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今回紹介するのはネットフリックスにて現在配信中の『将軍様、あなたのために映画を撮ります』である。なんのこっちゃというタイトルだが、北朝鮮に拉致された映画監督とその妻がいかにして現地で映画を撮り、そして脱北したのかを追ったドキュメンタリーだ。
食い詰めた韓国人映画監督、北朝鮮に拉致される!
先代の北朝鮮指導者、金正日が映画マニアだったことはよく知られている。数万本のビデオを個人で所有し、『映画芸術論』という自筆の映画論も執筆。少し昔に日本でも話題になった怪獣映画『プルガサリ』を作らせたのも、金正日だと言われている。北朝鮮最高の特権階級であった彼はその立場を生かして世界各地の映画を見ることができ、さらに自国での映画制作に好きなように口を出せる立場にあった。
『将軍様、あなたのために映画を撮ります』の主人公と言えるのが、シン・サンオクという映画監督と、その妻で元女優のチェ・ユニだ。シンは韓国映画界で活躍し、さらに自身の制作会社も設立した映画監督だったが、スタジオを運営する商売人としての才覚はなかった。結果、シンが運営するスタジオは経営破綻し、いつしか借金まみれになってしまう。
このドキュメンタリーは、まずこのシンが韓国映画界でどのような活躍をし、どのように没落していったのかを、主に妻チェとシンの養子2人の目線から語る構成だ。調子が良かった時はいいけれど、資金に行き詰まってからは自宅に借金取りが押し寄せ、おまけにシンの不倫が発覚して夫婦は離婚。夫と別れたチェの方も金に困るようになったことが、本人たちの口から説明される。
金に困るようになったシンとチェの2人に目をつけたのが、金正日だ。1970年代から金日成の後継者として活動していた彼は、自国の映画が常に政治的メッセージをがなりたてるだけで、毎回登場人物が泣いてばかりいることに大いに不満を感じていた。このドキュメンタリーでは、なんと金正日本人が「これでは葬式のようだ! 国際的な映画祭に出品できないだろ!」と語っているテープ(チェが録音してきたもの)が挟まれる。
1978年1月11日、イ・ソンヒという友人に「現地の資産家を紹介する」という口実で香港に呼び出されたチェは、現地の浜辺でいきなり拉致される。イ・ソンヒは、香港に浸透していた北朝鮮の工作員だったのだ。船旅の後、北朝鮮の南浦港に引き上げられたチェを出迎えたのは、なんと金正日本人だった。「金正日は出会ってすぐに『俺、意外に背がちっちゃいでしょ?』みたいな、正日ジョークをカマしてきた」というチェの証言が生々しい。
さらに行方不明になったチェを追って、シンも香港にたどり着く。そこで頼った伝手が、同僚のキム・クンファという男だった。しかしこのキムも北朝鮮の工作員であり、移動中に車に乗ってきた男たちによってシンも拉致される。映画の中で紹介される拉致のプロセスはスパイ小説さながら。
かくして夫婦揃って北朝鮮に拉致されたシンとチェは、金正日の命令に従って映画を次々に作らされる。その数、2年3ヶ月で17本という超過密スケジュールだ。その一方で金正日の肝いりで映画を撮影する彼らには国家規模のサポートがあてがわれたため、シンは韓国では想像もできなかったほど豊富な資金と人的援助を受けられるようになる。いかにしてシンは金正日とサシで話すことができるという立場に至ったのか。韓国情報部のOBやアメリカの諜報機関の証言も交えつつ、シンとチェの北朝鮮での仕事ぶりが解き明かされる。
極限状況を生き延びる原動力になった、映画の力とは
『将軍様、あなたのために映画を撮ります』でグッとくるのは、拉致されたばかりのシンがなんとかして脱出しようとするくだりだ。ベテランの映画監督であるシンは「これがもしも映画だったら」という想定で逃げ場を必死で探し、実際にまるでサスペンス映画のような逃亡劇を繰り広げるのである。
このシンの脱出劇は是非ともドキュメンタリー本編を見て確かめてほしい(ちょっとびっくりするくらい派手な話で、「果たして映画監督のおじさんにそんなことが可能なのかな……」と不思議になった)。なんせ場所は敵国のど真ん中、それも自分は拉致されて抵抗する手段は全て奪われている。その状態で「もしこれが映画なら」と考えて実際に脱出を試みるというのは、並みの神経ではできない。映画の力を改めて思い知らされる事実だと思う。
シンとチェが拉致されるプロセス、そして北朝鮮で再会を果たす展開は、とても現実とは思えないくらいドラマチックだ。虚実が曖昧に感じるほど劇的な展開ながら、語られていることはおそらく真実だし、金正日の肉声まで添えられている。まるでスパイ映画のような話をするチェの口から語られる「演技はフィクションのためのものだが、現実のための演技もある」という一言は重い。なんせ彼女は拉致されて以降、金正日の傍で北朝鮮映画界のために働かなくてはならなかったのだ。どのような演技が必要だったか、そこで耐え抜くためにフィクションに対する思い入れがどのような役割を果たしたか、想像を絶する。
では、シンとチェはいかにして金正日の機嫌を取りつつ、どうやって北朝鮮から脱出したのか。これに関しては、是非とも本編を見て確かめていただきたい。8年に渡る拉致生活からの脱出劇は、さらに驚きの展開である。フィクションが人間の心に与える力とはどのようなものかを考える上でも、必見のドキュメンタリーだ。
(しげる タイトルデザイン/まつもとりえこ)