
「ルーキーながら二軍で定位置を確保するなど期待の星。今季はマウイ・キャンプに抜てきされ、開幕一軍40人枠入りを目標にする」
“95年プロ野球全選手名鑑号”(週刊ベースボール平成7年2月27日発行)の松井稼頭央の紹介文である。
ちなみに鈴木健の趣味は「ファミコン、音楽鑑賞、カラオケは歌わない主義」、清原和博は「ゴルフ、車、カラオケは絶対歌わない」とあの頃の西武はカラオケに対して何かトラウマでもあったのか的な楽しみ方もできてしまう。

なお松井はこの95年4月5日近鉄戦(藤井寺)で一軍デビューを飾っている。そして、西武黄金時代を支えた清原や辻発彦らと同じチームでプレーをしていた男が、42歳になった2018年の今も現役を続け、15年ぶりに選手兼テクニカルコーチとして古巣へと戻ってきたわけだ。
好成績を残しても悔やみ続ける理由
プロ25年目、日米通算2699安打を放ってきた平成を代表する選手だけに、そのエピソードも豊富な選手だが、個人的に印象深いのが自著『3000安打の向こう側』(ベースボールマガジン社)で語られたトリプルスリーを達成した翌2003年の話だ。02年には140試合 打率.332 36本 87打点 33盗塁 OPS.1.006という文句のつけようがない成績でチームのリーグ優勝に貢献。03年も140試合で打率.305 33本 84打点と遜色のない素晴らしい数字を残す。外から見ていたら当時20代後半の全盛期バリバリ、メジャー移籍秒読みの背番号7はまさに怖いものなしの時期だった。
だが、松井本人は3割30本を達成した03年に盗塁数がたったの13個しかなかったことを嘆くのである。90年代は3年連続盗塁王に輝いた自分にとって盗塁は30個以上できて当たり前のもの(ってそれも凄い価値観だが)。なのにこの年は本塁打にこだわるあまり、出塁しても「次の塁を狙おう」ではなく、頭の中では常に「どうやったら長打が打てるか」を考えてしまったと振り返っている。誰よりもこだわっていたはずの走塁意識の低下……。今でもずっと03年の13盗塁を悔やんでいる。
なんたるプロ意識の高さだろうか。仕事が絶好調な時、人は些細な失敗よりも成功した事実で己を鼓舞しがち。「部長さん、営業成績もいいし結果が出てるんだから細かいこと言うなよ」みたいなあの感じ。だが、どんな仕事も勝ちっぱなしなんてあり得ない。いつか若い下の世代に追い抜かれる。どうしても体力的に落ちるベテランになって生きるのは、過去の栄光じゃなく、仕事に対する謙虚さと貪欲であり続ける姿勢ではないだろうか。例えば、楽天時代は自ら進んで外野手にも果敢に挑戦した松井稼頭央のように。

食事にも貪欲な松井稼頭央
ちなみに野球に対して今もハングリーなままの松井は、食事も好きなものを思いのままに食べる。カロリー計算とは無縁の日常(逆に引退後はカロリー計算した食生活に切り替えようと思っているらしい)。理由は普段の野球の練習でとことん自分を追い込んでいるので、食事くらいストレス解消したいからだ。
スマダン読者の社会人でも、20代や30代の働き盛りは趣味を楽しむ時間がない人も多いかもしれない。
仕事に対しても、食事に対しても貪欲であり続ける。それが40代になっても息切れしない為の秘策ではないだろうか。
【プロ野球から学ぶ社会人に役立つ教え】
忙しくても飯は腹一杯食え。
(死亡遊戯)