(画像はイメージ)
近年増えてきた「面倒くさい人」という使われ方
例えば、上司や先生から課題を出されたとき、部下や生徒が言う「面倒くさいなあ」「めんどくせ~」という言葉。
また、上司や先生にダジャレを言われたとき、部下や生徒がポツリとつぶやく言葉も、「面倒くさいなぁ……」「めんどくせ~……」。
同じ「面倒くさい(めんどくさい)」という言葉でも、前者は昔から一般的に使われてきた意味だが、後者はちょっと違う。
もともと「面倒くさい(めんどくさい)」という言葉は、「~するのがわずらわしい、厄介だ」など、「行為」に使われることが多いが、近年は後者のように、人の性質や状況について使うケースが増えているように思う。
例えば、細かい人、こだわりが強い人、妥協できない人、正論ばかりを主張する人、自分の主張を曲げられない人、些末なことで周りともめる人などについて、今ではよく「面倒くさい人」という言い方をする。
また、細かくいろいろなことを言われたり聞かれたり、追及されたり、しつこくされたり、言い寄られたり、クダをまかれたり、愚痴をこぼされたり、押しが強かったり、自分を激しくアピールされたり、不可解な「不思議ちゃん」的発言をされたりする場合にも、「めんどくさい……」などと言う人は多い。
今ではすっかり一般的になっているが、このように人の性質や状況を表現するときの「めんどくさい」の使い方は、実は辞書には載っていない。
なぜこのような使い方が浸透したのだろうか。「面倒くさい」という言葉の変遷について、『東京のきつねが大阪でたぬきにばける 誤解されやすい方言小辞典』(三省堂)等、言葉に関する多数の著書を持つ東京女子大学現代教養学部の篠崎晃一教授に聞いた。
これは一般的な「面倒くさい」状態?(画像はイメージ)
「面倒くさい」の意味は4通りあった
「『面倒くさい』は、もともと『面倒』に、『そのような傾向がある、そんなふうに思える』などの意味を添える『~くさい』(もとの形は『くさし』)がついて生まれた言葉です。その『面倒』は室町時代から使用が見られ、A『体裁が悪いこと、見苦しいこと』、B『するのがわずらわしいこと』、C『くどくてうるさいこと』といった意味で使われていました。現代の一般的な意味はそのうちB『するのがわずらわしいこと』だと思います。江戸時代にはD『世話、厄介』の意味が生まれますが、これは現代の『ご面倒おかけします』のような用法に残っています」
なお、「面倒」+「くさい」から生まれた「めんどうくさい」という言葉は明治初期から使われているそう。
「もともと『面倒』がA~Dのような広い意味を持っていたために、人から受ける微妙な感覚を表すのにも適していたということです。汎用的に使われる素地が、昔から既にあったということですね」
「わずらわしさ」の主観的な感じ方は幅広いもの。そのため、後に一般的な使い方としては「するのがわずらわしい」に限定されていた「面倒くさい」が、人の性質や状況をあらわす際の微妙なニュアンスを表現するのに便利な用法として、復活したのかもしれないと篠崎教授は言う。
こうした使い方は若い人に特に多く見られる気がするが、その理由については次のように分析する。
「若い人は短いフレーズが好きですし、1つの語を広い意味で使いたがる傾向があります。わずらわしさの幅広い微妙なニュアンスを持ち、なんでも一言ですませられる『めんどくさい』という言葉が、非常に汎用性があり、便利なのではないでしょうか」
昔の使い方に戻った「面倒」や「全然」
面白いのは、若い人たちが昔の「めんどう」の意味や変遷など全く知らず、便利な使い方をしているうちに、自然と結果的に昔の使い方に近づいているということだ。篠崎教授は言う。
「『全然』という言葉も、昔は肯定も否定もあったのですが、後に否定のみに使うようになり、今はまた『全然良いよ』『全然OK』などと、肯定に使うことが多くなっています。言葉の使われ方は時代とともに変わるのです」
「めんどくさい」という言葉を使うとき、本当に厄介で嫌がっているときや困っているときもあれば、単なるツッコミのとき、軽い苦笑のとき、場合によっては多少の愛着を感じているときだってある。
同じ言葉でも、その微妙なニュアンスの違いは、言い方や表情によって使い分けられている。そして、その短い言葉に込められたニュアンスを読み取れるかどうかは、「空気を読む力」にかかっている気もする。
短いフレーズの中に多様で微妙なニュアンスを有する「めんどくさい」は、高度なコミュニケーションの上に成り立っている言葉なのかも。
(田幸和歌子)
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