その「勝手にシンドバッド」の真っ最中、盛り上がるステージ横が3秒ほど映った刹那、カメラの前でけん玉に成功していた男がいた。岡村隆史である。
この日、岡村隆史はレギュラー出演する『チコちゃんに叱られる!』(NHK総合)のチコちゃんと共に紅白歌合戦に現れた。歌う郷ひろみの後ろに見切れ、白組司会を名乗ってはやんわり否定され、要所要所で爪痕を残し、最後に見せたのが「けん玉」だった。三山ひろしのけん玉ギネス世界記録達成をフリにしたものだが、あのタイミングでワンチャンスのけん玉を成功させるなど、本来なら相当なプレッシャーのはず。
しかし、それが岡村隆史なのだ。本多正識『素顔の岡村隆史』を読むと、あの一瞬に込められた「濃度」が変わって見えてくる。

一番になるためにはどうしたらいいか
『素顔の岡村隆史』は、よしもとのタレント養成所(NSC)講師の本多と、岡村隆史による対談本。ナインティナイン結成から現在までを振り返る本書は、岡村隆史の語り下ろし+本多の解説で構成されており、岡村隆史の自伝のように読める。本多はNSCに入学したナイナイを教え、矢部がボケ・岡村がツッコミだった漫才に「ボケとツッコミが逆やで」と指摘した人物だ。
ナイナイが売れるまでの道のりは異例づくしだった。
「ユニットそのものは、それなりに人気があったのですが、ナインティナインは個別で見ると、影の薄いコンビだったんです(中略)しかし、フジテレビから声がかかったのが、全くノーマークのナインティナインだったんです。よしもとの担当者は驚いて『雨上がりじゃなくて、ナインティナインですか!?』と聞き返したとか」
当時、よしもとの芸人は大阪で名を挙げて東京に進出するのがセオリー。ナイナイはいきなり東京で売れる、イレギュラーなルートだった。この間、岡村隆史は「全ての仕事を一生懸命やった」という。そして、爪痕を残すためにさまざまな策を練った。
「僕は、幼い頃から一つのことにハマったら、それしかしない子どもでした。(中略)僕は『ここで一番になるにはどうしたらいいか』を考えるタイプ。一番になるまでの過程を楽しんでいるのかもしれません」
『吉本印天然素材』では他のメンバーと差別化するためにスーツを着た。
そのルックスと動きから、アイドル的人気もあったナインティナイン。華やかさとは裏腹に、記憶に残る手間を惜しまず、ひとつひとつ楔を打つようにお茶の間に浸透していった。
「ポンコツ」になれてよかった
『素顔の岡村隆史』には、長期休養を経た変化についても書かれている。休養前、岡村隆史は番組の成功や失敗を自分の責任だと思い込み、全てを背負い込んでいた。そのストイックさがわざわいし、半年間の休養を余儀なくされた。
「もし40歳のときに仕事を休まなければ、僕は“人間らしさ”を失ったまま、サイボーグのようになっていたかもしれません。家族からも『隆史は休んでから本当に人間らしくなった』と言われるんです」
「僕が40歳で休養を取ったことは、“失敗だった”と言われればそれまでですが、僕個人としては『ポンコツ』になれてよかったと思っています」
ここでいう「ポンコツ」は、“お笑い芸人の岡村隆史”ではなく、“人間の岡村隆史”として、限りなく素に近い状態を指す。仕事を他人に任せられるようになり、プライベートでは旅行にハマるなど、休養後は考え方が大きく変わった。『チコちゃんに叱られる』では、岡村隆史はMCでもプレイヤーでもなく、チコちゃんの「受け」の立場で出演している。
振り返れば、メインを張っていた『めちゃイケ』が終了したのが2018年3月。2018年4月には入れ替わるように『チコちゃん』が始まった。めちゃイケは岡村隆史の復帰後もしばらく続いていたが、この交代劇はストイック→ポンコツを象徴的に表している気さえする。これからの方針を問われた岡村隆史は「もはや流れのままに、というのが本音」という。
「ずっと“『めちゃイケ』の岡村隆史像”を引きずるわけにはいかないので、少しずつめちゃイケ色を薄めていく必要はあると思っています。ただ一つ、『これからもテレビに出続けたい』という意志ははっきりしています」
「これからはどんどんネットの時代になっていくことはわかってるんですけど、僕はやっぱりテレビに出たい!(笑) 再生回数よりも……生粋のテレビっ子なんです」
再び、紅白歌合戦の「勝手にシンドバッド」の喧噪を思い出す。あのとき、岡村隆史の右側にはチコちゃんがいた。そして左側にいたのは『みんなで筋肉体操』の武田真治だった。
めちゃイケメンバーとチコちゃんに挟まれた岡村隆史が、まるで「オファーシリーズ」のように生のステージでけん玉を成功させ、またひとつお茶の間に楔を打つ。平成最後の紅白歌合戦という、テレビっ子には最高の舞台で。
たった一瞬の出来事だったが、あの場面こそ「岡村隆史」が凝縮された瞬間だったと思えてならない。
(井上マサキ)