
※本文にネタバレを含みます
わかりみが深すぎる『私をくいとめて』
2020年の気分にぴったりの映画だ。【関連記事】アキとユイの未来と北三陸鉄道のその先。今だから解く「あまちゃん」のメッセージ
主人公・みつ子(のん)はひとり上手の31歳。
会社にはひとりだけ気の合う先輩ノゾミさん(臼田あさ美)がいるし、脳内には話し相手兼適切なアドバイスをしてくれる”A“がいる。そのため、全然、孤独を感じなかったが、ある日、会社の取引先の会社員・多田くん(林遣都)と商店街でばったり出会い、近所に住んでいると知ってから、状況が変わりはじめる。みつ子は年下で感じのいい多田くんが気になって……。


みつ子のマンションの階下でホーミーを練習している人の倍音は、みつ子とAの象徴のようだ。ちょっと前だったら、延々、脳内のキャラクターと話し続ける主人公は特異に映ったかもしれない。だが、コロナ禍、ひとりで家に籠もることが増えた昨今、ひとり言が増えた人も多いであろう、いまなら、ものすごく共感できる気がする。筆者もコロナ禍、家に籠もっていたせいでひとり言が増え、しかも声がだんだん大きくなっていたので、みつ子を他人事に思えなかった。まさに映画のキャッチコピー「わかりみが深すぎる!」。

このわかりみは、ひとりで自問自答してしまう日々の描写だけではない。あれもこれも、うんうん、頷いてしまうものばかり。
人間、いろんな経験をすればするほど、警戒心が強くなり、自分の本当の気持ちを覆い隠してしまいがち。みつ子も、31歳という年齢が、恋も友情も仕事関係にも次第に臆病にさせている。だったらひとりが快適。みつ子は、毒も吐くし、誰とでも打ち解けるような器用さはないし、趣味も若干変わってはいるけれど、料理もできるし、掃除もするし、おしゃれだし、ちゃんとしてる。日常生活が破綻している人では決してない。一見、社会生活をきちんと送っていてなんの心配もなく見えたって、人知れず、心に傷を負い、それをうまく言葉にできない。そういう実直なみつ子も、極めて現代的である。

中盤、みつ子の心に潜む激しい感情が表出する。穏やかにマイペースに生きていたみつ子の、底知れない怒りもまた2020年に問題視されていること。それが何かはここでは書かないけれど、多田くんは、みつ子の許せない部分に絶対踏み込んでこない理想な人物で、徐々に彼の存在が大きくなってくると、もうひとりのみつ子であるAは……。
のんは、今年3月に公開された音楽映画の香り漂う『星屑の町』のヒロインも魅力的だったが、『私をくいとめて』のみつ子は、2020年12月時点で、俳優のんの最高値だと思う。

大九監督は『私をくいとめて』と同じ、綿矢りさの原作による『勝手にふるえてろ』や、今年放送された、安達祐実が本人を演じるテレビドラマ『捨ててよ、安達さん。』(テレビ東京)などでも、不思議な世界観であればあるほど、登場人物のリアリティーを強烈に浮き上がらせてきた。
『私をくいとめて』でも、襲いくる様々な理不尽や恐怖を脳内のAと話すことは、ギリギリ、現実に踏みとどまろうとする人間の知性の発動であり、常に自分を見つめ、世界との距離を測っているみつ子を表現しようとするのんの客観性が手に取るようにわかる気がした。

細やかですきのない美術や小道具、音楽を効果的に使ったちょっとシアトリカルな演出で彩る。ユーモアもたっぷりで、懸命に生きてる人間の煌めきを増幅させる大九演出。親友・皐月のいるイタリアに向かう飛行機のなかのみつ子の葛藤は、音楽ビデオのようだし、まるで出産シーンのようなインパクトであった。

皐月とみつ子、ノゾミさんとみつ子、有能な上司・澤田(片桐はいり)とみつ子。どれもが、踏み込み過ぎずに、相手を思いやる、そんないい関係。人間、それぞれ違うから、それをいい悪いとジャッジするのではなく、相手の柔らかな部分にいかに踏み込み過ぎないか、そのセンスが、いまの時代に最も求められているものなのではないだろうか。

それにはやっぱり、多田くんとみつ子。いろんな役を演じられる巧者・林遣都は、とりわけ恋愛の相手役をやると、いま最高の相手役として5本の指に入る俳優であると思う。端正な顔立ちながら、キメ顔を武器としない、むしろ、自然。相手をひたむきに受け止めるようとする瞳の誠実さが、この映画でも救いになっていた。料理をもらいに来て玄関に立っているときの距離感が絶妙だった。

実年齢は、林が90年生まれで、のんが93年生まれだが、多田くんの年下っぽさとみつ子のちょっとお姉さんぽさもよく出ていた。『星屑の町』で取材したとき、これまで最年少の立場が多かったが、年下の俳優と共演することも増えてきたと言っていたのん。今回は、会社でも新人でなく、ある程度のキャリアや分別をもって、折り合いをつけながら生きている人物を演じていて、多田くんを憎からず想いながらも、年上らしい距離感をキープしようとしている配慮など、そんな大人の部分と、本当はいろいろ迷って進めないでいる弱い部分と、男の子のようにきりっと濃い眉と、女性らしい華奢さと、ひとつのイメージに固定できない、のんの存在そのものがホーミーのようだった。

Aの声は、公開まで秘密になっていたが、林遣都と並ぶ、演技の幅も広いけれど、とりわけ相手役を演じさせたら、その声の魔力に誰もがトリコになる中村倫也であることが明かされた。いま、絶大な人気を誇る俳優ふたりに囲まれるみつ子、しあわせ者。
もうひとつ、2020年的だなと思ったのは、みつ子が行った温泉でやっていた芸人ライブの出演者で、『THE W 2020』で優勝した吉住が、みつ子に重要な影響を与える役で出ていたこと。彼女のネタも見られるし、あり得たかもしれない彼女の姿も見ることができて、優勝したいま見ると、深いものを感じる。
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作品情報
『私をくいとめて』大ヒット公開中
出演:のん 林遣都 臼田あさ美 若林拓也 前野朋哉 山田真歩 片桐はいり/橋本愛
原作:綿矢りさ「私をくいとめて」(朝日文庫/朝日新聞出版刊)
監督・脚本:大九明子
音楽:高野正樹
劇中歌:大滝詠一「君は天然色」(THE NIAGARA ENTERPRISES.)
製作幹事・配給:日活
制作プロダクション:RIKIプロジェクト
企画協力:猿と蛇
公式サイト:http://kuitomete.jp
(C)2020『私をくいとめて』製作委員会


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木俣冬
取材、インタビュー、評論を中心に活動。ノベライズも手がける。主な著書『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズルポルタージュ』、構成した本『蜷川幸雄 身体的物語論』『庵野秀明のフタリシバイ』、インタビュー担当した『斎藤工 写真集JORNEY』など。ヤフーニュース個人オーサー。
@kamitonami