
「全部好き。」は上地雄輔というものを排除し始めた曲
――10歳の誕生日おめでとうございます! 10周年を迎えた今の気持ちから教えてください。
遊助:今回のアルバムのタイトルみたいな気持ちもあるし、それと同じくらい、1個1個を思い出して10年を考えると、「まだ10年か」みたいな気持ちもあるし、半々くらいかな。本当にいろんなことをやったし、いろんな景色も見たし、いろんな経験もさせていただいたから。
――スッキリということは、清々しい感じもある?
遊助:うん。最初はただの通過点だと思ってたの。だけど、業界に入って20年経って、40歳を目前にして、10周年を迎えて。1回立ち止まって振り返ってみると、達成感は多少あるかな。万が一、明日ぽっくり逝ってもまったく悔いがない。それくらい濃いものをやってきたなって。
――10歳の誕生日にお祝いケーキをもらえるとしたら、どんなケーキがいいですか?
遊助:モンブランが食べたいです。真っ黄色のテカテカした栗が乗ってる、昔ながらのヤツ。アレをゆっくり味わいたい(笑)。
――今回のアルバムをリリースするにあたり、改めて収録曲を聴き直したと思います。どのような感想を持ちましたか?
遊助:懐かしいっていう感じはあんまりしなかったな。
――「このベストアルバムから遊助を聴きます」という10代や初心者ファンにオススメしたい収録曲を1曲挙げてください。
遊助:「全部好き。」かな。俺のことを知らなくても、この曲だけ知っている10代の子がいたりするから。LINEで歌詞を使って相手に気持ちを伝えるみたいなのが流行って、それにこの曲が使われてるって耳にしたし、そういう部分も含めてひとり歩きした曲だと思うから。

――「全部好き。」は「LINE歌詞ドッキリ」の人気曲だそうですね。
遊助:あと、上地雄輔というものを排除し始めた曲なのね。俺じゃなくても成立する曲を作ろう、みたいな。
――自分の思いや経験を投影しながらも、聞く人にとっても自分の歌になる曲を作ろうと。
遊助:そう。
――では、「コイツ地味だけど、かわいいヤツなんだよな」みたいな曲はありますか? あまり目立たないけど愛してる、みたいな。
遊助:Blu-rayの方に入っている「青の糸」。これ、すごくいい曲だと思ってるから。地味っていうか、戦隊モノで言うと、青って感じがする。センターにいる赤じゃないし、キャラで攻める黄色でもない。なんか青担当って感じがするんだよね(笑)。
悲しみも苦しみも悩みも喜びも1個1個ちゃんと味わってあげないと、自分自身が可哀想
――今回のアルバムには1月に発売した「砂時計」も含めて新曲が3曲入っています。まず「砂時計」はどのような発想で作った曲なんですか?
遊助:「砂時計」はミュージックビデオのイメージが先にあったの。モノクロの映像というのがまずあったし、40歳を目前にして、次の章へバトンを渡すための、今まで表題曲としてはあまり出してこなかったテイストのものを作りたいっていう。で、バンドサウンドなんだけど、リズムは裏打ちが入ったりする音をめざそうと。
――遊助さんがこの10年でやってきた曲調が一つになっていますよね。イントロはフォーキーな感じだし、バンドサウンドでもあるし、それでいてリズムはダンサブルっていう。
遊助:日々の葛藤にちゃんと向き合っていこう、みたいなことかな。毎日楽しいわけじゃないし、ずっとポジティブなヤツなんかいないから。度々現れる悩みだったり、ふがいない自分に対する藻掻きだったり、それって人間らしくて素敵なことだと思うから。抱えている悩みはちっちゃいことかもしれないし、情けない人間なのかもしれないけど、「生きてるよ、俺ら」って。最後は一緒に肩組んで、背中をポンと押し合えるような、聞いている人とそんな関係でいたいなと思ったから、そういう気持ちが自然と出てきたのかも。
――「砂時計」というモチーフはどのような発想から?
遊助:みんなに平等なのって時間だから。時間の進み方は人それぞれだけど、1秒は1秒。それをどういうふうに感じていくかって大事だなと思って。たとえば小学生の頃はくだらないことで爆笑してたけど、今それを聞いても全然面白くないとか。中学生のときに失恋したあの涙はなんだったんだ? みたいな。結局上書きされてくじゃん。楽しさの強いもん勝ち、悲しさの強いもん勝ちみたいな。

――砂時計って時が進むと減っていくイメージがあるんです。「身がすり減っていく」というような発想から砂時計をモチーフにしたのかな、と思ったんです。
遊助:それ、すっごいネガティブ(笑)。俺は砂がどんどん増えていくイメージなの。砂時計ってサーッと落ちていく砂に目がいきがちだし、積もっていくところを見がちだけど、その下で山になってるじゃん。時間の過ぎ方が早ければ早いほど、山の上部はババババっと増えていって崩れ落ちていくから、楽しかったこともすぐ忘れていっちゃう。それに、下で溜まっている砂は山になっていくから、それまでに溜まった奥の方の粒も見えなくなっていく。
――砂時計の上と下、どっちを見るかで違いがあるのが面白いです。
遊助:砂時計は減っていくものと考えているっていうことは、最初の上にある砂の量を知っちゃってるわけじゃん。だけど、人間みんな、どれだけ生きるかはわからないわけだから、上の方を見ていてもキリがないと思うの。100歳まで生きるか、50歳まで生きるか、明日死んじゃうかわからない。だったら、上の砂を見るより、どんどん落ちていく一粒一粒を見た方がいいんじゃないの?っていう。
――この曲には、<向き合ってる僕もいつか消えちゃうから>っていう歌詞が出てきます。10周年のこのタイミングで、この言葉はファンにとってショッキングなんじゃないかなと思ったんですが。
遊助:みんな、いつ消えちゃうかわかんないじゃん。俺はその歌詞はすごくポジティブワードだと思ってるの。いつか必ず消えちゃう、だからこそどうすんの? みたいな。もっと良い方向からそのことを考えた方が良くない? みたいな。減っていくのは間違いない。
自分の物語が書けないって、アーティストとして地獄だもん

――「もぉ10年 遊turing 10年前の俺」は、ユニークな発想の曲ですね。
遊助:これは10年前から、こういうことをやろうと決めてたの。まさか本当に10年前の自分の声と音を重ねる日が来るとは思わなかったけど(笑)、改めて10年経ったし、10年前の自分と会話してみようと。
――<青い空~>のところは「ひまわり」のメロディーを引用していますが、基本的には2009年に発表した「10年 遊turing 童子-T」をネタにしています。
遊助:そう。<ついこの間の俺 10年前の俺>のところと、サビの1行目と3行目は10年前の俺の声をまんま使ってる。あと、<オヤジになった俺 それでも俺」のところは昔の俺と今の俺の声を重ねてる。
――この曲は10年前の自分と対話しながら、10年後の自分への手紙にもなっているんですよね。そこがポイント。
遊助:そう。全然、前しか向いてない曲。10年後の俺に向けても歌ってる。
――10年後にもまたこのコンセプトで作ってくださいよ。「もぉ20年 遊turing 20年前の俺&10年前の俺」みたいな(笑)。
遊助:俺もそれ、一瞬思ったんだよね。でも、さすがに10年後はわかんない。できたら面白いけどね。自分でもウケる(笑)。
――もうひとつの新曲は「History VII」。当初からこのタイミングで作ろうと考えていたんですか?
遊助:第一弾のときから、これをやるんだったら10年後に7くらいだな、となんとなくぼんやりあって。それか無理やり合わせて10に持っていくか、どっちかだなって。
――Historyシリーズをここまで続けてきて、どのように思っていますか?
遊助:やって良かったなって。だって、自分の物語が書けないって、アーティストとして地獄だもん。ただ、受け手が想像や空想ができる余白がないと、どんな表現も面白くないと思っていて。
――観る人や聞く人の感情が入り込める余白があったほうがいいと。
遊助:そう。どこかでフィクションじゃないと、エンタテインメントとして成り立たないと思ってるの。事実をずっと映していたとしても、そこにカメラが入ってきている以上、編集が入る以上、それはフィクションだと思っているから。
――「History」シリーズも、上地雄輔の物語でありながら、ひとつのフィクションとしても捉えられるように作ってきたと。
遊助:そう。リアルなことを歌うだけじゃなくて、ちゃんとメッセージも届けたかったから。「History」シリーズは上地雄輔を使ったひとつの遊びというか。動物園のパンダじゃないけど、こいつはこういう生き方をして動物園にいるんだよ、みたいな。それをひとつの物語として描こうと思ったの。

――役者を志した18歳の頃から始まって、人生のいろんな断片を歌ってきましたが、今回の「History VII」はファンに向けた歌になりましたね。
遊助:言ってみたら誓いです。自分の気持ちをちゃんとここで宣言して、次に向けていざ出陣と思って。
――<上地雄輔はオカンが生んだ だけど遊助はあなたが生んだ>という歌詞は、ファンにとって最高に愛情を感じられる一節だと思います。
遊助:嬉しいな、そう思ってもらえたら。でも、それは本当のことだから。
優勝のビールかけが武道館で、出港式が大阪城
――そんなファンも楽しみにしている10th ANNIVERSARY LIVEが2月28日(木)日本武道館、3月11日(月)大阪城ホールで行われます。「2日間は違うセットリストになる」と言っていましたが、それぞれどんな感じになりそうですか?
遊助:祭りにしたいな。武道館は1回航海してきたあとの宴みたいな。「今まで全部こうやってやってきたぜ! さあ飲めや踊れや!」みたいな宴。大阪城ホールは、「いざ出航!」みたいな宴っていう感じ。
――宴は宴でも趣旨が違うと。
遊助:そう。優勝のビールかけが武道館で、出港式が大阪城っていう。同じ曲はあったとしても、同じ順番ではやらないから、印象は全然変わると思う。セットも変えるしね。
――じゃあ、ぜひとも両日、足を運んでほしいですね。
遊助:いや、どっちに来ても楽しいと思う。というか、武道館があったから大阪城っていうふうにはしたくないの。どっちかだけを見てもちゃんと楽しめるものにします。東京ディズニーリゾートも、ディズニーランドとディズニーシーの両方を見ないとわからないっていうことじゃないじゃん。ランドに来ても楽しいし、シーに来ても楽しいっていう。もちろん両方来たら違いを楽しめると思うけど、どっちか1個でもマジで大丈夫。
――最後に10年間での変化について質問です。10年前は好きだったけど、今は苦手になったものってありますか?
遊助:1杯目のビール(笑)。昔は1杯目が必ずビールだったから。今でもたまに飲むけど、飲むとしても小さい缶を1本。それよりも今はハイボールだから。
――反対に、10年前は苦手だったけど、今、大好きになったものは?
遊助:歌うこと。
――おお!
遊助:苦手ということじゃないんだけど、昔は「遊助」はみんなが作ってくれたという感覚が今より大きかったから。他のアーティストさんは自分がずっとやってきたこと……弾き語りやってたとか、路上で歌ってたとか、ライブハウスでやってたとか、専門学校に行ってたとか、カラオケで褒められたとか、野心を持ってバンド組みましたとか、いろいろあるじゃん。
――バックボーンや背景が。
遊助:俺は歌うなんて夢にも思ってなかったし、そういう人間がボンといきなりデビューしちゃったから。もちろん覚悟を決めて始めたけど、ありがたいことに、CDを手にしてくれたり、音楽を聞いてくれる人がいつも目の前にいたし、求めてくれる人や場所があるんだからやろうっていう使命感でやってきた。で、みんなに支えながら10年やってきて、闘ってきて、今はそれがフワッとなくなったの。「この人たちを楽しませないと絶対ダメだ」みたいなのがなくなって。

――ミッションみたいな感覚がなくなった?
遊助:要は、自分は歌う人なんだと自分に言い聞かせる材料が人より少なかったわけ。オリンピック選手とかもそうだと思うけど、「応援してくださる国民のために」と言っても、結局、最後何のためにやってるかわからなくなったときに自分に言い聞かせられる材料になるのは、その競技が好きだっていうことになるんだと思う。俺はそういうのがフワッとしたまま始まったから。
――でも、10年経った今、「歌は好きです」と自信を持って言えるようになった。
遊助:そうです。音楽が好きになりました。というか、遊助の音楽を作ってくれた場所が好き。だから音楽が、歌うことが今は大好きです!
【特集TOP】「遊助」が生まれて10周年 「これまでは使命感でやってきた。今は歌うことが大好き」