
乳がんによる闘病生活を明らかにしていた小林麻央さんが、2017年6月22日に天国へ旅立った。あれから約1年、日本語で書かれたブログの英訳が終わり、麻央さんの闘病の様子は日本だけでなく世界にも届けられている。
麻央さんは亡くなる以前に、「34歳の若さでかわいそう。小さい子どもがいてかわいそうと思われたくない」「私の人生は彩り豊かな人生だ」とBBCに寄稿していた。34歳の若さではあったが、皆に愛され、公私ともに充実した人生だったかもしれない。
そんな日本全土が涙した小林麻央さんについて、今一度闘病生活を振り返ってみたい。

小林麻央さんの家族
小林麻央さんは、一般人の父と母の間に1982年誕生した。姉には、同じくアナウンサーの小林麻耶さんがいる。市川海老蔵さんと結婚後は、堀越麻央さんとして2人の子どもに恵まれた。
生年月日と出身地
1982年7月21日生まれの新潟県出身。
育ちは東京都のため、東京都が出身地として表記されることもある。
父母
父、母ともに一般人。小林麻央さんの闘病にあたって、父や母の存在は大きなものだった。
特に母とのやりとりについては、小林麻央さんの公式ブログ「KOKORO.」でもたびたび登場していた。
姉・麻耶さんとの関係
同じくフリーアナウンサーの小林麻耶さんを姉に持つ。
麻央さんの闘病中に麻耶さんが体調を崩したとき、「自分のために外出できなくても妹のためなら外出できる」という内容の発言を、休養から復活したテレビ出演で語っていた。とても妹思いの姉。

一方、妹である麻央さんも公式ブログ「KOKORO.」で以下のように語っている。
私の幸運のひとつは、姉の妹に生まれたことだと思っている。
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
わずか3つ違いという年の差もあってか、仲のよい姉妹仲がうかがえる発言だ。
関連リンク
・小林麻耶のニュースまとめ
・小林麻耶が妹・麻央とのツーショット公開し「キュンとしちゃいました」の声
さんまの「恋のから騒ぎ」出演がきっかけでアナウンサー志望に
麻央さんがアナウンサーになるきっかけになったのが、当時人気のバラエティー番組だった「恋のから騒ぎ」(日本テレビ系)だ。「恋のから騒ぎ」には大学卒業まで出演し、卒業後は芸能事務所セント・フォースに所属。朝の顔としてフリーアナウンサーのキャリアをスタートさせた。
学生時代に「恋のから騒ぎ」出演
フリーアナウンサーとして芸能界入りする前、麻央さんは明石家さんまさん司会の人気バラエティー「恋のから騒ぎ」に出演していた。大学生やOLなど、オーディションによって選ばれた一般女性が明石家さんまさんとともに恋のトークを繰り広げるバラエティ番組だ。
麻央さんは、姉の麻耶さんに続いて番組出演を果たした。そして、笑顔でのやり取りやピュアな雰囲気で一躍人気者へ。「恋のから騒ぎ」への出演は、麻央さんのその後の人生に大きな転機をもたらした。
主な出演番組
フリーアナウンサーをメインに活動していた麻央さんだが、ニュース以外にもさまざまな番組への出演を果たしている。バラエティー番組の他、ドラマや映画に出演することもあった。
ニュース
・NEWS ZERO
・めざましどようび
・ジャンクSPORTS

バラエティー
・恋のから騒ぎ
・奇跡体験!アンビリバボー
ドラマ・映画
・スローダンス
・アンフェア
・タイヨウのうた
・おいしいプロポーズ
・Happy!
・東京フレンズ
・マリと子犬の物語
関連リンク
・小林麻耶への嫉妬を燃やす西川史子。直接対決で太刀打ちできず涙する。
・小林麻央さんの死で深いきずなをみせた“ZEROファミリー”
市川海老蔵さんと結婚「梨園の妻」に
2009年11月19日、歌舞伎役者の市川海老蔵さんとの真剣交際を明らかにした麻央さん。その後、2010年1月29日に都内のホテルで婚約会見、結婚し「梨園の妻」となった。

出会いのきっかけはNEWS ZERO
麻央さんと海老蔵さん、2人が出会ったのは麻央さんが出演していた「NEWS ZERO」だった。麻央さんは当時、インタビューする側として、海老蔵さんはインタビューされる側として出会う。2008年12月27日のことだ。海老蔵さんは当時の心境について、「結婚するかもと思った」と語っている。

子どもも2人誕生
結婚の翌年には子どもにも恵まれた。長女の麗禾(れいか)ちゃんだ。2年後の2013年には長男の勸玄(かんげん)君も誕生した。子どもが誕生して、梨園の妻としての役割に奮闘して。麻央さんの苦労は絶えなかったが、少しずつ周りから認められ、評価される存在になっていった。
長男・勸玄君は歌舞伎の世界に
麻央さんの長男・勸玄君は、父親である海老蔵さんの背中を追って、幼いながらも歌舞伎の世界に身を置いている。勸玄君の初お披露目があったのは、2015年11月のこと。わずか2歳での初の舞台だった。父親である海老蔵さんの初お披露目は5歳だったので、父親よりも早く歌舞伎役者としてのキャリアをスタートさせたことになる。
初舞台は、勸玄君のために構成されたもので、父親である海老蔵さんの手に引かれながら舞台の中央へ。幼いながらもしっかりとしたあいさつであった。初お披露目当時、麻央さんは闘病中だったが、体の無理を押して、息子の晴の舞台を見届けた。
関連リンク
・市川海老蔵&小林麻央さんの結婚前秘話 徳光和夫アナが明かす
・小林麻耶 妹・麻央の出産に立ち会った経験を報告
乳がんが発覚 闘病生活へ
麻央さんの乳がんが発覚したのは、2014年10月のこと。10月21日の生検によってがんと断定されて、がんが分かったのだった。
ただ当時は、乳がんを公表していなかったので、さまざまな憶測がされていた。しかし、完全に隠し通せなくなったこともあり、2016年6月9日、夫である海老蔵さんが会見で麻央さんが進行性のがんであることを告白。1年8カ月前に乳がんが分かったことを明らかにした。
当時から不安の声もあったが、アナウンサーとして成功して歌舞伎役者と結婚し、2人の子どもに恵まれて、まさに幸せの絶頂期だと思われた麻央さんの乳がん発覚と闘病に驚いた人もいただろう。
がん発見のきっかけは
麻央さんの乳がん発見のきっかけとなったのは、2014年2月に受けた人間ドックだった。その人間ドックで乳房に腫瘍があることがわかる。検査を担当した医師からは、がんかどうか、はっきりとはわからないと言われた。
その後、精密検査を受けるが、授乳中だったこともあり心配ないといわれている。不安だった麻央さんは生検をしなくてもよいか確認したが、医師からは必要ないといわれた。
しかし、人間ドックから8カ月過ぎた2014年の10月に、麻央さんは胸にしこりがあることに気づく。不安に思った麻央さんは、すぐに再検査をして生検を受けた。結果は、ほぼ間違いなく"がん"という重い診断だった。
当時の後悔については、麻央さんの公式ブログ「KOKORO.」でも以下のように語っている。
私も
後悔していること、あります。
あのとき、
もっと自分の身体を大切にすればよかった
あのとき、
もうひとつ病院に行けばよかった
あのとき、
信じなければよかった
あのとき、、、
あのとき、、、
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
麻央さんの悲痛な思いが感じられる。
乳がんになったこと、早期に乳がんを見つけられなかったことは誰のせいでもないが、やらなかった後悔は尾を引いただろう。きっと優しさにあふれた麻央さんだったからこそ、他人を責めず、自分の後悔として言葉を残している。

闘病中に行った治療
闘病が公にされてから、麻央さんの闘病は注目された。まず、標準治療を取らなかったことだ。標準治療とは、抗がん剤による治療、乳房切除などの一般的な治療を指す。がんとわかった段階で病院側より標準治療の説明があったが、麻央さんと海老蔵さんが標準治療を選択することはなかった。
標準治療を行わない代わりに、病院を移り、さまざまな民間療法を試すなどして治療の方法を模索していたという。当時の週刊誌では、麻央さんが「水素温熱免疫療法」を取り入れていることが報じられることもあった。
ただ、多くの治療法が生まれた現代で、治療法を選択するのは難しい。標準治療を選択すると、乳房を切除しなければならないし、抗がん剤治療によって髪は抜け落ちてしまうかもしれない。特に女性にとっては難しい選択肢だっただろう。さらに、当時の麻央さんは3人目の子どもも考えていたという。
標準治療で助からない人がいて、民間治療で助かる人もいる。治療の選択が間違っていたかどうかは今ではわからない。それくらい、がん治療は難しいものなのかもしれない。
気功での治療も試みていた?
麻央さんの闘病が報じられてから、民間治療として気功も試みていたのではないかという情報も浮上した。確かに、気功でがんを治すという治療法もあるようだ。真偽のほどは確かではないが、麻央さん含めた家族は、藁にもすがる思いで治療を模索し続けていたのだろう。
闘病中にブログを立ち上げる
闘病生活がはじまって約2年、麻央さんは「KOKORO.」というブログを立ち上げた。「なりたい自分になる」というタイトルではじまったブログには、先生の「がんの陰に隠れないで」という言葉に励まされたことがつづられている。
私は
力強く人生を歩んだ女性でありたいから
子供たちにとって強い母でありたいから
ブログという手段で
陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
そして文中には、麻央さんの力強い言葉が刻まれていた。
麻央さんのブログは、麻央さんが天国に旅立つ少し前まで更新され続けた。闘病中のつらいことや麻央さんの前向きな気持ちなど、赤裸々につづられたブログは、多くの人に希望を与えることになる。わずか1年にも満たなかったブログの内容は、社会に大きな影響を与えた。
ブログでの最後の言葉は
麻央さんの公式ブログ「KOKORO.」に最後の更新があったのは、2017年6月20日。亡くなるわずか2日前のことだった。「オレンジジュース」というタイトルで、最後の言葉は以下のようにしめられている。
ここ数日、
絞ったオレンジジュースを
毎朝飲んでいます。
正確には、自分では絞る力がないので、
母が起きてきて、絞ってくれるのを
心待ちにしています。
今、口内炎の痛さより、オレンジの
甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ!
朝から 笑顔になれます。
皆様にも、今日 笑顔になれることが
ありますように。
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
この数日後に旅立ってしまったとは思えない、前向きで明るい言葉がつづられていた。ブログを読んだ人が見て明るくなれる、麻央さんはそんな一言を残して旅立って行った。
関連リンク
・小林麻央は「乳がん」 夫・市川海老蔵が会見で病名発表
・がん代替治療:小林麻央さんと北斗晶を分けたものは何だったのか|やまもといちろうコラム
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多くの人が悲しんだ麻央さんの死去
最後まで前向きだった麻央さんは、ブログ更新の2日後、2017年6月22日にその生涯を終えた。34年という短くも力強い一生だった。麻央さんの死は、芸能界だけでなく、一般の人にも影響を与える。麻央さんの死を惜しむコメントは、SNSや公式のブログにまで多数寄せられた。それだけ、麻央さんの生き方は、いろんな人に影響を与えていたのだ。
海老蔵さん、葬儀で「まおとの最後のお別れ」
夫である海老蔵さんは、2017年6月26日に麻央さんと最後の別れをしたことを明かした。葬儀は、家族でしめやかにとり行われたという。子どもたちも立ち会う葬儀となった。棺には、結婚式に海老蔵さんが送った麻央さんの誕生石のルビーで作ったネックレスを添えたことも語った。
世間の反応 英BBCも取り上げる
先に一部を紹介したように、麻央さんは生前英BBCに寄稿している。ブログの中で、いつでもこんな気持ちでいられるわけではないと語ったものの、寄稿文にはこれまでの病人に対する意識が変わる言葉が込められていた。寄稿された文章は、日本語の他、英語にも訳されて記事となった。世間の反応は大きかった。

こうした世間の反響もあってか、麻央さんは、2016年英BBCの世界でもっとも影響力のある女性100人に選ばれる。これまで、日本人が選出されたことはない。麻央さんの闘病生活が、日本だけでなく、日本を超えて世界へ、どれだけ影響を与えていたかうかがい知れる。日本を超えて、遠い異国の地まで麻央さんから勇気をもらっていた人がいるのだ。
そして、麻央さんが亡くなった当時は、英BBCのトップニュースとしても取り上げられた。日本の一芸能人の扱いとして考えると、異色のことだ。またBBCでは、麻央さんのブログが個人的なことを話さない日本では、画期的なことだったと評価している。
麻央さん死後のブログに寄せられる声
麻央さんが亡くなってからもなお、公式ブログ「KOKORO.」には多数のコメントが寄せられている。以下はコメントの一部。
まおさん私もなりたい自分になりたいって思えた。
私もまおさんのように人を愛せて、そんな人と一緒にいたいって
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
落ち込んだり、上手くいかないことがあると麻央さんのブログを拝見しています。
そして、励みにさせていただいています。
辛い中でも笑顔や楽しみ、優しさを絶やさなかった麻央さんのような人になれるように私も頑張ろうと思っています。
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
私も病気になり2年近く休んでいた時に麻央さんのブログに励まされていたひとりです。この一年で信じられないほど回復して、いま元気に働いてもいます。でも、少し心が折れそうな時にいつも思い出しますよ麻央さんのブログ。
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
麻央ちゃん、本当にありがとう。
あなたの生きざま、優しさ、強さ、笑顔。
忘れることはできません。
ずっと心の中で生きています。
たくさんの勇気、ありがとう。
いつまでも、私の中には麻央さんがいます。
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
麻央さんが懸命に生きた証を再確認する1日でした…。
あの日から、自分には何が出来るのかを考えながら、時には挫けながらそれでもまた泣きながら立ち直り考え生きてきました。
いろんな生き方がありどんな風に生きれば正解なのかなんて今もわからないままですが、ずっとずっと変わらないことは、あの時確かに麻央さんの言葉が胸に残り、それが今でも心で生き続けていることです。
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
麻央さんのように病気で悩んでいる人だけでなく、家族が病気の人、仕事で悩んでいる人、いろんな人が麻央さんのブログを見て、今でも勇気づけられている。死後も、人々の心の中に麻央さんは生きているのだとわかる。
麻央さん1周忌 海老蔵さんと子どもたちは今
2018年6月20日、夫の海老蔵さんによるブログの英訳が完了した。ブログの英訳には、日本のみならず世界中の人々に麻央さんのことを知ってもらい、麻央さんと同じように乳がんと闘う人たちの力になりたいという海老蔵さんの強い思いが込められている。
2017年6月に麻央さんが亡くなってから約1年、海老蔵さんは1つの大仕事を終えたことになる。
そして、2018年6月22日には、麻央さんの一周忌を迎えた。一周忌当日の朝に更新された海老蔵さんのブログには以下のような言葉が綴られている。
今日です。
一年が経ちました。
おはようございます。
今日も多くの方々が幸せで
愛を感じる
素敵な1日でありますように
ABKAI 市川海老蔵ブログ
まるで麻央さんが書いているかのような文章からは海老蔵さんが麻央さんの思いを受け継いでいることを強く感じることができるのではないだろうか。
息子の勸玄君も歌舞伎の稽古に力を入れ、麻央さんの姉の麻耶さんは2018年7月に結婚を発表するなど、子どもたちも家族もそして海老蔵さんも前に進み続けている。きっと、麻央さんもどこかで家族のことを見守り続けてくれていることだろう。
(結貴/studio woofoo)