妻に子育てを休ませてあげる夫は、本当に「素敵な旦那様」ですか?


一児の母で共働きをしているという、とあるTwitterユーザーのツイートが、インターネット上で大きく拡散されています。彼女は以下のような夫とのLINEのやり取りをスクリーンショットに撮って投稿し、これが大きな称賛を呼んでいるようです。


夫「1人の時間があるとしたら今一番何がしたい??」
妻「美容室行きたいのとカフェでのんびりしたいかな~後はジムで体動かしたい(笑)」
夫「急ですが明日から3日間有給取りましたので○○ちゃんにお休みをプレゼント!」
夫「急で申し訳ないけど明日か明後日どっちか美容室予約取れたら行ってきて!今確認出来るかな?」
妻「え!ありがとう!明日の10:30なら行けそう」
夫「即予約!!!!!!!!!!」
妻「返事早い(笑)予約出来ました」
夫「1日目→美容室&ショッピング 髪型に似合う服も購入すべし その後カフェに行くも可
  2日目→ジムに行くもよし、二度寝&昼寝するもよし
  家だとゆっくり出来ないなら何処か行くもよしのフリータイム
  3日目→さすがに俺も寂しいので三人で山梨イチゴ狩りデート決行 インフル対策はしっかりすべし」
夫「育児ボーナス6万円支給します!
  この3日間、家の掃除や料理をするごとに千円の罰金!!」

この手の「素敵な旦那様」系ツイートはしばしば反響を呼ぶのですが、今回は53万を超えるほど大変大きな反響となっています。また、リプライや引用リツイートでも「素敵な旦那様」という称賛は当然のこと、以下のように「神」と評価するコメントが本当にたくさんついていました。

「もう全てが神としか言えない」
「神様はいるんですね!」
「神旦那さんですね」
「なんですかこの人神様ですか」
「育児ボーナス6万とか(中略)神すぎる」
「何という神ですか」
「なんて神なご主人」
「神さまと結婚したんだね」

夫は決して「神」ではなく単なる「対等な人間」だ


さて、あなたはこのLINEの会話とこれらのリプライに何かモヤモヤを感じたでしょうか? もちろん文章の投稿主を批判するわけではないですが、感動ストーリーとして扱われたこの会話とこれらのリプライには、日本のパートナーシップに潜む「心理的幼稚性」と「女性差別・蔑視」の問題がふんだんに詰まっていると思いました。

まず、夫の態度が妻に対して上から目線で、支配的な態度の持ち主でなければ使わない表現が、以下のようにいくつもあります。

「お休みをプレゼント(≒休暇の決裁権限者は自分?)」
「カフェに行くも可or○○するもよし(≒許可を与えるのは自分?)」
「〇〇すべし(≒命令権限があるのは自分?)」
「罰金!!(≒公安のように罰を課すのは自分?)」
「育児ボーナス6万円支給します(≒命令を聞いたご褒美を与えるのは自分?)」

パートナーは人として対等であることが基本と思っている人たちからすれば、夫のこれらの発言に対して、呆れて言葉を失ったり、顔が引きつったり、「お前は何様だよ!」と怒るのが通常の反応でしょう。

「何様って神様でしょ」と感じた人もいるのかもしれないですが、夫は神ではありません。本当は単なる対等な人間のはずです。
それを「神」という人間よりも絶対的上位に位置する概念として捉えてしまうあたり、この国の女性蔑視や奴隷マインドが女性の間にもどれほど深く根付いているか、如実に分かる反応だったと思います。

女性を主語にすると分かる支配の怖さ


いまいち何が言いたいのかピンと来ない人は、主語の男女を逆転させれば分かりやすいと思います。夫に対して、「○○するのもよし」「○○すべし」「罰金!!」「(命令を守ったら)〇円支給します」という発言をする妻がいたらどう感じるでしょうか? おそらく、「怖い…」「偉そうだ!」「何様だこの女?」「鬼嫁」「かかあ天下で夫は尻に敷かれているw」と感じる人も多いことでしょう。

なぜそう感じるのかと言えば、これらは決して「対等な人間に対する優しさ」ではなく、上から目線で相手に厚遇を与える態度「ポトラッチ」だからです。ポトラッチは「支配者が被支配者との関係を強固にするために富を積極的に分配する行為」のことで、北太平洋沿岸のアメリカ先住民の古い儀礼が語源です。

そして、支配的態度で女性を甘やかすことを「慈悲的性差別(benevolent sexism)」と言います。甘やかすことは相手の自立を削ぐ行為であり、それは性差別に他なりません。
彼等は決して「優しい対等なパートナー」ではなく、「優しい支配者」なのです。ですから、たとえ自分にとって利益があることでも、所詮は支配者による支配的態度なのだから、「怖い」「偉そう」「何様だ?」と感じるのが当然なわけです。


人々は男性の支配性に無自覚になり過ぎている


でもなぜ、女性が言えば違和感を覚えるセリフが、男性が言うと違和感を覚えなくなってしまうのでしょうか? それは、前回の記事でも指摘したように、男性は「Toxic Masculinity(=権力・支配・暴力を志向する有毒な男らしさ)」を有するのが当たり前だという考えが、人々の間に当たり前に染み込み過ぎて、その加害性や権力優位性が見えなくなってしまっているからです。

主語を女性にすることでハッキリと知覚出来たはずのポトラッチや慈悲的性差別に対する「怖い」「偉そう」「何様!?」という正常な感情が、「Toxic Masculinity」の偏見によって一切発動しなくなり、その結果「与える」という行為だけに目が行き、称賛を送ってしまうわけです。

そして言わずもがな、女性が言えば批判的に捉えられるのに、男性が言うと「素敵」「神」と称賛するという男女の非対称的な態度は、紛れもない性差別です。このツイートを称賛した人々は何気なく褒めたのかもしれないですが、このような男性の支配性や非対称な優位性を肯定する発言が、この国の女性差別を延々と強化し続けているのだと思います。


女性誌が奴隷マインドだらけになるのも頷ける


また、平成の世も終わろうとしているのに、この国の53万もの人々がいまだに「男性が上で女性が下」という図式を何の疑いもなく受け入れているばかりか、「支配・被支配の関係」を素敵な夫婦関係と捉えてしまう「結婚観の幼稚性」が如実に表れているように思いました。

これらを見ていたら、日本の女性誌が「愛され」「男ウケ」「モテ」のような奴隷マインドだらけになるのも頷けます。
婚活アドバイザー界隈もまるで「良き主人を見つけるためには良き奴隷となりましょう!」のようなアドバイスを発するものが非常に多いですが、多数派日本人のレベルに合わせているからそうなるのでしょう。

対等なパートナーシップのあり方について書いた拙著『恋愛氷河期』は、日本のスタンダードなパートナーシップにどこかモヤモヤを感じていた一部の人からは大変好評を頂けたものの、恋愛本としては市場があまりにニッチで、マジョリティーが求めているものとは次元が違い過ぎたのだろうと改めて感じました。

以前、私の友人(女性)が、ヨーロッパの男性に「ねぇ、どんな人がタイプなの?」と聞かれ、「男女平等の関係性を築ける人かな」と答えたら、「は?何を言っているの!?そんなの当たり前じゃない?レベル低過ぎぃwww」と返されたことがあったようです。でも、今回のLINEが称賛されるような日本の状況を見れば、レベルが低いのは友人の願望ではなく、日本社会のジェンダー平等意識ということが、彼にも分かってくれることでしょう。


危険なSMプレイを称賛するようなもの


それから、誤解ないように言っておきますが、私は決して相手にアメを与える行為(優しくする行為)そのものを否定しているわけではありません。「対等な立場でお互いアメを与え合う」のであれば、むしろとても素敵なことでしょう。ここで問題になっているのは、あくまで与える決定権限を一方だけが有し、アメを与えるという行為がその支配的な関係を強化しているという点です。


それでも、「他人に自分の理想を押し付けている」「他人の自由だろう」という意見もあるかもしれませんが、支配的関係と性差別から生じる自分の潜在的不利益やそれが生じるリスクをしっかりと理解してもなお、「夫により良く支配されること=自分の幸福」と捉えて疑わない女性が一個人として受け入れることに対しては、それ以上「考えを改めろ」とは言いません(※ただし大半の日本人女性が理解していないのは問題)。

ですが、周りや社会が「夫により良く支配されること=女性の幸福」であるかのように扱い、そのような差別的関係性を手放しに称賛することは、「絶対禁止とまでは言い難い危険なSMプレイを安易に社会が称賛するようなもの」で、「個人の自由」で済まされる範囲を大きく逸脱しており、やはり異を唱えて当然だと思います。


女性が「ワンオペ寂しい」って言ったら可愛いですか?


話をもとに戻しますが、性差別や精神的幼稚性が含まれているのは、上記のような上から目線の態度・表現だけではありません。

夫は3日目にして「さすがに俺も寂しい」と言っており、これに対して「可愛い」のような好意的な声が聞こえてきますが、おそらく残る362日の大半は妻が夫のいない状態で「孤育て」をしているわけですよね。

仮に妻が、僅か3日目にして「さすがに私も寂しい」と言い出したら、どう感じるでしょうか? 世の中の人々は「可愛い」って言ってくれるのでしょうか? おそらく「いや、(母)親でしょ?当然のことでしょ?何言っているの?」となるでしょう。

もちろん「寂しい」と思うこと自体を問題にしたいわけではありません。大人が複数名いた状態で子育てをしたほうが、楽しさが向上するのは分かります。
ただ、寂しいという気持ちを頂くことに対して、父親と母親で世間の評価があまりに違い過ぎる。男性はそのような感情を抱いても良いハードルがあまりに低過ぎるのに、女性はあまりに高過ぎるわけで、それは強烈な性差別とジェンダーロール(性別役割分業)の押付けです。


分け前をちょっとだけ与える優しいジャイアニズム


不平等はそれだけではありません。たとえば、この夫は一度も一人の時間を持ったり、ジムに行ったり、買い物したり、友達と飲みに行ったり、レジャーに行ったり、昼寝をしたこともないのでしょうか?

詳細はどうか分からないですが、大半の日本人妻がワンオペ育児により一人の時間を持つことができない中、夫は平気で自分の時間を謳歌していることが少なくありません。たとえペイドワークの夫と主婦の妻という夫婦関係であったとしても、本来はお互いが協力し合って「自分の時間の分量」を等しく持てるようにすべきはずなのに、一部の夫婦を除いて、圧倒的にその配分が男性に偏っているわけです。

そして2日ほど妻の「時間の時間の分量」が増えたからと言って、年間を通して見るとおそらく逆転はしないでしょう(※3日目は3人揃ってのお出かけなので決して自分の時間の分量が増えるわけではない)。依然として、多くの夫婦において、夫のほうが「自分の時間の分量」を有しているという優位性は変わらないと思います。
実際、『社会生活基本調査』でも女性の余暇時間は男性に比して短くなっています。

妻に子育てを休ませてあげる夫は、本当に「素敵な旦那様」ですか?


要するに、この夫側の態度を客観的に表現すれば、「俺の時間は俺の物、お前の時間も俺の物、ただし1年のうち2日だけはお前の好きにして良いぞ、喜べ」のようなジャイアニズム的な態度のわけで、これのどこに評価をすべき点があるのか疑問でしかありません。これを「ありがたい」と思うのは、それこそ妻は夫の“しもべ”であるかのように捉えているからではないでしょうか。

逆に、このような男女不均衡を当たり前のこととして受け入れている人たちが、自分の意思で自分の時間を大切にしようとする女性に対してマイナスのジャッジをし、実際に「母親失格!」のような烙印を押すことも少なくありません。そのため、自分の時間を大切にすることに対して罪悪感を抱く母親も少なくないわけです。優しい性差別と厳しい性差別は表裏一体です。


アンコンシャスバイアスだらけの「子育て言葉」


以前、育児と家事に忙殺されて自分が大切にしていたはずの趣味を見失っていたという女性が、次第に趣味と自分らしさを取り戻して行くという話を漫画にしてTwitterに投稿し、共感の声がたくさん上がっていました。BuzzFeed Japanの記事でも取り上げており、確かにそのこと自体はとても素晴らしいと思う反面、正直なところ私は強烈なモヤモヤを感じました。

「夫がいるはずなのに何しているんだ?」と気になって仕方なかったわけです。決して作品や作者を批判しているわけではなく、シングルではないなら夫婦が協力し合ってそれぞれが趣味も楽しみつつ子育てもするのが当然と思っている私には、片方が趣味を失うほど家事育児漬けになる日本の性差別的夫婦関係が理解不能です。

共働き夫婦でも、夜に妻が出掛けると、同席した人たちから「子供は夫に預けたの?」と聞かれることがあるのに、夫が「子供は妻に預けたの?」と聞かれることはほぼありません。そもそも、両親いれば夫も子供の親であり、本来「預ける(所有権を有していない人に一時的に管理を託す)」という表現自体が不適切なはずですが、「子供の監督は母の仕事」という固定観念があるからこそ、「夫に預ける」という言葉が自然と使われてしまうのでしょう。

このように、ジェンダーや育児に関するアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)は、この社会の至る所にありますし、もしかしたら私たちもそれに基づく性差別やジェンダーロールの押付けを無意識のうちにしてしまい、誰かの生きづらさを生み出しているかもしれません。

自分の発した言葉が性差別やジェンダーロールを肯定・強化するような言説ではないか常にセルフチェックを行い、モヤモヤを感じたら言語化されている記事を探し、危険な支配的パートナー関係にはしっかりと異を唱えることのできる人が一人でも増えてくれると嬉しいです。
(勝部元気)