自民党の二階俊博幹事長が2018年6月26日、東京都内での講演で、「子どもを産まないほうが幸せじゃないかと勝手なことを考えて(いる人がいる)」と述べて、大きな批判を呼んでいます。

このような「産めよ増やせよ」的な考えのもと、他人の産む権利や産まない権利を侵害するような発言は、人として到底許されるはずがありません。
言わずもがな、子を産むか否かの選択は全て個人の自由であり、むしろ自分勝手なのは、他人の幸せに対して「勝手な考えだ」と口を挟んでくる二階氏のような人物のほうでしょう。

翌6月27日の党首討論でも取り上げられ、安倍首相は「私の家庭も残念ながら子宝に恵まれていない。産むか産まないかは本人の選択に委ねられるべきだ」と答弁しました。子のいない家庭の当事者として、二階氏の発言に対してもっと強い怒りを覚えないのか、不思議で仕方ありません。

繰り返される自民党の産めよ増やせよ発言


そもそも、二階氏に限らず、これまで自民党の政治家は様々な全体主義や「産めよ増やせよ」思想に基づいた女性の権利侵害発言を幾度となく繰り返してきました。

たとえば、2007年1月には第一次安倍政権の柳沢厚労大臣による「女性は子供を産む機械」という発言、2017年11月には山東昭子氏による「子供を4人以上産んだ女性を政府で表彰する」という発言、2018年5月には加藤寛治衆院議員による「必ず3人以上の子供を産み育てていただきたい」という発言等、枚挙に暇がありません。

形だけの謝罪はしても、結局その考えの何が問題かはサッパリ分かっていないのでしょうから、こうやって同じような発言をいつまでも繰り返すのだと思います。

少子化にも本来は大きなメリットがある


さて、ここでいかに日本の少子高齢化が悲惨な状況にあるかを改めて確認したいと思います。少子高齢化で度々問題にあげられるのが、生産年齢人口と高齢者の比率です。現状は生産年齢にある2.4人で高齢者1人を支えているわけですが、さらなる少子高齢化が進むことで、約1人で高齢者1人を支えなければならない状況がやって来ると予想されています。

年金制度を積立方式ではなく、なぜ賦課方式(現役世代が高齢者に仕送りをする方法)を採用したのか、損する世代としては恨みしかないのですが、この制度を温存する限り、高齢者を支える現役世代の負担は大きくなる一方です。

ただし、少子高齢化はメリットもあるはずです。もう一方の支えなければならない存在である子供が減るということは、社会全体における1人当たりの子育て負担が少なくなります。国勢調査から過去の状況と比べてみましょう。


ミレニアル世代が生まれ始める約35年前の1980年は、日本の人口117,060,396人に対して、18歳以下の人口は34,212,109人。子供は全体の29.23%を占めています。つまり、19歳以上の大人3.42人で1人の子供を支えていたわけです。

一方、前回(2015年)の調査ではどうなったのでしょうか? 日本の人口127,094,745人に対して、18歳以下の人口は20,700,643人。子供は全体の16.29%にまで低下しました。これは、19歳以上の大人6.14人で1人の子供を支えている状況です。つまり、社会全体における1人当たりの子育て負担は本来約44%削減されているはずです。

中国も一人っ子政策時代に、子供が親2名祖父母4名から多大な支援を受けるという意味で、「六个●包(●は銭の簡体字)」という言葉がありました。日本もこれだけ子供が少ないわけですから、本来は社会にいる大人たちから、金銭的な意味でも人員的な意味でも莫大な投資を受けても良いはずです。

二階幹事長「産まないのは勝手な考え」発言、日本を沈没に導く人たちの傲慢さ


子供を大切にしない大国「日本」


ですが、現実はどうでしょうか? すでに数多の人たちが指摘しているように、子育ては決して楽にはなっておらず、逆に大変になっていると言っても過言ではないように思います。

イエ制度の意識が根強く残っているためか、子供を社会で育てるという概念が発展せず、その多くが親に依存したままです。教育への公的支出がOECD諸国で最下位(2014年)なのは、まさにその表れと言えるでしょう。約6人に1人の子どもが貧困に陥っており、先進国最低です。


また、先日も目黒の5歳児虐待死問題で、日本の虐待防止予算がアメリカの130分の1に過ぎないことが浮き彫りになりましたが、いかに日本が子供(とりわけ他人の子供)を大切にしない国かがよく分かります。

「昔は大変でも頑張ったんだから!」は通じない


昔は親(主に父親)が終身雇用制度に守られて年収が上がり続けていたので、公的支出が少なくとも良かったわけですが、職を失うリスクが増大して、勤労者の平均年収が1997年のピーク時より50万円前後も下落しているのに、公的支出が進まないと、当然親の「相対的負担」は増します。

学費も消費者物価指数の伸びを大きく上回り、たとえば大学授業料は1980年当時から約3倍に膨張しており、親の負担は昔とは比べ物になりません。かなり単純化してしまえば、今1人育てるのに30年前の3人分の負担を強いられるわけです。

確かに夫婦共働きによって乗り越えることも理論上は可能ですが、長時間労働や性別役割意識が根強く残るせいで、夫が家事育児の半分を担う状況までは程遠く、結局「夫が大黒柱スタイル」から抜け出せない家庭がほとんどです。親が2人いる家庭ですらこのような悲惨な状況なのに、増加する一人親家庭はさらに強烈な人手不足に悩まされています。

二階幹事長「産まないのは勝手な考え」発言、日本を沈没に導く人たちの傲慢さ


日本という船を沈没に導く権力者たち


このように、日本社会は、「子供を支える大人が増える」という少子化のメリットを何ら活かせていないばかりか、むしろ親への負担を増大させているわけです。「少子化が問題だ!」とは散々言われていますが、それは間違いで、「少子化のメリットの部分すらもなくしてしまうような日本の少子化が異常」というのが正しい言い回しでしょう。

二階幹事長「産まないのは勝手な考え」発言、日本を沈没に導く人たちの傲慢さ


二階氏は「国全体が、この国の一員として、この船に乗っているんだからお互いに」とも述べていましたが、このような「子供が持ちにくい社会」を作り出し、日本という船を沈没に導いているのは、他でもない自民党政権を担ってきた彼ら自身という自覚がないことが信じられません。

私ももうすぐ35歳を迎えますが、子を産みたいけれどまだ産めない同世代の独身女性たちから、妊孕性(妊娠のしやすさ)が急激に下がることに対する阿鼻叫喚を聞いている中で、本当に怒りしか覚えません。

また、18歳未満の子供たちには、「うちらの世代が何とか頑張って社会を変えたいけれど、おそらく変えられる可能性は低いから、故郷を捨てる前提でライフプランやキャリアプランを考えて」と、言わざるを得ません。そこまで追い詰められていることを分かっているのでしょうか?

子育てに関わらなければ私たちも同罪になる


そして私たち自身も、彼らが犯した過ちを絶対に引き継いではいけないと思います。そのためにも、一人一人が出来ることを心掛けたいものです。

たとえば、子のいない人は親族や友人知人の子育てに積極的に関わることが大事だと思っています。
対象者がいなければボランティア等でも良いでしょう。金銭的な支援でも人員的な支援でも良いですが、政府が税金の再配分という形で社会の子育てに貢献させてくれないならば、自ら直接子育てに貢献するしかないのです。

考えれば考えるほど落ち込むことも多いですが、希望を見失わず、国を牛耳る権力者たちが引き起こしているこの人災を生き抜くために、何とか皆で協力して行きましょう。
(勝部元気)
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