「過激化した非モテ男性」という日本社会の新たなリスク
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駿河台大学准教授の八田真行氏が書いた『現在ビジネス』の「凶悪犯罪続発!アメリカを蝕む『非モテの過激化』という大問題」という記事が、インターネット上で俄かにヒットしています。

記事によると、近年アメリカで凶悪な銃撃事件が多発していることは日本でも報道されていますが、これらの事件を引き起こす犯人たちの間には、「インセル」という共通のアイデンティティーがあったことがアメリカで話題となっているようです。

「インセル」(Incel)とはInvoluntary celibateの略で、八田氏は「非自発的禁欲」と訳しています。つまり、本当はSEXしたいのにSEXする相手がいないから、不本意に禁欲状態にあるという意味のようです。

このインセルという言葉は、2014年5月にカリフォルニア州で大量殺人を起こしたエリオット・ロジャーが、声明の中で自らをインセルと規定し、自分とSEXをしない女性たちへの復讐を声高に謳ったことが発端で広まったとのこと。その後も凶悪犯たちが同様に非モテを理由に犯行に及び、中にはエリオット・ロジャーを英雄視する者もいたことで、個人の問題ではなく社会的な問題だと認識されたようです。

テロを起こす過激思想と言えば「イスラム過激派」という印象を持つ人も多いと思いますが、アメリカ社会においては、今やインセルこそが最も危険なテロリズムだと言っても過言ではない状況にあるようなのです。

非モテメンタルミソジニストの心理を読み解く


これは決して対岸の火事ではありません。日本も状況は全く同じです。Twitterにも、八田氏の記事を引用しつつ、「(インセルは)完全に我々界隈と思考が一緒」と述べていた匿名のアルファアカウント(※フォロワー数約10,000人以上の影響力のあるアカウントのこと)がいましたが、インセルと精神構造を同じくする層が日本でも確実に大きな勢力となって来ています。

日本だと彼等は、「非モテ男性」「弱者男性」「キモカネ(「キモくて金のないおっさん」の略)」を自称しています。「オタク」という属性も合わせ持ち、それを自称していることが多いようです。これらの“自称”という点が特徴的で、他の誰かによってレッテル張りされているわけではなく、自分で自らのアイデンティティーを「非モテ」と規定しているのです。

そもそも何を持って「モテ」と「非モテ」を分類するかは人によって見解が分かれるものですから、性別や人種のようなデモグラフィック(人口統計学的)属性とは異なり、かなり主観的な判断に立脚したサイコグラフィック(心理的)属性と言えるでしょう。ですので、ここではメンタルに焦点を当てて、便宜上彼等のことを「非モテメンタルミソジニスト」と呼ぶことにします(※ミソジニスト=女性差別主義者)。

このように、彼等は自分が「非モテ」を代表するような言い方をしますが、単なる「非モテ」とは違います。特徴を列挙するならば、(1)強烈なミソジニー(女性嫌悪)を抱え、(2)女性にモテない自分は被害者or社会的弱者だと思い込み、(3)ネット上の「manosphere(≒オトコ村)」に生息して仲間内でそれらの強化し、(4)女性やフェミニズムの進む社会を敵視する、という4つを備えている人たちです。正確に定義するならば、「女性嫌悪的かつ被害妄想的な非モテメンタリティーを抱えた男性」というのが適切でしょうか。


自称非モテ男たちはモテたいと思っていない


それから、彼等は「非モテ」と言う割に、実はモテたいとは思っていません。もし本当にモテたいのであれば、見た目やキャッチボール的コミュニケーション能力を磨けば良いと思うのですが、それは全くしないのですから。

ミソジニーを抱えている彼等にとって、恋愛やSEXは女性を支配する手段でしかないため、相手の好意という感情には一切興味が無く、結果だけを求めるのです。また、憎き女性のニーズに応えることを「屈辱的なこと」と解しているため、「ありのままの僕を愛してくれなければ嫌だ」となるのだと思います。実に、利己的ですね。

石原さとみさん交際報道の記事でも指摘しましたが、彼等が本当に望んでいるのは、恋愛やSEXそのものではなくて、それらを無条件に獲得できる(と誤解している)「男社会カーストでの高い地位」に過ぎません。女性を叩いては恋愛やSEXができる機会を自ら木っ端微塵に破壊しているのは、そのような心理にあるからでしょう。

自称非モテとナンパ師は同じ穴の狢


そして、「非モテメンタルミソジニスト」は、必ずしも一般的な意味での「非モテ(恋愛経験や性的経験が無いか極度に少ない)」とは一致しない人たちもいます。たとえば、法律婚のパートナーがいても、過去の「非モテ」というアイデンティティーが強過ぎて、抜けきれない人がたくさんいるのです。

ナンパ師も同様です。先述の記事で八田氏は、インセルとピックアップアーティスト(ナンパを女性と知り合うための手段ではなく、ただ肉体関係を多くの女性と重ねることだけを目的にしている、自己啓発的なナンパをする男性のこと)は、強烈なミソジニーと低い自己効力感という2点において同じ穴の狢だと指摘していました。

これはまさに私が日本のナンパ術「恋愛工学」について散々「自己肯定感が低い」と指摘して来た日本の問題と全く同じです。(※恋愛工学の問題に関しては、書籍や過去記事noteの記事(一部無料)をご覧ください)


女性へのヘイトを爆発させる「ネトミソ」の急先鋒


そして、彼等は強烈なミソジニーからインターネット上で女性バッシング・女性へのヘイトスピーチを繰り返しています。Twitter等では、女性アカウントに対して直接攻撃的なリプライを送り、執拗な粘着行為を行っていることは日常茶飯事です。近年のネット上の女性叩きや女性に対するサイバーハラスメントをする人は必ずしも非モテメンタルミソジニストとは限らないですが、彼等がその急先鋒であることは間違いないように思うのです。

とりわけ、性暴力被害者に対するセカンドレイプをして、必死に加害者を擁護する人が多いように感じます。彼等のほとんどが自分でレイプをしないはずなのに、なぜレイプ加害者を擁護するかと言えば、「レイプできる余地」という女性に対して有効な男性権力(女性よりも有利に立つための武器)を手放したくないからでしょう。合意の元にSEXに及ぶ自信が無いからこそ、余計にそれを社会から否定されたくないのだと思います。

2017年末の記事でも書いたように、作家でブロガーのはあちゅうさんがセクハラ被害を訴えた際、彼女の過去の発言を掘り起こした非モテメンタルミソジニストたちが大量に噴出して、童貞問題・非モテ問題に論点がすり替わってしまいました。同じようにバッシングを受けた伊藤詩織さんは、日本に住めなくなって、現在はイギリスで暮らしているとのことです。

非モテ問題は既にリアル社会への影響も


非モテメンタルミソジニストの女性に対する矛先は、インターネット上だけに留まりません。その典型例が、以前の記事でも指摘した女性専用車両への乗り込み行為でしょう。痴漢という根本的な社会問題は徹底的にスルーして、「女性専用車両は男性差別だ!」という無茶苦茶な理論を声高に叫び、迷惑行為を繰り返しています。抗議する女性たちを盗撮してYouTubeにアップすることもしており、加害者以外の何者でもありません。

また、非モテメンタルに陥っていたかは不明ですが、明らかにミソジニーから来る暴力行為として最近話題になったのが、女性にだけタックルをし続ける「ぶつかり男」でしょう。さらに、児童ポルノが蔓延する日本の場合、より支配が容易な女児を性的対象に据えて「ペドフィリア」になる場合が少なくないように思います。もしかしたら近年起こった女児誘拐事件や殺害事件もこのメンタリティーと大きく絡んでいるかもしれません。

日本にはまだエリオット・ロジャーのような象徴となり得る人物がいないために、まとまりに欠き、凶悪な犯罪が立て続けに起こる事態には繋がっていません。ですが、このような事件は既に多々起こっているわけですから、もう時間の問題かもしれません。一刻も早く危機感を持って対処するべき時に来ていると思います。

男性は過激思想に陥らないよう必死に耐えている!?


「そこまで危機感を覚える必要があるのか?」と思う人も多いかもしれませんが、「非モテメンタルミソジニストの問題に対して日本ももっと危機意識を持つべきで、社会に問題提起したい」という趣旨の私のTwitter投稿に対して、ロスジェネ世代のオピニオンリーダーで、(主に男性の)非正規雇用問題やワーキングプア問題で名を馳せたフリーライターの赤木智弘氏は、このような見解の引用リツイートをしてきました。



つまり、非モテメンタルミソジニストは、女性が憎くて仕方ないし女性に暴力を振りたくて仕方ないというのがデフォルトだが、過激思想に陥らないよう必死に耐えているというのです。もし、「日本の非モテメンタルミソジニストも犯罪者予備軍」という赤木氏の見解が的を射ているのならば、あまりに怖過ぎではないでしょうか? 何かのきっかけで糸が切れるのも時間の問題だというのがお分かりいただけたかと思います。

「女性と弱者男性は、ともに強者男性から搾取を受けている対象なのだから、協力して抗議できないか」のような言説をたまに聞くのですが、残念ながらそれができるのは一部の良識ある男性だけでしょう。今や女性にとって差し迫った脅威となり、体感治安を悪化させているのは、弱者男性を自称する「過激化非モテ」なのですから。社会的地位や性別に関係無く、良識ある人々が少しでも寄り添って、女性の治安を守っていかねばなりません。


非モテの過激化問題は経済的側面だけでは語れない


でも、なぜ非モテメンタルミソジニストは生まれてしまったのでしょうか? 先述の八田氏は「相対的剥奪感」という言葉で説明しています。トランプ大統領当選の際にも散々言われていたことですが、オバマ大統領時代に人種や性別に関する平等化が進んだため、それまで特権を得られていたはずの労働者階級の白人男性が、相対的に不利益を感じ始めたと指摘されています。

これは日本も同じでしょう。日本の国際社会におけるプレゼンスが下がったから、中韓に対する過激なネトウヨ思想が膨張し続けていますし、女性の社会進出が進んだから、女性に対する過激な「ネトミソ」(ネットミソジニーの略)思想も膨張し続けているのだと思います。

ただし、必ずしも相対的に社会的地位が低下した男性の全てが非モテメンタルミソジニストになるわけではありません。同じような境遇でも、被害妄想的な非モテメンタリティーに陥る人と、陥らない人がいます。その差は何でしょうか?

ネットが生んだ自己肯定感格差社会


2017年末の記事でも触れましたが、その答えはおそらく自己肯定感の差でしょう。自己肯定感が低く自分の足で立てないからこそ、男尊女卑という権威主義に寄りかかり、自分より弱いと思っている女性めがけて、弱き犬のごとく吠えまくるわけです。人々がインターネットという不安定な大海原に身を置くようになったために生まれた新たな社会問題の一つだと言えます。

先述の赤木氏は、この問題は再分配という格差是正策により対策すべきだと主張していますが、それでは何ら意味をなさないことが分かります。確かに再分配自体は必要ですが、この問題におけるソリューションではありません。経済的な問題はこの問題を勃発させたトリガーになっただけで、根本的な原因は低い自己肯定感とミソジニーという心の問題なのですから。

それに、適切な再分配が進めば進むほど、相対的に大きな利益を得るのは彼等よりもさらに社会的に貧困層が分厚く、ガラスの天井も多い女性です。そのため、適切な再分配を進めると、彼等の相対的剥奪感は減るどころか、ますます大きくなって行くことでしょう。

自己肯定感を高めずして人生の幸せはない


今回は非モテメンタルミソジニストの問題をテーマにしましたが、実は多くのトラブルや社会課題の底には自己肯定感の低さが横たわっているように思うのです。ストーカー問題やDV問題も、職場のトラブルも、電車内やホームの暴力行為も、加害者の心理を掘り進めるほど、必ずすべての道が自己肯定感の低さに通じると思うのです。

ですから、今後治安を維持して行くならば、私たちは自己肯定感にもっと注目して、これを爆上げしなければなりません。学力や体力よりもさらに重要なものが自己肯定感であり、それを鍛えることが子供と触れ合う大人の最も重要な責務と考えるべきでしょう。自己肯定感を低める原因の一つであるスクールカーストコンプレックスすら知らない教育者が多い現状は、極めて問題だと思います。根本的な転換が必要です。

また、すでに成人になった人たちにも、自己肯定感を高める機会が必要ですし、自己肯定感を低める要因を洗い出し、対策を行わなければなりません。国会の場で日本の主要な課題として政策論争するべきだと思います。表面上の法整備だけでは効果は限定的です。

私自身もこれから自己肯定感を高める方法を積極的に発信して行きたいと思います。特に日本は自己謙遜の文化だから、成人後に自力で自己肯定感を高めるのは本当に難しい。でも人生一度きり、自分が大大大好きな人生にしないなんて命が悲しむと思います。だから今日寝る時も明日起きる時も声に出してこう言おう。
 
I Love me!
 
ちょっとだけ昨日よりも自分が好きになれたら嬉しいです。
(勝部元気)
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