一期の24話は、おそ松以外の5人がバラバラになって、各々ギスギスした空気の中、歯を食いしばって自立する、しんどい話だった。
二期24話は、一期の辛さと対をなす、明るく前向きな自立の物語になっている。

会話や脇役キャラクターなどで、過去話の伏線を次々回収。
「ちゃんとする」とはなにかというテーマにそって、二期が作られていたのがわかる回だ。
「おそ松さん」2期24話。六つ子、マジで全員働いてしまう。おそ松は「ちゃんと」していたのか
「おそ松さん」第二期第5松。パッケージは十四松

倒れた父、動き出す六つ子


話は父・松造が倒れたところからはじまる。六つ子は慌てて病院に駆けつけ、呆然。落ち込んで病室から帰ることすらできない。

今までは親の言葉に一喜一憂しても「このままではニート生活ができなくなるー!」とギャグで返せていた。
しかし六つ子は基本的に、兄弟に対しても両親に対しても、ものすごく家族愛が強い。特におそ松は、みんなが一緒にいることに常にこだわってきた。
父の病気の姿は、家族がいつまでも一緒にいられるわけではないという現実を、六つ子に突きつけてくる。

おそ松「俺達のせいだよな。うちの家ってずっと父さん1人に頼りきりだもん」「そろそろやんなきゃいけないのかなーと思ってさ。そのーしゅ…就職…とか。あと、自立? とか」

言ったらアレルギーの発作が起こる「就職」の語を、おそ松が自ら口にした。


働く順番


六つ子は自立に向けて、自分たちの出来る範囲から順に手を付けている。
最初は、激務の母・松代のお手伝い。お茶を入れ、肩たたき券を作り、部屋を掃除する。洗濯物をたたみ、食器洗いをし、買い物に行く。
「くん」から「さん」のミッシングリンクを埋めるべく、六人の仕事意識はまず小中学生の段階まで戻った。

その後、個々にバイトをはじめる。
おそ松が働いているのは、一期で六人が交代しながらさぼっていた中華料理屋だ。今回は手抜きなし。

一松はチビ太のおでん屋で働く。彼は対人恐怖症気味なので、よく知っている人間の元で働くのはいい選択。チビ太の屋台は、外にテーブルを並べるほど活気あふれるほど大きくなっている。

トド松は、オシャレや女の子とは無縁の仕事をはじめ、おじさんたちと和気あいあいと飲み会の話している。今まで六つ子がだらだら飲み明かしていた「日松屋」の前を、彼は目もくれず通り過ぎる。


机の上に介護福祉士の資格の本がある。
父の病気の件を重く捉えて、努力している兄弟もいるようだ。

リアリティとファンタジーの狭間で


バイト帰りの、いつも通っていた土手。おそ松は稼いだ給料で買ったビールを飲み、一人働いた幸せを噛みしめていた。割と幸せそうだ。

そこにイヤミが通りかかり、宝探しの冒険に出ようと誘ってくる。
当然バイトがあるから、宝探しには出られない。
遠くでハタ坊、ダヨーン、デカパンが、出発の準備をしている。

おそ松がバイト帰りなのと比べたら、あまりにも現実離れした光景。
かつては、おそ松も「そっち側」だった。

二期、イヤミ・十四松・ハタ坊の「UMA探検隊」が、短編でシリーズ化していた。なんの手がかりもないUMAを求めて、行き当たりばったりの探検をするギャグシリーズだ。
おそ松ら六つ子も、今までどおりだったら、イヤミの無茶な誘いにもホイホイ乗っていたはずだ。

キャラクターとしての立ち位置のギャップに、おそ松は挟まれてしまった。

「ちゃんと」ってなに?



おそ松「いよいよ「ちゃんと」しなきゃいけないのかな」

二期1話「ふっかつ おそ松さん」では、子供のころの『おそ松くん』たちが、「将来ちゃんとする」という合言葉の元、「ちゃんとしたおそ松さん」に育った姿が描かれていた。
カラ松はちゃんとしたSFアニメのサイボーグに、チョロ松はちゃんとしたラブコメアニメキャラに成長。
メタ的に六人を「アニメキャラ」として見た時、何のアニメカテゴリの主役になるか明示する、という意味での「ちゃんと」だ。

一方今回は、資格を取得したり一社会人になるという「こっち(視聴者)」の側の「ちゃんと」基準に沿って、キャラが動いている。

『おそ松さん』は、平気でキャラがガンガン死ぬ、スラップスティックな世界だ。
ではいざ親の病気がリアルに描かれた時、おそ松は自分勝手にドタバタする「ギャグアニメ」基準でいるべきなのか、「こっち」基準で一人の成人として向き合うべきなのか。
「ちゃんと」のものさしはどこにおけばいいのか。おそ松は混乱してしまう。

彼が迷いながらふらついていた場所は、今までの話に出てきた、兄弟で過ごした思い出の場所ばかりだ。
「父さんが倒れた時、すげー怖かった。死んじゃったらどうしよう。
俺達どうなっちゃうんだろう」

「わかんないんだよ俺。わかんない。俺ちゃんとしたのかなー。てか、ちゃんとするって何だよ、知らねーよそんなの」
「俺…かっこいいかな?大丈夫?まだちゃんとおそ松でいれてる?」

おそ松は悩みに悩んで、トト子に言う。
彼女は「おそ松君がかっこよかったことなんてないよ」と返した。

おそ松は「おそ松」だ。何かしらの基準にあわせ、かっこいいキャラクター付けにしようとすると、本来の芯が歪んでしまう(だから「かっこ悪い」でもない)。
外からの見た目を考えている時点で、おそ松の目線は「ちゃんと」していないのだ。

「なんかごめんね、つまんない話しちゃってさ」というおそ松に対しての「うん、すごくつまんなかった」というトト子の切り返し。ぐずぐず迷走するだけムダだと、おそ松の目を覚まさせるに十分だった。
今回のトト子のブレないセリフはファンからの評価が高く、放送時Twitterで「トト子」がトレンド入りしている。

一期の最終回。
生々しい内容だった24話の設定を全て投げ捨て、宇宙で野球をして、全員死んだ。
これが一期の「ちゃんと」だ。
二期最終回、何が来ようとそれがおそ松の「ちゃんと」なんでしょ。全部受け止めますとも。

(たまごまご)
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