第18週「帰りたい!」第104回 7月31日(火)放送より。
脚本:北川悦吏子 演出:深川貴志
104話はこんな話
感動の出産から1年、2003年12月23日、鈴愛(永野芽郁)と涼次の娘・かんちゃんこと花野は1歳の誕生日を迎えた。
母の心を知る鈴愛
電話に出たのは佐野弓子(若村麻由美)だった。
そして、ついに出版社の応接間も出た(以前、佐野弓子の登場場面には、彼女のオフィスや出版社の応接間のほうがふさわしくないかとレビューに書いたがこの回のためにとってあったようだ)。
(トイレの場所が)「うち 継ぎ足して継ぎ足してわかりづらいから」と横田(渡辺コウジ)とリアルな台詞もあった。涼次の電話に女が出たわけが、涼次がトイレに立って迷っていたからという理由もあって、103回の「携帯電話可能エリア」といい、鈴愛の家に赤ちゃんのベビーゲートがあることといい、描写が現実的になって来たのは時代が現代に近づいてきているからだろうか。
現実的といえば、鈴愛。
かんちゃんが高熱で自分みたいにムンプス難聴になったらどうしようと取り乱すことで、鈴愛は、晴(松雪泰子)の気持ちを知る。そして、感謝を感じる。自分が育った楡野家はいい家族だと感じる。
体験が主人公を変えていくことがようやく形になって来た。
形骸的な「ありがとう」よりも、実感伴っていることはいいことだと思う。
もみじのような手
「りょうちゃんはかんちゃんのもみじのような手の感触になんとか自分の夢を封印しようとしていました」
(ナレーション・風吹ジュン)
電話になんで佐野弓子が出たかというと、涼次を呼び出し、自分の新刊(恋花火)のホン(脚本)、監督をしないかと持ちかけたのだ。そこには、元住吉(斎藤工)と斑目(矢島健一)もいた。
ついに来たチャンス。だが、涼次は首を縦に触れない。
とはいえ、完全に吹っ切ることもできない。
三おばには映画の話が来たことを報告すると、光江(キムラ緑子)と麦(麻生祐未)は反対し、めあり(須藤理彩)は「もったいない」と言う。
三角帽子でかんちゃんの誕生日を祝う優しくにぎやかな三おばが、ディズニーの「眠れる森の美女」の三人の妖精(フローラ、フォーナ、メリウェザー)のように見えて来た。
103話の雑誌に載った元住吉を見せることに続いて、田辺(嶋田久作)が「『恋花火』、いいよね」とか言い、涼次の心を何かと揺さぶる。田辺の過去と現在の話も、涼次に夢を諦めていいのか迷わせる話でもある。
でもきっと田辺は意図してやっているわけではなく、たまたまなんだろう。たまたまの他人の言動が気持ちに作用する。そこがリアルだと思う(意図してたらぎゃふんであります)。
面白いのは、主人公ではなく夫の涼次が家庭と仕事(夢)との間で迷っていることだ。
昔は女性が家庭と仕事の間で揺れたが、時代は男性にもその苦しみを与えはじめ、イクメンが誕生していくのだ。
赤ちゃんのはちみつのような時間はまたたく間に過ぎ
そうこうしていると「赤ちゃんのはちみつのような時間はまたたく間に過ぎ」(Byナレーション)てしまう。
「赤ちゃんのはちみつのような時間」とは素敵な台詞。
同じクリスマスオーナメントで4年間が過ぎていき、かんちゃんは5歳になる。
その4年の歳月を手形の成長で見せる。
その誕生日の日に、涼次は鈴愛に「別れてほしい」と言い出す。
「人生・怒涛編」の章タイトルにふさわしい、怒涛の展開。視聴者の興味を引っ張り続ける索引力のある脚本。
7月30日に北川悦吏子は最終回まで脱稿したとツイートした。2回入院しながら書きあげたという。
そんな苦労をしながら、続きが見たいと思わせる物語をなにがなんでも紡いでいくぞという気迫に満ちた脚本を書き続けた北川悦吏子さんには頭が下がる。その行為から、困難な状況に置かれても乗り越えることができるのだという痛烈なメッセージを我々に与えてくれているのだろうか。
かんちゃんのクマ
103話でボクテから大きなクマをもらったかんちゃん。
104話では小さなクマであやしてもらいながら、部屋の傍らに大きなクマも鎮座ましましていた。
佐藤健ファンの方のTwitterで、このクマは佐藤健が永野芽郁にプレゼントしたものではないかと話題になっていた。というのは、以前レビューでも内容が豊富と紹介したワニブックスの「プラスアクト」7月号・佐藤健特集
。

番組広報に問い合わせたところ、
“永野芽郁さんがクリスマスに佐藤健さんから大きなテディベアをプレゼントされたというエピソードを聞いて、北川さんが台本に書いたそうです。ただし、ドラマに出てくるクマの人形はプレゼントされたものではないです。“と回答をもらった。
永野に佐藤が贈ったクマはボリュームを出すためわざわざ中綿を足しているそうで、そんな妥協しない男・佐藤健に感動するともに、そのエピソードからかんちゃんへのプレゼントに大きなクマが出てくることになったとは、涼次には悪いが、律こと佐藤健の存在感の大きさを痛感してしまった。り〜つ〜。
(木俣冬)