「いだてん」でも、この映画の制作のために撮られた未使用映像がふんだんに使われ(最終回では開会式の模様など本編の映像も引用されていた)、三谷幸喜が市川に扮しての撮影光景も出てきた。それにとどまらず、この映画は「いだてん」の物語やテーマ自体にも影響を与えているふしさえある(これについてはあとでくわしく説明したい)。これはもう「いだてん」第0回ともいっていいのではないか。
競技から“はみ出た部分”が面白い
私は、「いだてん」を最終回まで観終えたのを機に、この年末年始、「東京オリンピック」を2回観た。以前観たのは、シドニーオリンピックが開催されたころだから、もう20年も前である。今回あらためて観て、強く記憶に残っていたシーンもあれば、忘れていたところ、また、今回初めて気づいたことも多々あった。名画というのは、観るたびに新しい発見があるものだが、だとすればこの映画はまぎれもなく名画である。
「東京オリンピック」は、大会公式の記録映画として制作された。それゆえ、映画の中核になるのは、当然ながら競技の模様である。
たとえば、陸上の女子800メートル決勝では、優勝したイギリスのパッカーという選手がゴールを切ったあと、その先にいた一人の男性に駆け寄って抱きつく。それは彼女と一緒にオリンピックに出場した婚約者であった。一方、女子80メートルハードル決勝では、レース直前から選手たちを追う。なかでも活躍が期待された日本の依田郁子は、口笛を吹いたり側転したりと、余裕のようでもあり、努めて自分を落ち着かせているようにも見え、本番を控えた選手の心情をうかがわせる。依田の結果は5位と、惜しくもメダルには届かなかった。実況のアナウンサーの「依田、ダメ」の一言が無情に響く。
開会式が快晴になったことはよく知られるが、それでも会期中には雨や曇天が案外多かったことも、この映画を観るとわかる。陸上競技では、雨のなか、係員たちが懸命にスポンジでトラックにたまった水を吸い取る光景が見られた。競歩も雨のなかでのレースとなり、両足が地面から離れてはいけないなどといった厳しいルールもあいまって、あきらかに苛立ったランナーが、ゴールするやテープを手で引きちぎったのが印象深い。
作中では、東京オリンピックの名シーンとしていまだに語り草の、女子バレーボールも当然ながら出てくる。決勝で日本チームが念願の優勝を決めた瞬間には、歓喜する選手たちの様子とは対照的に、ベンチで一人、呆然としながらも感慨に浸るかのような監督の大松博文のカットが差し挟まれ、そこでかかる不穏な音楽(黛敏郎作曲)とあいまって監督の孤独を感じさせる。
マラソンの給水地点を定点観測
私がこの映画でもっとも記憶に残ったのが、女子バレーと並びこの大会のクライマックスとなったマラソンのシーンだ。そこでは、途中からずっと単独で先頭を走り続けたエチオピアのアベベの姿を追う一方で、折り返し地点(調布市飛田給)近くの給水場にカメラを置いて定点観測のごとく選手たちのさまざまな行動がとらえられた。アベベらトップランナーらは、現在の選手と同じくドリンクを取るとそのまま走りながら口にするが、当時はまだ必ずしも全選手がそのすべを身に着けていたわけではないのだろう、なかには立ち止まって飲む者もいれば、1杯飲んだだけでは飽き足らず、さらにもう1杯(たぶん別の選手の)ドリンクに手を出す選手もいたりして、じつに面白い。
さらに私の目を惹いたのは、アフリカ諸国から来たと思しき選手のなかには、裸足で走った者が結構いたことだ。これは単にシューズがなかったからなのか、それとも前回、ローマ大会で裸足で走って優勝したアベベにあやかってのことなのか。私には後者のような気がするのだが。ちなみに当のアベベは東京ではちゃんとシューズを履いて出場し、2連覇を果たしている(ローマ大会でもシューズを持参したものの、現地でトレーニング中にすり切れてしまい、代わりのものを探したがどれも合わなかったため、結局、走り慣れた裸足で出場したという経緯があった)。
マラソンの場面では、アベベが復路を経て国立競技場に戻ったあと、新宿駅南口あたりで2位に躍り出た円谷幸吉の姿もきちんととらえている。このときのテレビ中継ではカメラが1台しかなく、後半はアベベがゴールするまでを延々と映し続けた。これに対し、記録映画用の撮影車に乗っていたスタッフたちは、アベベを追って競技場まで来たところでラジオの実況で円谷が2位になったと知るや、すぐに新宿南口まで引き返したという。そのおかげであの瞬間をカメラに収めることができたのだった(野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』小学館eBooks)。
敗者、そして観客にもスポットを当てる
前出の依田郁子にしてもそうだが、この映画では勝者だけでなく敗者にもスポットを当てている。陸上1万メートルでは最下位のランナーがゴールインするまでが本編に収められた。
選手以外に、観客の様子も折に触れてとらえているのも、本作の特色のひとつだ。100メートル決勝では、ポカンと口を開けながら見ていた老人の顔が一瞬アップで映し出される。おそらくこの時代の日本人は、テレビでもめったに陸上競技など観たことがなかったはずだ。ましてや100メートルを10秒近くで走るなんて、現実のものとは思えなかったのではないか。
同じく陸上競技では、ヘジャブをまとったイスラム圏から来たと思しき少女たちが手を叩きながら観戦していたり、ニュージーランドの応援団が興奮のあまりか、スタンドからグラウンド内に入り込み、ラグビーでおなじみのハカダンスを披露し、係員を困惑させる光景も見られた。9時間もの死闘となった棒高跳びでは、最終的にアメリカとドイツの選手の一騎打ちになり、スタンドでは両国の若者たち(アメリカの応援には少年たちの姿も)が応援合戦を繰り広げた。
自転車のロードレースは東京郊外のいかにも日本的、アジア的な水田地帯にコースが設けられた。沿道では老人たちがゴザを敷いて見物するなか、一瞬にして自転車が駆け抜ける。農家には日の丸が掲げられ、その縁側で女の子がやはりレースの様子を観ていた。その様子がいかにも牧歌的である。
自転車レースにかぎらず、この映画の全編を通して強く印象に残るのは、当時の日本人がオリンピックをまるで学校や地域の運動会のように楽しんでいることだ。
「いだてん」との共通点とは?
そもそも市川崑は、本作を手がけるにあたり、オリンピックをまさに運動会ととらえていた。当初、記録映画を監督する予定だった黒澤明が降板し、開催年に入って代役に抜擢された市川は、オリンピックについて何も知らなかった。そこで映画のテーマを探るべく、いろんな人にオリンピックとは何か訊いてまわったものの、思うような答えが得られない。そこで妻で脚本家の和田夏十とともにあらためて百科事典で調べてみた。すると、オリンピックは第1次世界大戦、第2次世界大戦と大きな戦争があった年には行なわれていないことがわかった。ここから市川は次のようにテーマを決めたという。
《破壊が収まって平和になってからも、次の開催まで何年もかかっている。夏十さんは、これがオリンピックの本質だろう、そして、映画のテーマはこれじゃないかと。
ここで市川が言っていることは、「いだてん」のテーマにも通じるのではないか。日本初のオリンピック選手・金栗四三が主人公となった「いだてん」の前編の終わりでは、関東大震災直後、避難所となった神宮外苑競技場では運動会が開催され、金栗らオリンピック選手もほかの被災者たちと一緒に競技に興じた。そこで人々が味わった楽しさこそスポーツの本質ととらえ、そのままオリンピックに持ち込もうとしたのが、金栗であり、ドラマの後編の主人公となった田畑政治であり、そして前後編通して登場した嘉納治五郎であったといえる。
「いだてん」と市川崑の「東京オリンピック」の共通点としてはもう一つ、いずれも東京を描こうとしたことがあげられる。「東京オリンピック」では冒頭、オリンピック開催に向けて東京のあちこちで破壊と建設が行なわれていたことの象徴として、古い建物が鉄球で取り壊される様子が登場した。このあと、武道館や代々木体育館など真新しい競技施設が映し出されたあと、東京都心を人々や自動車、都電が行き交う雑踏(銀座四丁目の交差点だという)の風景をバックにタイトルが出る。市川はそんなふうに東京の街にこだわった理由を、《これは日本でのオリンピックですが、あくまで東京という都市が主役だからです》と説明した(『市川崑の映画たち』)。「いだてん」もまた、第1回の冒頭、オリンピック開催が決まろうとしていたころ、東京のあちこちで工事が行なわれるなか、ドラマの語り手となる古今亭志ん生を乗せたタクシーが渋滞に巻き込まれれるシーンから始まった(同回はNHKオンデマンドで配信中)。劇中ではその後、明治末にまでさかのぼり、浅草など東京の風景とその変貌が描かれていくことになった。ここにはおそらく、映画「東京オリンピック」の影響もあるはずである。
「いだてん」を楽しんだファンには、「東京オリンピック」をそんなふうにドラマと見比べながら観るのも一興かと思う。
私が年末年始に2回観たのも、オリジナル版とディレクターズ版を見比べるためだった。後者は今回初めて観たが、五輪初参加のチャドの一選手を軸に描かれた選手村の光景(「いだてん」で後半の主人公・田畑政治が実現をめざしたのはまさにこうした光景であっただろうと思わせる)が丸々カットされていたり、個人的に好きな場面が削られてしまったのがちょっと残念ではある。本作をいずれのバージョンもまだ観たことがないという方には、ぜひオリジナル版を観たうえで、興味を持たれたらディレクターズ版と見比べていただければと思う。(近藤正高)