
――【高橋 優】インタビュー1より
もし今、死んだら、恐らくたくさんの人を呪い殺せるぐらいの怨霊がある(笑)
――アルバム収録曲を、ラフミックス段階で聴かせていただきました。曲調もバラバラだし、歌っている内容もシニカルなところもあれば、自虐的なところもあって。
高橋:この1ヵ月間ぐらい、湧き上がるものがどんどん出てきたんですよね。ひとつ殻が破れたというか、やりたいと思っていたものの扉がパカーンと開いて、曲がボロボロと出てきた感じなんです。でもそれまでは、もう全然できなかったです。1年ぐらい、ほとんど曲ができなかった。
――その1ヵ月前、どの曲が突破口になったんですか?
高橋:「美しい鳥」だと思いますね。アルバムのひとつの舵を担ってくれたというか、大切にしなきゃいけないものが出来上がってきた感じがして。
――自身の経験も踏まえながら、そして俯瞰もしながら、ちょっともがいている詞にも感じました。それを吐き出したときスッキリしました?
高橋:スッキリしたというよりは、狼煙(のろし)が上がった感じがしました。ここからだな、こういう切り口に、曲の出てくる山があるな、みたいな。この山を切り崩していこう、いっぱいあるはずだぞって。その掘る作業が始まった感じでしたね、「美しい鳥」あたりから。
――なるほど、音楽的にもいきなり振り幅がでかくなっていったんですね。キャリアを重ねると、曲作りに対しての呪縛も生じてしまうものですか?
高橋:自分で勝手にね。あれもでかかったかも、自伝(『Mr.Complex Man』2016年12月26日発売)を出させてもらったこと。自分の本が出るなんて、歌を歌い始めたころは夢にも思わなかったし、いっぱい取材してもらって本になって。そして憧れていたテレビ番組にも何回も出させてもらったり。

――変に達成感を味わってしまうと、次に向かう力が出なかったりしますよね。
高橋:そう、それで俺は終わるんだな、高橋 優の歌はつまらなくなるなって。すごく戸惑った時期あって。その問題から離れるためにフィジカルなほうだけにシフトして、ツアーのほうにガーッと。いや、自伝を出したのが悪かったということじゃないですよ。嬉しかったんですけど、嬉しいことが増えると、それはそれで錯覚に陥るというか。
――夢が現実になったわけですからね。
高橋:そう、幸せになっちゃった、みたいな。
――それぐらいやり残していることも、やらなきゃいけない強い思いも?
高橋:そう。子供のころに僕がああいう大人になりたいっていう像は、全然、今の自分じゃないってのが分かって。まだまだもがかなきゃいけないことも、やってなかったこともメチャクチャあるなって気づいて。そこからの曲作りは、とにかく楽しくて、この1カ月ぐらいでどんどん出てきたんですね。

――「ストローマン」には自虐的な詞もあったり、歌いまわしも英語的なニュアンスあったり、自由奔放ですよね?
高橋:なんか変な曲ですよね? 変な曲だなと自分でも思いながら録ってました(笑)。
――曲として引っかかりだらけで、この人はどういう人なんだろう、と。
高橋:うん、なんなんでしょうね、コイツは。自分でも思いますもん(笑)。
――そしたら「いいひと」には、サイコパスな裏側も出てきたり(笑)。人間には二重人格な性格ってありますけどね。
高橋:「いいひと」、僕は好きです(笑)。“いい人だよね”と言われたことがある全ての人に捧ぐ歌にしたいって、僕の小さな野望もあるんです。いい人と呼ばれたことがある人間だったら、戸惑いも知っているはず。
――さらに自由なのが「Harazie!!」ですよ。ジェームス・ブラウンばりの歌を秋田弁でガンガンに決めるっていう(笑)。
高橋:ブラスバンドを招いてやるのは、8年のプロ・ミュージシャン人生で初の試み。
――ライブが楽しみな1曲ですよ。
高橋:楽しみにしていてください。アルバムを出した暁にはツアーもありますから。まだ全然、そのモードになってない自分ですけど(笑)。「Harazie!!」はどうなるんだろうって、考えただけでウキウキしますね。
――そういう楽しい曲もあれば、「aquarium」では追い込まれる自分とか、そこから飛び出したいという欲望の塊もあったりしますね。ピアノと力強い歌で、ブルース・ロックに通じるカッコよさも感じました。
高橋:「aquarium」は今年の最初あたりに書いた曲で、シングルのカップリングにするかとか、シングルにするかって案もあがっていたんですよ。でもアルバムに入れたほうがいいって、スタッフだったと思うんですけど、言ってくれたんです。

――いや、でも目を見開いて、進むべきところを見ていますよ。
高橋:うん、そうですね。水族館に行って考えた曲なんです。イルカとか、あと白いベルーガがいて。僕は性格が歪んでいると思うんですけど、魚に傷があって、あれは水槽から出ようとして傷ついたんじゃないかと。マンボウってガラスという概念が分からなくて、水槽に当たって死ぬんですって。だからガラスの水槽のさらに内側にビニールみたいなカバーをしていて。あんなにでかい図体なのに。人間からしたら、一生、公衆電話ボックスに入れられているんじゃないかって。そういうのを見たとき、微笑ましい何かとは違うものを感じて。いや、べつに水族館批判ではないですよ?(笑) でも、“いいから疑問持たずにやれ”と言われながら仕事している人達とか、そういうものなんだと思いながら生きている人達と、水槽の魚と勝手に重ねちゃったんですかね。すごく切ない気持ちになったんです。
――考えさせられる詞がやっぱり多いですね。
高橋:ああ、まあ、そうですよね。ただ、僕の願いだけを言うなら、僕の意図した部分は100の中の0.5ぐらい伝わればいいと思っていて。「aquarium」とか聴いて、イェー!とか楽しんでほしいですもん。僕が世間とは何だ、とかやっているのを見て、アハハと笑ってほしいですもん(笑)。「こどものうた」とかライブで盛り上がるじゃないですか? 「素晴らしき日常」とかも。ドラッグ、家庭内暴力、先生が生徒をどうしたとか、そういうことを歌っている曲なのに、ライブではみんながイェー!となって、違和感を抱いていたときもあったんですよ。でもそれでいいんだなって。それが音楽の素晴らしいところっていうか。演説家だったら、言っていることと世間の動きが伴ってなきゃ意味ないと思うんです。でも音楽は、例えば右を向けと歌っていても、そのフリだけでもいいし、べつに右なんて向かなくてもいいし。そのへんのことも最近、考えましたね。歌とは……という。
――曲が伝わってないなって、悩むことになりませんか?
高橋:100%、僕が書いていることの通りに、みんなも思ってほしいと考えていたら、みんな、サイコパスみたいになっちゃうじゃないですか(笑)。大事なのは、クスッとリアクションしてもらえる歌を作ることだと思うんですよね。全員に泣いてほしいって狙って書けたら最高ですけど。僕は今、歌でそんな泣いてほしいとも思ってないから、それよりもクスッとなってほしいし、“今、なんて歌った?”みたいなリアクションがほしい。そこで誰かの何かに触れればいいと思っているんですよ(笑)。どこに向いているか分からないいろんな人もアンテナにピーンと引っかかったら、音楽や歌の役目は果たしたことになるんじゃないかなと思ったりはする。聴いてもらえるだけで嬉しいってのが、まずあるんですよね。この記事を読んでくれて、今の高橋 優の顔を見てもらえて、16曲のどれかを聴いてみようかなって思って。そこに何かがあるだけで価値が生まれるのかなと思ったりしますよ。
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