連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第18週「帰りたい!」第105回 8月1日(水)放送より。 
脚本:北川悦吏子 演出:深川貴志
「半分、青い。」105話。猛暑の朝から10分間の夫婦喧嘩は苦行です
NHK連続テレビ小説「半分、青い。」ソングブック すずめのうた ソニー・ミュージックダイレクト
この表紙の写真の鈴愛、かっこよすぎる。ここまで宣伝美術とドラマの姿が違う番組も珍しい。

NHK連続テレビ小説「半分、青い。」ソングブック すずめのうた ソニー・ミュージックダイレクト

105話はこんな話


花野(山崎莉里那)の5歳の誕生日。映画監督をもう一度目指したいから別れたいと言う涼次(間宮祥太朗)に鈴愛(永野芽郁)は激怒する。


10分間、夫婦喧嘩


「ちょっと見逃すと家族構成まで変わってしまいかねないような急な展開になっているんです、いま」
「おはよう日本 関東版」の高瀬耕造アナの朝ドラ前のコメントがコレ。

105話は、急に涼次が「別れて・・・ほしい」と言い出して、鈴愛の家族構成が変わってしまいかねない状況からスタートし、10分間、鈴愛と涼次の言い合いが続いた。
夫婦喧嘩で10分・・・朝からなかなかヘヴィである。それでなくても、全国的に朝から連日、異例の蒸し暑さだというのに、どうしてこの時期に不快指数のあがるエピソードをもってきちゃったのか・・・。
だがドラマの展開で気持ちを滅入らせるのも悔しいので、まず、この回でいいなと思ったところを記しておきたい。

夢は罪が深い


終盤、涼次が「高い高い」をすると花野に(もう5歳だから)「高い高いはしません!」と言われ「じゃあ低い低い〜」とやって喜ばせるところ。楽しそうだった。
その流れから彼女の手を見て「てって大きくなったね」としみじみ言うと、花野は「どんぐりいっぱい拾える」とはしゃぎ、涼次は「どんぐりか・・・」と彼女の言葉を繰り返しながら、部屋を出ていく。

“手”のモチーフは104話でもこどもの成長記録としての“手形”として出て、「りょうちゃんはかんちゃんのもみじのような手の感触になんとか自分の夢を封印しようとしていました」というナレーションもあった。
大きくなった娘の手はどんぐりをたくさん拾えるくらいになったけれど、涼次の映画への夢はその手に封印できないほど膨らんでしまった・・・と想像するとなんとも切ない。

夢といえば、涼次が離婚して映画をやると聞いた時の光江(キムラ緑子)の台詞がシビアーだ。
「夢はな〜〜んもしてこんもんなあ。来るものは拒まず去る者は追わず。夢はなんにも責任とってくれへん。
罪が深いわ」
女に夢中になったほうがましと光江は言う。

確かに夢はこわい。
だからこそ、涼次と鈴愛は互いに夢の地獄に堕ちる前に見切りをつけて結婚したはずだったのに、ここへ来て、涼次はもう一度夢に引き返そうとする。
鈴愛はそんな涼次に言葉や食器を容赦なく投げつける。

「僕は定職につかない。フリーターになる」 


笑ってしまったのはここ。
「僕は定職につかない。フリーターになる」 
海賊王になる、じゃなくて、映画監督になる、でもなくてフリーターですよ、奥さん・・・。志が「低い低い〜」ですよりょうちゃん・・・。
というのは冗談で、最終目的地は映画監督。そのために退路を経とうと思った涼次。
「家族は邪魔になる」と言うと、鈴愛は「死んでくれ」と怒り心頭に発する。


「死んでくれ」はいくらなんでもひどいとSNS は沸き、またそれを拾ってネットニュースになっていた。毎日この連鎖に苦笑せざるを得ないというのはさておき。どうせなら台詞だけでなく、鈴愛が包丁を突きつけるくらいやってほしかった。涼次を殺して刑務所に入って出てきたところから残りの2ヶ月やってくれたらすごいと思う。犯罪者がヒロインの朝ドラ。
それが朝ドラで需要があるかは置いておき、これくらいいがみあう夫婦はきっといるんじゃないかなとは思った。なぜなら、しょっちゅうニュースで幼子が犠牲になるいたましい事件が報道されているではないか。
どうしてそんなことに? とにわかに信じられない行動をしている若い夫婦たち。そう思ったら、貧しさにも耐え懸命に育児をしてきたのに、自分だけ夢に走った夫に苛立ち、口汚く罵ってしまうことはありそうだ。

みんな自分にかえってくる バチが当たったんだ 


鈴愛は嫉妬したのだろう。“夢”に。
なにせ自分が諦めた創作の夢を涼次が叶えようとしているのだもの。
「バカ」「ひとがよくてだまされやすくて調子に乗りやすくて」「りょうちゃんに才能なんてないよ」と散々なうえ、「この世のどこにもいない。
生きてもいない。架空の・・・架空のそのリストラされて今はぱっとしない主人公と昔の同級生に夢中だったのか!?」とまで。
鈴愛は悪口の天才だと前にレビューで書いたことがあるが、ほんとうにひどい言葉である。自分だって「この世のどこにもいない。生きてもいない。架空の」人物に夢中になって描いていた時期があったのに。

「物語をつくることは 人生を越えている」と夢に顔を輝かせる夫に「りょうちゃんはあのときの私だ」
「みんな自分に返ってくる バチが当たったんだ」と鈴愛は絶望する。
ゾートロープ、ぐるぐる定規、かたつむり・・・鈴愛の人生に何かと登場するぐるぐるがここにも。因果応報。
この台詞にいまいち説得力がない。彼女はべつに悪いことをしてないから。漫画家をやめるユーコ(清野菜名)を止めたけどユーコはふつうに幸せになったから。


バチが当たったとしたら、70話でユーコが漫画を辞めると言い出したときのことよりも、26話、鈴愛が漫画家になると東京に行くと言い出して、反対した家族をなじった時のことだろう。
「こどもの夢、潰して何がお父ちゃんや」とわめく鈴愛に、当時、視聴者の多くは味方した。誰だって自分の夢は認めて応援してほしいから。
ドラマの最初のうちは、片耳が難聴になり生き物として弱くなったと感じ生活に不自由を感じていた鈴愛が、できるだけ自分らしく思いのままに生きていこうとし、それを視聴者は応援していたのだ。でもいつの間にか、鈴愛は、自分を優先するために他者の道を潰していく。
秋風先生の漫画原稿を雑に扱ったり、彼の人生(孤独な生き方)を否定したり、律の彼女を排除しようとしたり、律のプロポーズの気持ちを無為にしたり・・・。

105話でも、涼次の話にいつもの他人にはまったく興味のない感じの表情で「昨日見た夢の話? 早く目覚しなよ」とまず言う鈴愛。聞こえないふり・わからないふりで彼女はこれまでも何度となく自分に利のない他者の話をスルーしてきている。案の定、ホンを書いていたことは知っていた、掃除していて見つけたとつけ加える。
それが彼女なりの生き延びる知恵なのだと好意的に解釈しておくが、彼女がこれから学ばないといけないのは他者にも鈴愛同様、その人らしさや自由があることを認識し、尊重することだろう。

なんびとたりとも“私の道”を阻むことは許されない。そして“私”は私だけでなく世界に生きている人全員がそれぞれの“私”だ。

「半分、青い。」はもっとも理想的な、でももっとも難しい問題に向き合っている。
これが今後、星野源の歌う「アイデア」のように素敵なアイデアで、他者も自分も尊重する方向に向かうのか、そうならないと収まらないと思うのだが、果たして・・・。

気になる「恋花火」


鈴愛はとにかく人の話を聞かない。相手を否定して自分を有利にもっていくやり方ばかりしている。
涼次が懸命に、映画化したい佐野弓子(若村麻由美)の小説「恋花火」の魅力を語ると「りょうちゃん、ストーリー説明へた」とへし折りにかかる。

だが涼次は説明が決してへたじゃない。
間宮祥太朗の台詞の語りがうまいから、伝わってくる。単語ひとつひとつの意味を理解してどこを強調して言えばいいかわかって言っているから伝わってくる。話の内容のみならず涼次の懸命さも。
涼次は声を荒げない。落ち着いている。だから、言葉が心に入ってくる。

最初に、涼次の声が弦楽器のようで聞きやすいと鈴愛が言うだけあって、耳に心地よい。
それが“人たらし”所以ということもあるけれど・・・。

一方、鈴愛は、昔からすぐ声を張りあげる。
永野芽郁に欲がなく、少々おかしなことを言っていても可愛げある感じに思わせようという気がさらさらないようで、必死で声を張り上げるからうるさく聞こえて損している。それがこのドラマに関しては全力で相手を潰しにかかる鈴愛の特性をみごとに体現しているとはいえ、お腹から声を出すレッスンをしたほうがいいだろう。喉を潰さないか心配になってしまう。

ところで、涼次を夢中にさせた「恋花火」の内容は、子供の頃は優秀だったのに大人になってリストラされた孤独な中年が昔の憧れの同級生に出会う話。・・・もうこれから先を暗示しているかのようなお話である。
り〜つ〜。

そこで、なにがいったい「みんな自分に返ってくる バチがあたったんだ」なのか、今一度考えてみる。
鈴愛が漫画を辞めたのは律への気持ちを諦めたからだ。
彼女は結局、律のことを引きずっているから、バチが当たって涼次までもが去っていこうとしていると恐れを抱いたのではないか。
結局、涼次は鈴愛の諦めの産物なのだから。
ほんとうに涼次が切ない。映画監督になって大成してほしい。
(木俣冬)
編集部おすすめ