広河隆一氏の性暴力、人権派が女性の人権を踏みにじる背景にあるもの
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人権派フォトジャーナリストの広河隆一氏が、自分の編集部のアルバイトをしていた女性等に対して、望まぬ性行為の強要(一部の国ではレイプに該当)や、望まぬヌード写真撮影をしたと週刊文春が報じ、Twitter上ではトレンド入りするほど大きな批判が巻き起こりました。

実際に記事を読んでみると、圧倒的に強い自分の立場を利用し、強引に性関係を持った様子が書かれていました。
権威に対して批判的な見解を持ち、人権を尊重する必要性を訴えていた「人権派」の著名人が起こしたニュースは衝撃的だったようで、ダブルスタンダードや落差に驚き、憤りを覚えた人も多かったのだと思います。

ですが、「人権派」「リベラル」とカテゴライズされる人ですら平気で女性の人権を侵害するケースは、彼に限ったわけではありません。「リベラルセクシスト(sexist=性差別主義者)」は他にもたくさんいます。それはつまり、「女性の人権(とりわけ性的自己決定権)」が様々な人権の中でも最も守られていないものの一つであり、日本社会の人権意識が欠如していることを如実に物語っているのだと思います。

かつてのギリシャ・アテナイでは、民主主義が標榜されながら、それは市民限定の話であって、奴隷に参政権はありませんでした。それと同様、彼らリベラルセクシストの主張する「人権」という概念の適応範囲は、結局のところ「男性」もしくは「男性を含む集団」だけであって「女性」は含まず、含まれていたとしても性的自己決定権は除外されているように思います。



広河氏のケースも当然「アウト」


週刊文春の報道によって広河氏は社会的制裁を受けましたが、残念ながら現状の日本の法律では、本来与えられるべき法的制裁を彼が受けるのは厳しいと思われます。改めて日本社会における性のまつわる人権保護がいかに未開かを痛感させられる事例です。

近年の#MeTooムーブメントを機に、スウェーデンやスペイン等の国や州では性犯罪の法改正が進み、「Yes Means Yes」が法制化されています。つまり、「明示的な同意が無ければそれはレイプである」とするものです。有利な立場を利用して、相手の断りにくい状況を慮ることなく、「拒否しなかったから問題ない」という広河氏のようなケースも当然アウトです。

遅れた日本の法律では「明示的な抵抗が無ければレイプにはならない」とされていて、加害者に有利に設計されたままであり、広河氏は罪に問うのは非常に難しいかもしれません。でも彼のしたことは、犯罪になるか否かは国による違いはあれど、「Yes Means Yes」の基準に照らすと「レイプ」に他なりません。


2018年12月に、スペインの2部リーグでプレーするプロバスケットボールの木下勲選手が、性的関係を強要したとして、現地で逮捕される事件がありました(その後釈放)。事件の詳細は分からないですが、今後日本と海外の間で性的合意の意味が全く異なり、それを知らない無知な日本人が性暴力で逮捕されるケースが増えてくるように思います。一刻も早く日本も「Yes Means Yes」を法制化するべきでしょう。


性的同意すらも理解しない人権派がいるとは


続いて、広河氏はやったことも酷かった一方で、週刊文春の取材に対して発言した言い訳も、「性的合意とは何か」がまるで分かっていない酷いものでした。「断る間もなくそんなことができるなんて、普通ありえないですよ」と語っていますが、「ここで業界の権威であるこの人の誘いを断ったら自分の夢が潰えてしまうかもしれない」と考えているフォトジャーナリスト志望の女性が断りにくいのは当然です。

そして本当は彼自身も心の奥底でそれを分かっていたように思います。弱みに漬け込めることが分かっているからこそ、被害を訴えた女性はフォトジャーナリスト志望の女性のみであり、「自分が首根っこを捕まえられていない女性」はターゲットにしなかったのだと思います。


また、「僕は職を利用したつもりはない」と語っていないですが、望まぬ性行為の強要やセクハラに加害者の意図は一切関係ないという常識すらも持ち合わせていないことには非常に驚きました。全ては相手がどう感じたかであり、だからこそ上に立つ者は余計に相手の気持ちを聞き出す必要があるわけですが、このあまりに無神経過ぎる発言からそれを怠ったことを自ら証明しています。


なぜ、職業人としての関心を性的関心に置き換えるのか


さらに、彼は「(女性たちは)僕に魅力を感じたり憧れたりした」と語っていますが、彼女たちが感じていたのは職業人としての魅力や憧れであって、決して性的な魅力や憧れではないはずです。

そもそも、本当に相手が自分に性的な関心を持っていれば、外見等、「職業人評価とは関係の無いところ」を褒めてくれるはずです。プライベートな関係を深めたいと思っているならば、何かプライベートなお誘いをして来るはずです。

本当にセックスがしたければダイレクトな表現ではなくとも、そういう方向に導くようなセクシャルな言動や行動を反復することでしょう(※セクシャルな言動や行動ではないものも「これはセックスに誘われている!」と自分勝手に捉えるのはそれはそれでアウトです)。


加害者の「無意識」や「無自覚」は本当か?


ですが、当然彼女たちは「職業人としてのアプローチ」しかしていないでしょうから、上記のような「具体的かつ継続的な性的アプローチ」はしていなかったと考えられます。なぜ、広河氏はその違いすらも区別できないのでしょうか?

いや、本当は彼も違いを分かっているはずです。
だって、若い男性から慕われたとしても、それを「性的に魅力を感じたり憧れている」とは捉えないのですから。また、自分よりも絶対的に強い権力を持った女性や、自分の出処進退を左右する人の娘であれば、そのような勘違いは発動しないはずです。あくまで相手が若い女性である場合のみ、「意識的に無意識」になって、「これは性的魅力でアプローチした来たのだ」と自らを信じ込ませていたのだと思います。

そして、「女は仕事で成功した男に対して性的に魅力的を感じるものである」「仕事で成功した魅力ある男は性的に魅力ある女とセックスする権利がある」という男性中心社会が生み出した女性に対する偏見と差別が、さらにそのような思い込みを強化させたのだと思います。

なお、「きっとこれまで非モテで女性からの性的アプローチを受けたことが無いから勘違いしたのでは?」と思う人もいるかもしれないですが、それは決定打ではないのように思います。女性からの性的アプローチを受けても勘違いしたままの人はいるし、受けなくともしっかりと分けて捉えることが出来る人もいるはずですから。


結局、女性を自分と同じ人間と見ていないことが最大の要因だと思います。相手も「女性である前に人間である」という原理原則を無視して、若い女性を性的な対象物としか見ていないから、全てのアプローチが性的なアプローチに変換されるのだと思います。


ハンティングは性欲ではなく支配欲だ


最後に、加害行為に対する厳罰化や被害者の救済に加えて、男性に対する適切な性欲の育成も同時に進めて行く必要があると思います。

広河氏の行動は「性的コミュニケーション」ではなく、明らかに「ハンティング」です。自分の築き上げたテリトリーに迷い込んできた若い女性たちの弱みに付け込み、「写真を教える」等の餌を与えて、その代わりに肉体を搾取します。彼にとってのセックスは「何かを与える対価として若い女体を自由に搾取する権利を得るもの」なのでしょう。


一方、女性をモノではなく同じ人間として捉えている男性からすれば、「ハンティング」や「権力レイプ」の何が楽しいのだか分かりません。それらによるSEXでは、相手が感じているのは「性的幸福」ではなく、「対価が得られることの満足」や「対価を得られない恐怖を抑えようする心理」だからです。

本来、セクシャルな相互コミュニケーションの楽しさは性的幸福と性的幸福の等価交換であるはずなのに、ハンティングや権力レイプではそれが成り立っていないわけです。ハンティングで満たすことが出来るのは性欲ではなく支配欲です。

性暴力加害者が批判されるニュースが起こる度に、「男性が責められている」と感じる男性もいるかもしれないですが、それは「男性の性欲=加害する性」という認識があるからでしょう。

日本のメディアや芸能界にも女性をモノとして捉えた性行為を志しているような発言をする人が非常に多いですが、そのようなレイプカルチャーをしっかりと否定し、「加害しないで&相手をモノとして捉えないで、女性と対等な立場で性を楽しむことの出来る男性像」を社会にもっと示して行く必要があると思います。
(勝部元気)