です。根っこをどうにかしなければ、大衆迎合的なメディアが延々と不倫報道をし続ける事態は変わることはないでしょう。
(勝部元気)