第9週「会いたい!」第51回5月30日(水)放送より。
脚本:北川悦吏子 演出:田中健二
51話はこんな話
律(佐藤健)が弓道の授業で皆中した日、初恋の人・伊藤清(古畑星夏)と再会する。
一方、鈴愛(永野芽郁)は秋風(豊川悦司)に「恋をしろ」とアドバイスされる。
パジャマ男子と子猫
50話のレビューで正人(中村倫也)と子猫のミレーヌとのばっちり2ショットで終わってほしかったが焦らし戦法かと書いたが、51話のラストはしっかり2ショットだった。パジャマの男子と猫 なかなか需要ありそうなカットである。
「さわやか」のイメージで売る朝ドラで、昼の2時まで寝ている(それもただの怠惰な寝坊)登場人物を見るとは、感慨深い。これが現代(近代)を舞台にするということなのか。
律と清
弓道の授業で再会した清の唇が「待ってて」と言った気がして、律は授業の後、彼女を待ち、2限をさぼってお茶をする。
もちろん、おもかげで。
ふたりとも高校時代に一回会ったことが忘れられなかった。
“ちょっと嘘でちょっとほんと”のことを混ぜながら、ふたりはゆっくりと自分たちの気持ちや境遇を語っていく。
おもかげをコーヒーを飲んだだけでは足りず、缶ジュースを飲みながら公園に。
清の「ほんとうの自分がわからなくなって」という話になって、律も自分の悩みを語る。
この公園でつい先日、律がロボットの夢の話をしたとき、鈴愛は自分の恋のことでいっぱいいっぱいで、ちゃんと聞いてくれなかった。それに比べて、清とはちゃんとお互いの話を聞きながら会話できている。
「井の中の蛙大海を知らず」と自分を卑下する律に清は「されど空の青さを知る」と続きがあることを教える。
律「ちょっといいね」
清「ちょっといいでしょ」
サンズイに青と書いて「清」。
ドリンク飲み過ぎのせいでトイレにいきたくなって、どうやらそのまま律の家に行くようだ。
それを遅く起きた朝(昼)は状態の正人が目撃するところで、52話へつづく、となった。
猫とお眠のようすの正人はたらし設定なのだから、女の人と一緒だったら、それこそ朝ドラ革命だったのに。さすがにそれはNGなのか。
恋をしろ 想像は負ける
その頃、鈴愛は、連絡のない(と思い込んでいるだけ)正人(中村倫也)を思って仕事に身が入らない。
秋風は鈴愛をリクリエーションルームに呼び出し「恋をしろ」と焚きつける。
「リアルを拾うんだ」「想像は負ける」「空想の世界で生きてるやつは弱いんだ」と、想像の翼の話と違うことを言う。
35話では、「ようは想像力だ。それさえあればなんだって描ける。想像の翼はどこまでも羽ばたく」とエコーつきで言っていたのに。どっちやねん、と思うが、火事のリアリティーを求めて家を焼くくらいだから、体験主義者なのだろう。というか、そもそもどっちでもいいのだ、たぶん。
「俺は今もしかしてすごくいいことを言ってる気がする」と改めて、裕子(清野菜名)とボクテ(志尊淳)
も呼んで演説しようとしたが、言葉が出なくなってしまう。
こういういい話系はTBSの日曜劇場に譲ったんだなあと思う。
ナカノガタ
鈴愛と裕子とボクテが秋風に呼ばれている間、ナカノガタこと中野(河井克夫)と野方(猫田直)は「冬のソナタ」ふうの劇伴をバックにデスクライトの光で少しふわっとなった画面のなかで、ちょっといい話を交わす。
中野が、未来ある若者たちを羨み、自分は「半端なんだよなあ」(その頃、秋風が鈴愛に「半端」はだめと言っている)と自虐すると、野方は彼の漫画を褒め、雑誌の後ろに載っていても(人気のある漫画は前のほうに載るってこと)後ろから読むと励ます。
「ありがとう。がんばろ」と中野が言った瞬間、余韻なく喫茶おもかげにカットが切りかわる。しかも、エキストラが店を出ていくところに。そこから、律と清のほのぼの会話へーー。
中野と野方の言動と、律と清の言動(とくに公園での)は理解し合い励まし合っている点において同じであるが、扱いの差がはげしい。でもようやくナカノガタのパーソナルな話が出てきただけで嬉しい。

河井克夫は漫画家であると以前レビューで紹介したが、松尾スズキとの共作で猫の漫画「ニャ夢ウェイ」も描いている。
あと、現在発売中の「テレビブロス」7月号では河合による「半分、青い。」の現場ルポが掲載されている。
ついでに記せば、清野菜名のインタビューを私がやらせていただいております。
(木俣冬)