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いつもはドキュメンタリーについて書いているこの『配信中毒』だが、今回はディズニーシアターで配信されている『マンダロリアン』について紹介させてほしい。本日金曜の配信となる第7話を含め、あと2話で日本でもシーズン1が全話配信となるタイミング。
正直色々めんどくさい……それでも『マンダロリアン』は見る価値あり!
思えば海外では、ディズニープラスによる昨年11月の配信開始から『マンダロリアン』に関しては高評価ばかりが目についた。ようやく日本でも昨年12月26日から配信され、そこでもやたらと高評価。それもすれっからしの、今まで散々ひどい目にあってきたスター・ウォーズのオタクたちがこぞって「素晴らしい……」「This is the way……」と褒めちぎっているのである。ただ事ではない。
しかし、『マンダロリアン』視聴のハードルはかなり高い。日本ではディズニーデラックスにて配信中と宣伝されているが、視聴するためにはディズニーデラックス以外にディズニーシアターという別アプリのダウンロードが必要である。それぞれにパスワードを用意してアカウントを作ってクレジットカードの番号を入力するのがもうダルい(そして、正直いまだにおれはディズニーデラックスとディズニーシアターの差や使い分けがよくわかっていない)。
さらに利用料金として月に700円払わなくてはならない上に、テレビで見ようと思うとFire TV StickやApple TVなどの機器が必要である。現在ディズニーシアターのプレイステーション4用アプリは配信されていないので、おれのように「なんでもプレステで見ればいいや」という人間は、新しく機械を買わないとテレビで『マンダロリアン』を見られないのだ! マジで不便! なぜおれは、ドコモとディズニー・ジャパンのせいでこんな苦労を……!
だが、この不便さを乗り越えてでも見るだけの価値が、『マンダロリアン』にはある。作品の舞台は『ジェダイの帰還』の5年後。銀河帝国は反乱同盟軍との戦いで崩壊したものの、新共和国はまだ各地へと統治を広げることができず、銀河の辺境ではならず者やガンファイターがやりたい放題を繰り広げていた。また、各地に旧帝国の残党や放置した兵器が残り、それらが新たな火種となっていたという時代である。
主人公は腕利きの賞金稼ぎであり、マンダロリアンという戦闘部族に所属する男である。これといった名を持たないため「マンドー」とだけ呼ばれる彼は、旧帝国の残党から変わった任務を請け負う。とあるターゲットを生け捕りにして捕らえてこれば、マンダロリアン全体が求めてやまない貴重な金属であるベスカー鋼を大量に渡すというのだ。早速現地へと飛んだマンドーは、激戦の末にターゲットを奪取。しかし年齢50歳だと聞いていたそのターゲットは、なんと伝説のジェダイであるヨーダと同じ種族と思しき緑色の赤ん坊だった……。
『マンダロリアン』がとにかくうまいのが、旧作の要素をさりげなく放り込んでくる点である。物語の主人公であるマンダロリアン(超人気キャラのボバ・フェットと似たデザインの装甲服を着用しており、ライフルのデザインはボバの初出である『ホリデー・スペシャル』に出てきたものと酷似している)や、キーであるベビー・ヨーダはもとより、串刺しにして焼かれるサレシャス・クラム(ジャバ・ザ・ハットの横にいたちっちゃいエイリアンですね)、ズタボロになった装甲服を着たストームトルーパーに、ボバのライバルだったとされるIG-88と同型のドロイド賞金稼ぎなどなどなど、オタク向けのくすぐりは大量に散りばめられている。
単に要素を散りばめているだけではなく、それらが物語の中でかつての劇中での印象をひっくり返すような使われ方をしているのも素晴らしい。憎きイウォークの丸太で粉砕されていたAT-STは恐るべき歩行戦車として生まれ変わり、『ジェダイの帰還』ではただランコアに食われるだけだったトワイレック(まあ、トワイレックのジェダイもいたんだけど)が、ハーレイ・クインのようなイカれた女犯罪者として登場する。感涙である。
加えて、主人公マンドーくんの強さも絶妙。銀河の辺境にいるゴロツキが相手ならめっぽう強いが、ちょっと腕の立つ元兵士やでかいモンスターと戦うとそこそこ苦戦するという、際どいバランスに仕上がっている。
本来のスター・ウォーズ的構造を持つ作品、マンダロリアン
『マンダロリアン』で話題となったのが、原案・脚本・製作総指揮といった作品作りのコアとなる部分をジョン・ファヴローが担当した点だ。ファヴローはマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の作品に初期から関わった監督・プロデューサーであり、『インフィニティ・ウォー』や『エンドゲーム』といったシリーズのひとつのピリオドとなる作品でも製作総指揮を務めている。MCUの諸作品にとって、重要な人物であることは間違いない。
そんなファヴローが深く関わったスターウォーズである『マンダロリアン』は、各話ごとに様々な娯楽活劇のテイストを取り込んだ作品だった。「ならず者が集まる酒場に足を踏み入れる、よそ者のガンファイター」みたいな西部劇的テイストを基本としつつ、ド正面から『七人の侍』のオマージュに挑んだ第4話、癖の強い半グレ集団がヤクザを脱獄させようとするケイパーものだった第6話など、他ジャンルの活劇を意識したストーリーが織り込まれている。
この「外側のテイストを統一しつつ、中身には他ジャンルのニュアンスを詰め込む」という構造は、MCU作品によく見られるものだ。現在のMCUは、ヒーローが出てくるという点さえ守ればなんでもできるという状況になっている。ヒーロー映画でありながら、『ボーン・アイデンティティ』のようなスピーディーな諜報アクション映画でもあったり、家族全員で見られるホームコメディでもあったり、能天気なスペースオペラだったり、宮廷ものの史劇っぽかったり……という作品が量産されているのだ。この構造があればこそ、何本もヒーロー映画を作ってもネタが切れないし、観客も飽きなかったわけである。
『マンダロリアン』は、これと同じ構造を採用していると言っていい。
『スター・ウォーズ』第1作の日本公開当時のパンフレットにSF映画評論家の石上三登志が寄せた文章には、「『すると、スター・ウォーズは……?』『つまり、ゲームとしての、あるいはスポーツとしての"好戦"を、SFという姿を借りて、大々的に復活したってわけなのさ。それで、印象としては、かつてのありとあらゆる活劇がつまっているって実感で……』」とある。この文章で石上は『スター・ウォーズ』の中に込められた西部劇や剣戟映画や戦争映画のような要素を取り上げつつ、それらをSFという姿で復活させたという『スター・ウォーズ』の構造を指摘している。『スター・ウォーズ』はそもそも、様々なジャンルの昔ながらな活劇の要素を、SFという容器にパンパンに詰め込んだ作品だったのである。
この『スター・ウォーズ』の構造を21世紀に通用する形で蘇らせ、一大フランチャイズを築いたのがMCU、という見方もできるだろう。SFなのかヒーローなのかという、容器の形が変わっただけである。そして、そのMCUの立役者の一人であるファヴローが作った『スター・ウォーズ』が、『マンダロリアン』だったというわけだ。登場人物や小ネタだけでなく、『マンダロリアン』の構造自体が最初期の『スター・ウォーズ』と同じなのである。
思えば、EP7~9のシークエル・トリロジーは、『スター・ウォーズ』という容器の中に『スター・ウォーズ』だけを詰め込んだ作品だった。
(しげる タイトルデザイン/まつもとりえこ)