
カンパイで醸造される日本酒のスミ(左)、フィズ(中央)、クモ(右)
ロンドンの郊外にイギリスでは初となる清酒醸造所がある。その名も「Kanpai(カンパイ)」。
イギリス人の夫婦による酒好きが高じての日本酒造りだ。
ロンドン南東部のペッカム地区に位置するカンパイは、創業して1年半ほどの「マイクロ・サケ・ブルワリー」と呼ばれる小規模な清酒醸造所だ。貸し倉庫を創作スペースに転用した敷地の一角に、ひっそりと醸造所を構えている。看板もないわずか6畳2間ほどの広さの醸造所内には、発酵タンク、圧搾機などの設備が所狭しと並んでいる。そこで造られる日本酒が、ロンドンの高級百貨店セルフリッジズの酒売場でも取り扱われるなど、認知度を高めつつある。
今回は同所を訪れ、 カンパイ酒蔵の酒造家トム・ウィルソンさんとルーシー・ウィルソンさんにお話をうかがった。

トム・ウィルソンさん(右)とルーシー・ウィルソンさん(左)
ビールの自家醸造から本格的な日本酒造りへ
――お二人が日本酒と酒造りにハマった経緯を教えてください。
トム 日本酒の愛飲歴は長く10年近くです。20代前半にニューヨークに住んでいた頃、現地の日本料理店で、日本酒をたしなみ始めました。さらにロンドンに戻ってから、すしレストランで日本酒を注文したり、ジャパンセンター(筆者注:ロンドン市内にある日本食品店)で日本酒を買ったりして、よく飲んだものです。4年半前に念願の日本に渡り、いくつもの酒造所を回りました。そして、ついにイギリスに帰国後、日本酒の自家醸造を始めたのです。最初は原料に、すし米を使いました(笑)。
その後、アメリカから少量の酒米を輸入して、大型の機器も徐々に増やしていったのです。
――残念ながら日本では自家醸造は禁止です。
トム イギリスでは自家醸造は合法で人気があり、一大文化となっています。蒸溜せずに個人用であれば、誰でもワイン、ビール、サイダー、清酒などを自家醸造できます。もともとはビールを造っていて、ビール用の発酵タンクなどの酒造機器は、清酒用とはそれほど変わらないため、日本酒造りに代用していました。
――日本酒造りは独学ですか?
トム 基本的には独学ですが、日本でも学びました。前回の日本への渡航でも、10カ所もの日本酒の酒蔵を周り、その内のいくつかで酒造りを体験できたのです。親しい酒蔵があり、そこの杜氏がカンパイを訪ねに来たこともあります。質問しながら情報共有してもらい、だいぶ助けてもらいました。
ルーシー 最初は独学の試行錯誤で、そこから醸造所を訪ね職人に会うことで技術を磨きました。5冊ほどの英語の日本酒造りの「教科書」も出ています。日本語の日本酒造りの本もたくさんもらいましたが、私たちは日本語が分かりません (笑)。
それに、YouTubeでのチュートリアルもあります。アメリカでも数十ほどあるマイクロ・サケ・ブルワリーの内のいくつかを回りました。職人同士がお互いに助け合いながら学べる素晴らしいコミュニティが存在します。やはり、日本と同等の酒造機器を導入し辛いので、じつに難しい挑戦です。
トム 清酒用の酒造設備は、ビール用やワイン用の酒造機器を代用したり改造したりしながら整えました。イギリスではお店などで清酒用の酒造機器を買い求めることはできません。ましてや製造会社もないですし。なので、私たちは、学びつつ適応していかなければいけません。そしてまた、もともと独学で、ビール造りの出自なので、違った視点と考え方を取り入れています。ユニークな自分独自のスタイルを持つことは良いことです。日本で生まれた日本酒の伝統を重んじ、その伝統技術を培いながらも、現代的なひねりを加えています。
――実験的なアプローチということですか?
トム はい、常に改良を重ねながらやっています。
日本でも名だたるクラフト日本酒酒造所は常に学びながら改良を重ねているそうです。この日本酒への探究心は決して尽きることはありません。常により良くなれるのです。

イギリスの硬水が日本酒を日本と違ったスタイルに
――日本と比べイギリスでは硬水ですが、その辺はどの様に対処していますか?
トム イギリスの水、特にここロンドン南東部の水は、とりわけ日本に比べると硬度がとても高いです。日本での硬水もここまで硬度が高いことはありません。ですが、ここでまた、日本とは違ったスタイルの日本酒が生み出されるのです。
基本的に酵母は栄養素となるミネラル分をより多く含む硬水を好みます。軟水における酵母の発酵は遅いですが、ミネラルたっぷりの硬水においてはまるで酵母が興奮したかの様に早く発酵するのです。なので、早すぎず遅すぎず、バランスを取る必要があり、温度や発酵時間などの他の手段で発酵を調整します。
ルーシー 私たちは「Low and Slow (低温でゆっくり)」と呼びますが、より吟醸に近いスタイルで低温長時間発酵します。
――米は全て輸入ですか?
トム 日本とアメリカで半々くらいです。イギリスでは稲作が行われず 、ヨーロッパの他の地域では日本米が作られていますが、酒米ではありません。いつの日か、スペインやイタリアで山田錦などが栽培されるかもしれませんね。
アメリカでは山田錦を始めとする多くの品種の日本米が栽培されています。カリフォルニアには、大関や月桂冠の大きな清酒醸造所があり、輸入に頼るより現地生産した方が割安な現状が、アメリカでの酒米生産の発展を促しています。
――日本酒をイギリスで作る意義はなんでしょうか?
ルーシー 日本から輸入する場合と比べると、痛みやすく光や熱に弱い日本酒に長旅をさせなくて済みます。
トム コンテナ船に積まれて日英間で赤道を2回通過しますが、日本酒は温度変化に弱いので、望ましい状態で輸入できません。大吟醸の輸入に用いられる温度調節機能付きのコンテナを使うと輸入費が高くつきます。それに時間もかかりますので。
最高品質の日本酒を良心的な価格で売りたい
――ロンドンの高級百貨店セルフリッジズでカンパイのお酒を拝見しました。
ルーシー セルフリッジズには日本酒のソムリエがいて、その方がInstagramで私たちを見つけたのがきっかけで、発売記念をセルフリッジズで行うことになりました。今でも商品を置かせてもらっています。それ以後、より多くの小売店、レストラン、バーなどに卸し始めました。
トム ロンドン市内で40カ所ほどですね。流通も自分たちの車でしているので忙しいです。
酒造りもありますし。さらに、催事やイベントなどでは日本酒をビール用の樽から一杯ずつ提供しています。
ルーシー 一杯ずつであれば、初めてでも気軽に日本酒を買い求めることができます。日本酒を好きなのかがはっきりしない方にとって、日本酒の大瓶を丸々買うのはかなりの決心であり、リスクでもあります。よって今はハーフサイズのボトル(330ミリリットル)に専念していて、イベントではグラスごとに売っています。人々に日本酒に親しんでもらう最善の方法です。
トム イギリスの日本酒造りには常に困難が伴うため、どうしても高くつき、その上に酒税もかかります。とはいえ、安物の日本酒を皆さんは飲みたがらないでしょう。私たちのミッションは可能な限り最高品質の日本酒を造り、高額にならないように人々の手が届くようにすることなのです。
(ケンディアナ・ジョーンズ)
(実際に飲んでみた感想は後編に)
編集部おすすめ