そこで、「書きたいことがあるけど、途中で書く手が止まってしまうのだが、どうすればいいの?」という質問をよく受ける。
こういう時、質問に一方的に答えない。
質問してくれた人と対話しながら回答をさぐっていく。なぜなら、質問者の質問の設定が正しいとは限らないからだ。
やりとりして分かったのは、ほとんどの場合、「途中で書く手が止まってしまう」原因は、これだ。
書く材料が足りない。
たとえば、映画を見て、めちゃくちゃおもしろかった。そのおもしろさを伝えたいとする。
質問者はこの状態を「書きたいことがあるけど」と言っているのだ。
でも、たいていの場合、その状態ではまだ書き出せない。
「おもしろい!」と感情が動くことは、書く動機になる。
だが、それでは書くには材料が足りない。
たとえば、その監督の別の作品を観る。
監督のインタビューや、語っていることを読む。
その監督が影響を受けた作品を読む。
映画が描いていたことの背景を調べる。関連作品を観る。
自分がおもしろいと思った作品と関連事項について徹底的に調べる。
調べて、材料を得る。
なぜ、自分が「おもしろい!」と感じたのか、原因をさぐる。
もちろん、そんなことを知らずに「おもしろい!」と思ったのだから、知らなくてもおもしろいと感じられる。
でも、自分が感じた「おもしろい!」はそのまま文章にはならない。
理屈抜きの感情や感覚は、ほとんど理屈で構築されている文章では書きづらい。
それで通じるのは、あなたのを信頼している友人ぐらいだろう。
そこで、どうして自分が「おもしろい!」と思ったのかを探索する旅が必要になる。
調べ、考え、「おもしろい!」と思った理由をさぐる。
材料を集めて、そして「自分がおもしろい」と思ったことを客観的に分析する。
そうしてはじめて「自分が(なんだかわからないが)感動した」ことを「他人が理解できるような感動の理由」として文章にすることができる。
材料がなく書き出して書けるのは、天才か、無謀な者だけだ。
だからファンは、ファン以外に伝わる文章を書くことができない。理屈抜きで好きだから、文章に落とし込めないのだ。
ファンであることを一時的にやめて、少し視点を引いて、俯瞰してみる。そうすることによって、ようやく書き出すことができる。
書く手が止まるという人は、まだ書くための材料が足りていない。ピックアップできるだけの材料を集めよう。 (テキスト:米光一成)
