
特集ドラマ『太陽の子』 核分裂のエネルギーによる爆弾を作る研究は日本でも進められていた
終戦の日から75年が過ぎた2020年8月15日に放送された特集ドラマ『太陽の子』(NHK総合)の英語タイトルは「GIFT OF FIRE」。(以下ネタバレあります)
太平洋戦争末期の京都、朝倉世津(有村架純)ほか、はちまきした少女たちが石炭をくべている。すると火の勢いはぐんぐん大きくなっていく。
火に限らず世界には両極の価値を持つものが存在する。1939年、アインシュタインの発見した未知なるエネルギーを求めて、世界中の科学者が研究をはじめた。人類へのGIFT「贈り物」「才能」(英語)になり得たはずのエネルギーは、第二次世界大戦ではGIFT「毒」(ドイツ語)になってしまったという皮肉にもとれるタイトルである。
この未知なるエネルギーを使っていち早く最強の兵器を開発する計画が日本でも進められていた。主人公・石村修(柳楽優弥)は京都帝国大学で、荒勝文策教授(國村隼)のもと、その研究に従事していた。遠心分離法を使って濃縮ウランをつくり、核分裂を起こす。そのため超高速回転の遠心分離機の開発が急がれた。目指すは10万回転。
戦争は激化の一途をたどり、修の幼馴染の世津は、度重なる空襲の備えに住む家を壊され、祖父・清三(山本晋也)と共に、石村家の離れに居候することになる。
軍人だった修の父はすでに亡くなり、弟・裕之(三浦春馬)は空軍に入隊中で、修は母・フミ(田中裕子)とふたりで暮らしていた。
緑が目にまぶしいくらいのある日、裕之が部隊の配置換えによって一時帰宅する。
修は子供のときからの目標・科学者の道を歩んでいる。裕之は空軍でお国のために活動している。世津は家を壊されても受け入れながら慎ましく生活していた。
その生き方はどれも純粋で、「私たちはただただ今を一生懸命生きていました」という世津のナレーションそのまま。だが、時折、ふと、心の内から制御不能の感情が沸いてくる。
修、裕之、世津の3人に忍び寄る「死」
空襲から身を守るため防空壕にこもりながら、自分たちはなにも役に立っていないと焦る若き科学者たち。そもそも兵器を作ることに加担していいものか。悩む若き研究者たちに教授は、日本がやらなければアメリカが、アメリカがやらねばロシアが、先に作ったほうが世界の運命を決めるのだと説く。さらに、核分裂をコントロールしてエネルギー問題が解決したら戦争はなくなる。教授は世界を変えるために科学をするのだと若者たちに夢を語りかける。それこそ修が子供のときから、科学に憧れていた理由。
「リチウムの原子核に陽子を打ち込むと壊れて2個のアルファ線が出る。リチウムが消えてヘリウムに変わるんや。その時、緑色のきれいな光がかすかに…かすかに飛び出る。こんなにきれいな色、俺は見たことない」
目がつぶれてもいいと思えるほど美しきエネルギーが発する光。原子に対する浪漫を夢中で語る修の言葉は世津にも伝播していく。
「見てみたいな。わたしもきれいな光」
「原子はこの世界を循環しているわけやね」
「原子は死なへんのやね」
修も世津も、戦争でいつ死ぬかもわからない状況にいるが、生まれ変わりながら永遠に世界を循環し続ける原子への希望にひととき救われているように見える。だが、彼らの身近にひたひたひたと死は忍び寄ってくる。
八坂の塔のふもと五条坂にある陶器屋・釜いそへウランをもらいに行くと、主人の澤村(イッセー尾形)が、手伝いをしていた娘(だろうか)が大阪にウランを取りに行った折、空襲にあったと伝える。
「間が悪かった、それだけや」と内に収めようとする澤村。この間までそこに楚々として立っていた黄色いモンペの娘は、色のない小さい骨壷に入り、黄色い花が供えられていた。
娘の死と引き換えに残ったウランは量が少なくて実験の役に立たない。そのとき修の信念が揺らぎはじめる。
気分転換にでかけた海で、そろそろ軍隊に戻ると言う裕之は、国のために個人の感情を捨てる覚悟をしたかのように笑うが、翌朝、憑かれたように海へと入っていく。
「怖いよ、でも…俺だけ死なんわけにはいかん」と泣く裕之の頬を手のひらで包むしかできない修。
世津が小さい体でずぶ濡れのふたりを母のように抱きかかえ、「戦争なんか早う終わればいい。勝っても負けても構わん!」と叫ぶ。世津と裕之はとうとう激しい感情を出した。
どんな状況下でも彼らは決して俯かず、空を見た
いよいよ裕之が軍に戻る前の日、3人は縁側で未来のことを語り合う。石村家の暖簾には3羽のうさぎが描かれているが、ここでの3人はそのうさぎのようにも見える。国や家族を守るために生きる裕之、世界を変えるために研究を続ける修、世界が変わった後、残された子供たちに学びの機会を用意したいと思いを馳せる世津。
各々違うことを目標にしながら、修も裕之も世津も、3人とも極めて真面目だ。戦争のある現実で各々、精一杯何ができるか考えて行動している。ただ、それだけなのだ。
そしてフミもまた、同じく――。
フミは毎日、ある材料で食事を作り続ける。世津が家に来た日は鍋、裕之が帰って来た日は混ぜ寿司。今手に入るだけの材料で精一杯のごちそうを。裕之が軍隊に戻る日にはおにぎりを握って手渡した。
修が思い出す子供のときのフミは、京都、初夏の風物詩、実山椒の下ごしらえをしている。主に京都の人は、毎年5、6月になると、青々しい実を手に入れて一年間保存できるように醤油や塩漬けにする。変わらず続いてきた生活者の営みが、フミが実山椒をなでる仕草から伝わってくる。この清冽な実山椒の緑とリチウムが消えてヘリウムに変わる時の緑と、その美しさに違いはあるだろうか。
フミは裕之と再会したときよろけ、送り出すときは息子の耳を触る。愛しい気持ちが控えめながら母の体を動かすように。
世津はお風呂を炊きながらぐっと背中をのばして空を仰ぐ。裕之は空襲の空を鋭い瞳で見上げる。修は天井の扇風機の羽を、ベッドに寝転んで妙心寺の天井画(龍雲図)を、海の小舟に仰向けで空を見上げる。彼には終盤、もう一度、顔をあげる印象的な画がある。
どんな時でも彼らは決して俯かず、空を見る。
修たちの姿が我々に問いかける 「幸福なギフトとはなにか――」
だが、空から降りて来たものは、もうひとつの太陽のような巨大な熱の塊だった。修たちの研究は間に合わず、広島に新しい兵器・原子爆弾が落ちた。東山に大文字が浮かび上がる山の青さ。道々の色濃い緑。灰青色の海。黄色い花……ただそこにあるもの、それが美しいだけなのに。
陶器屋の澤村は、ウランが黄色、赤、コバルトは青……元素から鮮やかな色ができると修に語ったが、骨壷には色はいらない。人類が渇望したエネルギーはこの世界からすべての色を奪ってしまった。
次は京都かもしれないと覚悟した修はただひとり比叡山に登る。研究者として爆発の瞬間をこの目で確認するために。「科学者とはそんなにえらいんか」とフミに言われても、それでも修は山に登る。回る扇風機、回る駒、回る遠心分離機。それらの旋回が修を突き動かすエンジンのよう。
止まったら終わり。何も変わらない。進むしかない。それは時に心を確かに支えることもあり、時に人間の精神を乱すことにもなる。それでもただ進むしかない。
「私たちはただただ今を一生懸命生きています」と最後に世津のナレーションがそれを言い聞かせるようにもう一度ある。修も、裕之も、世津も、フミも、澤村も、荒勝も、その時、自分にできることをやっただけ。
彼らはあまりにも忍耐強い。否と叫んで逃げ出したらいいのに、そうはしない。誰かのせいにもしない。駒や扇風機の回転のように心臓の鼓動の規則性を保つように静かに生きていく修たちの姿は私たちに問いかける。
幸福なギフトとはなにか――。
太陽の光は注ぎ、美しい緑は育ち続ける。
映画版の上映も予定
『太陽の子』は、NHKの演出家で朝ドラ『ひよっこ』(17年)、渡辺あや脚本の『火の魚』(09年)などを手掛けてきた黒崎博が、あるとき京都の科学者の書いた古い日記を手にしたことをきっかけに自ら脚本を書き、国際共同制作で作った映画『神の火』(PROMETHEUS' Fire)が元になっている。『神の火』はNHKとアメリカによるサンダンス・インスティテュート(ロバート・レッドフォード主宰の非営利団体)が主催する「サンダンス・インスティテュート/NHK賞2015」を受賞。ドラマは映画とはまた違う視点で描いたものになっている(NHKのサイトより)。
国際共同制作ということから、海外の人が見ても言語や文化の違いに関係なく何かを感じられるものに心を配っているように思う。たとえば、最初と最後は2020年の現代の広島の風景で、冒頭では「戦後75年」という街の声も聞こえるが、それ以外、アインシュタインがエネルギーを発見した年1939年のみ明確に語られるだけで、終戦の年1945年、広島に原爆が落ちた8月6日などの日付は出てこない。あえて伝えなくても日本人なら知っているし、はっきり年月を描かないことで、これは過去の物語ではなく、これからいつの時代でも世界のどこででも起こり得る物語なのだというふうにも受け取ることができる。
映画版も上映が予定されているそうだ。映画はどういう視点で描かれるのだろう。ドラマでは描かれなかった世津の祖父の右手が閉じたままである理由や、修の研究仲間のこと、陶芸屋・澤村のことや、修と裕之のやや屈折した関係などもより詳しく語られるのだろうか。
(木俣冬)