日本大学アメフット部の違反タックル問題が、連日様々なメディアで報じられていると思います。学生スポーツの一違反行為であればここまで大きな話題にはならなかったと思うのですが、アメフット部全体や、さらには日大という組織そのものの問題であることが浮き彫りになり、さらに注目を集める結果となっているようです。
それにしても、これほど指摘しなければならない問題がたくさんあるニュースも珍しいと思います。
◆パワハラが生んだ不自然極まりない違反タックル
◆内田元監督や大学側が宮川選手を突き放したような対応と言い逃れ
◆誠意を尽くした学生の記者会見に比べて稚拙さが目立った日大側の会見
◆日大の記者会見の司会者を務めた広報が鼻で笑われるレベルの酷い対応
◆日大のイメージを下げるような行動は慎むよう学生に指示する通達を出す大学側
◆学生の就活への影響を懸念することがメインになった学長の記者会見
◆日本体育大学や日大ラグビー部に苦情を入れる人たち
◆記者会見でアナウンスを無視して選手のアップを映し続けるマスコミ
等々、枚挙に暇がありません。確かに有名大学が不祥事で評判を落とすことはこれまで何度もありましたが、日大アメフット問題がこれまでの不祥事と次元が異なるのは、これだけ問題視されても学校側が非を認めない監督・コーチを庇い続け、事後対応も類を見ないほどの保身に走るところでしょう。まるで「セクハラ罪はない」と言ったどこかの財務大臣から学んだかのような対応です。
結局それが火に油を注ぐことに繋がるわけですが、残念ながら危機管理学部もあるはずの日大の中では、それを戒めることの出来る勢力が弱いのか、学長が出てきてもいまだにまともな対応は皆無です。来年2019年に創立130年を迎え、先人たちが築き上げてきた伝統ある日本大学のイメージは、悪化が避けられないと思います。
内田前監督を生んだのは日本のスポーツ文化では?
ここまで酷いと多くの人が日大に批判の矛先を向けるのも仕方ないと思いますが、この問題は必ずしも日大アメフット部や日本大学だけの問題ではないと思います。日本における“体育”やスポーツの文化そのものにも原因があって、今回の件はその結果として生まれた事件のように思うのです。
たとえば、厳しい指導に耐えながらも懸命の努力を続けて勝利を勝ち取ったことを賛美する根性論や、自分を押し殺して集団の勝利のために尽くす滅私奉公の賛美、1歳違うだけの先輩にも服従する強力なピラミッド構造を推進する「体育会系」の思想等がもてはやされる傾向にあります。日本の体育はしばしば旧日本軍との関連性を指摘されますが、確かにこれらの精神性に異様に重きを置いている点は共通していると言わざるを得ません。
このような考えを社会がすんなりと受け入れてしまいがちですから、今回の内田前監督や、女子レスリングの伊調馨選手をパワハラした日本レスリング協会の栄和人元強化本部長のような勘違いした指導者が生まれ、野放しにされ、あとからあとから出て来るのだと思うのです。
ちなみに、私はそのような運動部に属していたことはありませんが、高校生の頃に通っていた学校に元オリンピック選手でアーチェリーの銅メダリスト(その後銀メダルも獲得)の教師がいました。学校の階段を下りていたら、真ん中を歩いてきた彼に、「生徒がどくのが普通だろ!俺を誰だと思っているのか!」と言われて、暴力を振るわれたことがあります。
感動ポルノとスポーツを合体させたマスコミ
そして、それらの責任はマスコミにもあります。根性論や滅私奉公や体育会系文化を賛美して、ある種ドラマ化する「感動ポルノとスポーツを融合させる演出」ばかりしています。オリンピック報道の際にも記事にしましたが、「お涙頂戴」等を重視して、スポーツそのものの面白さを伝えようとしていないのです。
実際、記者会見に臨んだ宮川選手に対しても、司会者からの制止を無視して顔のアップを映し続けただけではなく、タラレバ質問を繰り返す等、感動ポルノ的な演出をしようと試みる記者の質問が相次いでいました。それらのマスコミの愚かな質問に対して、インターネット上では大きな批判を呼んでいましたが、当然マスコミ自身は報道しません。自浄されず、また同じような問題でも、感動ポルノ目指して酷い質問を繰り返すのでしょう。
そして、マスコミに触発された巷の小さな指導者たちが、根性論や滅私奉公や体育会系文化賛美を平然と模倣してしまいます。さらに、「子供をしっかりしつけるため」と思って、あえてそういう環境を子に勧める親もいて、本当に人権侵害の再生産がマスコミを中心に起こっているように思うのです。
国民をスポーツ嫌いにさせる日本の「体育」と「部活」
次に、このような歪んだ日本の体育文化とマスコミが生み出す被害者は、ケガを負った関西学院大学の選手や宮川選手だけではなく、この日本にごまんといると思うのです。
宮川選手は記者会見で「(高校の頃は)好きだったフットボールがあまり好きではなくなってしまった」と述べており、この話を聞いた時に、「大好きだったことを嫌いにさせるような内田前監督は酷い!」と思った人もいると思うのですが、スポーツを嫌いにさせているのは内田前監督だけでしょうか?
私は毎週1回必ず山登りをして、毎月平均170km歩いているのですが、それを話すと「楽しそうでうらやましい」のような感想をよく聞きます。彼ら彼女らが何故楽しそうだと思っているのに自分は体を動かす趣味を持たないのか探っていくと、多くの場合、体育の授業(主に小学校)において、出来ないことをみんなの前で見せしめられるような、トラウマになるような教師の指導方法に行きつくのです。
3年前にバズってテレビのニュース番組からも出演要請を多々頂いた、「ドッジボールは人にボールをぶつける暴力性が高い競技だから、運動を苦手な子を中心にトラウマを抱えることが多く、“みんな一緒に”ではなく選択制にするべきだ」という主張をした際も、実際にトラウマになったという人たちから「言ってくれてありがとう」「あれ以来、球技が嫌いです」という声をたくさん頂戴しました。
また、仮に運動が得意でこの「小学校の壁」を乗り越えられたとしても、今度は中学や高校で前述のような、根性論・滅私奉公・体育会系ピラミッド秩序賛美の指導者や組織に絡め取られます。
高齢化に伴う医療費の増大を懸念し、運動の習慣を身に着けさせようと厚生労働省や医師たちは必死ですが、その諸悪の根源たる「体育」や「部活」にメスを入れない限り、今度も体を動かさない人が量産され続けると思います。
セカンドレイパーには内田前監督を責める資格は無い
最後に、今回の事件は宮川選手が世間の共感を集めて、日大側が全面的に悪いという雰囲気になっており、宮川選手に対しても手を差し伸べる人たちが多々いますが、財務省のセクハラの問題や山口達也氏の強制わいせつ問題の時には、「女性記者のハニトラでは?」「男の家に行った女子高校生も悪い」と、むしろ被害者にも非があったという言説がそこらじゅうで目立ったことに、男女の大きな格差を感じました。
ハラスメントの被害者が男性の場合に共感出来ることが、相手が女性だと出来なくなるというのは、女性を同じ人間と捉えていないか、以前の山口達也氏の件について書いた記事でも指摘したように、ミソジニー(女性嫌悪)由来の「悪いのは女性」という歪んだ認知を抱えていることが原因でしょう。
被害者が女性の場合に加害者側に回って被害者を批判する人たちは、日大の体質を批判する資格は一切無いと思います。あれこれ言い訳をつけて実質的に「自分は悪くない」「違反行為は宮川選手の意思だ」と選手に責任転嫁し続けている内田前監督と、完全に同じ穴の狢ですから。
今回の日大問題は確かに開いた口が塞がらないことも多いのですが、詳しく見て行くと、私たちのこの日本社会において、プチ日大やプチ内田がたくさん転がっていますし、それに何ら対処をしないどころか、すくすくと育ててきたのは私たちの社会です。本当に日大の問題をマズいと思うのであれば、自分たちの周りにあるプチ日大やプチ内田、そしてそれを生み出す構造や文化をしっかりと是正して行きましょう。
(勝部元気)