
多くの流行を生み出し、90年代の若者文化の象徴とも言えるほどの爆発的人気を誇った雑誌『egg』をご存知だろうか? 2014年に惜しまれつつも休刊になった『egg』だったが、2019年5月1日、令和の幕開けと共に復刊を果たした。
伝説的な雑誌の復刊のキーマンとなったのが、当時22歳だった編集長の赤荻瞳だ。編集経験はゼロでありながら、ギャルに対する圧倒的な熱意をもって復刊を成し遂げてみせた。そんな彼女が考える、今後のギャルカルチャーの展望とは。
情熱が切り開いた復刊への道

――小学生のころからギャルカルチャーに足を踏み入れていたとお聞きしたのですが、きっかけはどのようなものだったのでしょうか?
安室奈美恵さんやモーニング娘。の影響で、低学年のころから厚底靴とか履いていましたね。もちろん、私の周りで履いている子はほぼいなかったけど(笑)。実際にギャルっていう存在やスタイルを知ったのは小学校高学年のとき、雑誌『egg』に出会ってからです。
――ずいぶんとギャルに目覚めるのが早いですね(笑)。しかし、低学年のときから厚底の靴を履いていたりすると、周囲から批判的な声なども上がりそうですが?
そんなに叱られたりすることはなかったです。ただ、もし言われていたとしても気にしていなかったでしょうね。むしろ、ギャルだってことを自慢していたと思います。「なんでこの可愛さがわかんないのよ!」くらいの勢いで(笑)。
――さすがです(笑)。赤荻さん自身は、当時の『egg』 にモデルとして登場されていたのでしょうか?
してないですよ。でも当時はギャルサーに入っていたので、ギャルサーイベントが取材されたときにはチラッと載っていたかもしれませんね。
――ちなみにですが、ギャルサーではどんな活動をされていたのでしょうか?
ざっくり言うと、夏と冬に大きなイベントを開催しているんですよ。イベントのコンテンツ内容から当日の集客まで、ぜんぶ高校生のギャルサースタッフで準備していました。モデルの方を呼んでファッションショーを企画したり、お揃いのTシャツを作ったり、イベントに向けてパラパラをオールで何日も練習したりとか(笑)。もちろんミーティングも週1ペース。メンバーにそれぞれに役割が与えられて、セクションごとに動いていましたね。
――ちょっとしたイベント会社のようですね……。その経験は、やはり現在の編集長という立場になっても活かされていると感じます。ただ、赤荻さんは編集未経験で編集長に立候補されたんですよね?
そうなんです(笑)。『egg』を復刊させたいっていう一心で。絶対にどうにかなると思っていたし、それ以外はなにも考えていなかったですね(笑)。

――実際に『egg』が復刊して、話題を巻き起こしているわけですから、赤荻さんのギャル愛の凄さが伺えます。復刊に至るまでの道のりで、印象深かったできごとはありますか?
復刊がまだ正式決定していないときに、「1週間で1万リツイート達成で雑誌『egg』の復刊を決定!」っていう企画をやったんですよ。内々で復刊したいと思っているだけじゃ意味がないですからね。結果から言うと開始2時間ぐらいで1万リツイートを突破して、最終的には2万リツイートを超えました。
「こんなに早いのか!」ってびっくりしましたね(笑)。ただ開始から2時間経過するまでの間にweb版『egg』で活躍しているモデルの子たちと、「どうやったらリツイート増えるかな」って知恵を振り絞っていたことはすごく印象に残っています。私を含め、みんな復刊させたくて必死でしたから。
――予想以上に『egg』の復刊を待ち望んでいる人が多かったということですね。
本当に! 昔『egg』に出ていたモデルの方も協力してくれたし、多くの人に愛されている媒体なんだな、とあらためて思いましたね。そのぶんプレッシャーもありましたけど(笑)。「ちゃんと恩返しをしなきゃ」っていう気持ちを持って、今でも雑誌を作っています。
――復刊以降、赤荻さんが感じた反響や変化はありましたか?
特に今の小中学生は、ほとんどがギャルの実態をあまりよくわかっていなかったと思うんです。『egg』が復刊することで多くの人がギャルについて知ってくれたのかも、とメッセージやコメントをもらうことで強く感じましたね。“ギャル”という言葉をもう一度、日本中に広めることができたのなら嬉しいです。
令和時代に生きる“ギャル”

――90年代に『egg』が発刊されていたころは、まさにギャルカルチャーの全盛期だったと思います。渋谷にはギャルがあふれており、社会現象と言っても過言ではない状況でした。そんな当時と比べ、現在のギャルカルチャーをどのように捉えていますか?
昔はギャル自体がすごくわかりやすい存在だったと思うんですよ。金髪で肌が黒くて渋谷で活動して……みたいな感じで、「これぞギャル!」というものがはっきりしていたじゃないですか。でも、今のギャルカルチャーはかなり柔軟に変化していると思いますね。
――それはなぜでしょうか?
今の時代、SNSが当たり前になって、どういう風に自分の個性を周りに発信するかっていうのが重要になっているんですよね。いつでもどこでも自由に個性を発信できるので、たとえばわざわざ渋谷に集まる必要がないし、昔のギャルのような特定の外見に執着する必要もないんです。自分が思うギャル像を、それぞれが好きなように発信していい。そうやって時代の流れに合わせるように、ギャルカルチャーも形を変えていっていると思います。
――実際に、どのようなスタイルのギャルがいるのでしょうか?
髪の毛の色が黒い子もいるし、紫やピンクの子だっています。それに普段は学校に通っていてギャルにはなれないけど、週末や夏休みだけギャルメイクをしてギャルになる、って子もいますよ。外見よりも内面、大事なのはギャルマインドですね!

――赤荻さんが考えるギャルマインドとはどのようなものでしょうか?
ギャルは個性と自由を象徴している存在なんです。自分のやりたいことを、周りの目を気にせずに貫いていく、そうやって生きている“今”を大事にできるのがギャルマインドですね。
――まさに小学生のころの赤荻さん自身ですね。たしかに、自由に楽しく生きているギャルの存在は見るものを惹きつける魅力にあふれていると思います。しかし、反面ネガティブなイメージも多いのではないでしょうか?
そうですね。あまりギャルのことを知らないうちは、ネガティブな印象を抱かれがちだと思います。特に今の若い子より、もっと上の年代の人たちが反感を持っているんじゃないでしょうか。昔は街中で騒いだり、地べたに座り込んでダベっているギャルがメディアに取り上げられていましたから(笑)。
もちろん、今だってネガティブなイメージが全くのゼロになったわけではないです。でも、復刊した『egg』やウェブ版の『egg』に出てるギャルの子たちはみんな礼儀を重んじているし、芯が通った子ばかりなんです。だから普通に動画を配信していても「ギャルなのに偉い!」っていうコメントをよくもらいます。
元々ギャルに対するマイナスイメージが強くて、ハードルが勝手に下げられているという面もあると思いますけど、かなり褒めていただいていますね(笑)。特に今のティーン層にとっての代表的なギャルのイメージはみちょぱさんだったりするので、10代がギャルに対して抱いているイメージはほとんどがポジティブなものだと思いますよ。だからこそ、今がギャルカルチャーを広めるチャンスなのかなと。

――今後、ギャルカルチャーを広めていくための課題はありますか?
他のファッション雑誌との大きな違いのひとつだと思うんですけど、『egg』ってカルチャーやムーブメントそのものを作っている媒体じゃないんですよね。実際のギャルたちを紹介することが、結果的にギャルカルチャーの紹介に繋がっているだけなので。新しい文化はギャルたち自身が生み出していて、それを『egg』という媒体を通して、わかりやすく多くの人の目に触れるようにしているんです。
たとえばファッション企画があっても、こっちで用意した衣装を着こなしてもらったり、ガチガチに指示して着てもらっているわけじゃないんです。髪の毛もメイクも自前で、好きな服を着てもらって、それを紹介する場所が『egg』なんです。
そんなギャルをより多くの人に知ってもらうためには、やっぱり『egg』自体がもっと力をつけなきゃいけない。YouTubeのチャンネル登録者数だったり、雑誌の発行部数だったり、そういった部分をどう伸ばしていくか、というのが課題ですね。
――最後に、今後の展望について教えていただければ。
結局、ティーン層に刺さらないといけないので、今YouTubeで開設している『egg channel』の“エグハ”みたいな恋愛要素を含んだコンテンツをどんどん出していきたいですね。やっぱりティーンは恋愛が大好きですから(笑)。メンズモデルも起用しているので、恋愛要素ともうまく組み合わせながら、現在色々と企画中です。ぜひ楽しみにしていてください!
書籍情報


『egg』
1995年、大洋図書より刊行されたティーン向け女性ファッション誌。2014年に休刊し、およそ5年の歳月を経て、2019年5月1日に復刊。現在は年2回刊で出版中。
あかおぎ・ひとみ
1996年9月6日生まれ、埼玉県出身。自身のギャルとしての経験を活かしつつ、若干21歳で『egg』の編集長に。2018年3月にweb上で『egg』を復活させ、翌年には紙媒体での『egg』復刊を成し遂げる。YouTube上では『egg channel』を開設し、デジタルとアナログの双方からギャルカルチャーを発信中。好きな言葉は「今を一生懸命生きる、的な」。