連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第13週「仕事が欲しい!」第78回 6月30日(土)放送より。 
脚本:北川悦吏子 演出:田中健二  橋爪紳一朗

78話はこんな話


大阪の律の新居に向かった鈴愛(永野芽郁)は妻・より子(石橋静河)に呼び止められ、そそくさと引き返す。
東京に戻り書きかけのネームを完成したが・・・。


お近くにいらした際はぜひお寄りください


「このへんにコンビニありますか?」とか「お近くにいらした際はぜひお寄りください・・・とあったんで」とか適当なことを言って誤魔化すしかない鈴愛。
「お近くにいらした際は〜」とははがきには印字されていない。律が手書きで特別に書いたほどの特別な仲なのだという見栄も伴った返しなのか。いずれにしても悲しい。
より子に律ももう帰ってくるのであがってくださいと言われたが、和子(原田知世)が来ていると聞いて、鈴愛は走り去る。
夏虫駅のときもへんな格好で、今回も家で漫画描いていたような普段着でかっこがつかない。

「あいつはもうダメなのか」


その頃、秋風ハウスでは急にいなくなった鈴愛を秋風(豊川悦司)が心配していた。
締切1週間を切ってもネームができてない。その途中のものを見て苛立ち「あいつはもうダメなのか」と嘆く秋風。
律の結婚のせいかと思うとボクテ(志尊淳)は「ここのところずっとこんな感じだ」と言う。
半年前とその前の作品を菱本(井川遥)に見せられ「ひどいな」と落胆する秋風。
忙しかったから、と菱本がフォローしていたが、秋風が最近の鈴愛の漫画を見ていなかったのは、ちょっと残念。見ていてあげてほしかった。最後の最後まで一筋縄ではいかない人である。

そんな残念感も含めて話はどんどん辛い方向へ・・・。

私を見限ったからですか?


東京に戻ってきた鈴愛は喫茶おもかげでネームを描き上げる。
「糖分が足りないと頭が働かないから」と甘いものをばくばく食べながら。
そこに(才能はあるとき)「三日目の風船のようにしぼんでしまいます」と残酷なナレーション(風吹ジュン)がかぶる。三日目の風船のしわっとした姿が目に浮かんでやるせない。

それでもようやく書き終えた鈴愛は、漫画を描くために大阪まで行って「自分の気持ちに塩を塗ってみた」と
ニコニコしながらネームを差し出す。
鈴愛のニコニコ顔の背景に秋風の仕事場のライトがいくつもぼかしで映る。漫画の手法だったら点描でいくつもの円を描いたもののような感じかぼかしのスクリーントーンか。
やけにキラキラした背景と劇伴のか細い音楽とが相まって、鈴愛は笑顔にもかかわらずなんだか悲しい。
「いいんじゃないか。よくまとまっている」と秋風は言うが、鈴愛は気づいていた。
「私を見限ったからですか? 描けない私がかわいそうだからですか?」

チェーホフの「かもめ」
「かもめ」に「ひどい演技をやってるなと自分で感じるときの心もち、とてもあなたにはわからないわ」という台詞がある(訳:神西清)。

「半分、青い。」78話、あいつ(鈴愛)はもうダメなのか
「かもめ・ワーニャ伯父さん」 (新潮文庫) チェーホフ

主人公トレープレフが愛した女性ニーナの台詞だ。女優志願の彼女はトレープレフの描いた戯曲を演じていたが、彼を捨て人気小説家トリゴーリンの元へと走る。
小説家には捨てられて旅回りの俳優として生計を立てているところ、久しぶりにニーナはトレープレフと再会する。そのときすっかり生活と表現に疲れたニーナは「ひどい演技をやってるなと自分で感じるときの心もち、とてもあなたにはわからないわ」と言うのだ。
このときのニーナは強気になったかと思うと卑下したりして精神が錯乱している。このくだりに私はいつも涙してしまうのだが(芝居を見ても戯曲を読んでも)、78話の鈴愛はまるでニーナのように見えた。

「逃げたやつ(ユーコ)に何がわかる」
「売れてるボクテは私を見て笑ってる。高見の見物や」

やけになって晴(松雪泰子)に勧められたお見合い結婚してやると言うと、ユーコがその話はなくなったとばっさり。78話を神回というなら(作家が事前にそう告知していた)、このくだりを私は推したい。鈴愛の味方だったユーコがわざわざここで残酷な事実を突きつけるのは、鈴愛に「逃げたやつ(ユーコ)に何がわかる」と言われてぶちキレたから。
鈴愛とユーコの痛烈なパンチがクロスカウンターのごとく(あしたのジョー意識してみました)炸裂したことで、それまで鈴愛も周囲もおそらく気にしないように蓋していた耳の話が浮上してくる。
結婚話が消えたのは「私の耳のせいか」と鈴愛は壊れた鎧のなかの自分の弱い部分を見てしまう。


ティンカーベルでは実力さえあればハンデは関係ない。だからこれまでずっと鈴愛は耳のことを忘れることができた。でも漫画が描けなくなった途端、魔法が溶けたように、他者と自分の差異をいやというほど思い出してしまう。秋風たちも鈴愛にコンプレックスを感じさせないように振る舞っていたのだろうが、それが鈴愛には同情に見えてくる。

同情されるのが一番悔しい。
「私にはなんにもない」と絶望した鈴愛に、秋風は「なんにもない楡野にひとつ提案だ。漫画を描け。このネームはくそだ。このまえのやつもくそだ。そこでどうだ。いつものおまえのやり方だ。ネームなしでいきなり描いてみたらどうだ。
はじめて漫画を描いてみたときのように」とあくまで漫画で状況を突破させようとする。ここが秋風の秋風たる所以だろう。

“なにがあってもすべてあのときのときめきからはじまっていることを忘れるものか”
秋風(くらもちふさこの漫画)の漫画の台詞を思い出し、鈴愛は最後のリングに立つ・・・のか? 

今一度、78話が神回というのなら、猛然と書き進められたかのような弾丸のごとき鈴愛の行動と台詞は、文字の連なりが真空のようになって、そこに見る人の記憶や体験を映し出していくところで、78話ではとりわけそれが顕著だった。一見、自分の世界を堅牢に固めているように見える脚本は、その実、他者の想像力に強く働きかけ、演出家や俳優はそれぞれの想像力を発揮し、視聴者は朝からスパーリングしたみたいにへとへとだ。
(木俣冬)
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